カランとグラスの氷が解け落ちる、その音を合図にして、彼女は同じお酒をオーダーした。
もうこれで何杯目になるのか。
よほど鬱憤が溜まっているらしい。
目の前に置かれたグラスにすぐ手を伸ばし、二度喉を鳴らした。
(ペース早すぎ)
僕はずいぶん前に注文したウーロン茶のグラスを手に取る。
すっかり氷は解け切り、水滴がびっちりと付いている。
浮かび落ちかけているストローを再び差し入れ口内を潤すと、再び彼女に向き直った。
「で?結局今回は何が気に入らなかったわけ?」
「………体目当てだったところ」
「あのさ、さっき『連絡くれないところ』って言ってなかった?」
「それもなくはないけどっ」
ふん、と鼻を鳴らすと、再びグラスを傾ける。
…今日、僕一人で良かった。
八神さんならまず聞いていられないだろうし、海藤さんならじっとしていられず場所を移しかねない。
それをわかっていて、僕だけを誘ったのかもしれないけど。
『杉浦くん、これから時間ある?』
こんな急なお誘いを耳にしたのは、つい二、三時間前のことだった。
珍しく神室町を徘徊していた手持ち無沙汰な僕に、断る理由はなかった。
『やけ酒したい気分なの。付き合ってくれる?』
「いやだって言って神室町を彷徨われても困るから。いいよ」
以前あまり乗り気になれず断った時、夜の神室町をたった一人で徘徊して僕を探していたことがあったのだ。
いくら何でも不用心すぎる。
八神さんや海藤さんが一緒ならまだしも、女性一人で出歩いては悪い人たちの格好の的だ。
その時はたまたま八神さんが見かけて声をかけることができたから、何も起こらなかったけど。
…いや、何もじゃないな。
『杉浦くんに振られた』と根も葉もない話を八神さんなんかにするもんだから、女の子一人取り残すんじゃないよ、と説教されたんだっけ。
そのこともあって、今日は<奢ってくれること>を条件に、誘いに乗った。
どうせ僕はあまり飲み食いしないし、彼女の方が断然呑むのだから、たいした条件ではないだろうけど。
どうやら見知らぬ男に声を掛けられ、断れないままに付き合ったらすぐ捨てられたらしい。
しかし彼女はすっかり泥酔している。
同じ話を繰り返したり、全く違う話題を出したり、いい加減収拾がつかなくなってきた。
僕が多少フォローを入れないと話が収束しそうにないと見かねて、聞き手に回っていた姿勢を変えたのだ。
「言わせてもらうけどさ、男を見る目なさすぎ」
「う………」
「普通知らない男からのお近づきの言葉なんて、嘘に決まってるでしょ」
「そうとは限らないじゃない…」
「あのさあ…今回で何回目?」
「………三回目」
「騙されすぎ」
目の前でグラスを磨いているマスターが、小さく頷いている。
こうしてテンダーで彼女と飲むのは初めてではない。
しかも話題の大半はこういった内容だ。
さすがにマスターも気にはなっているのか、口には出さないが仕草にもどかしさが感じられる。
「神室町での生活、向いてないんじゃないの」
「………!」
弾かれたように顔を上げ、小さく震えながら彼女がこちらを向く。
目は怯えたような、今にも泣きそうな色をしている。
この一言が彼女を多少傷つけるだろうことは予想していたが、言わずにはいられなかった。
「なんで知らない男の言うことをすぐ聞くの。なんですぐに連絡先を教えるの。なんで知り合いに相談しないの。なんで相手が信用できると思うの。なんでもっと、自分を大切にしないんだよ」
最後の最後で、オブラートに包み切れない本音が零れ落ちてしまった。
あまりにも感情が入りすぎてしまうと、意識して言葉を選んだつもりだったのに。
最後の一言を聞いた直後、彼女の目から涙が数粒伝って落ちていった。
ちょっと言い過ぎてしまった、と次の言葉を探していると、彼女が震える唇をわずかに開いて呟いた。
「……ごめんね」
「っ……僕は、」
謝ってほしいわけじゃない。
毎回こうして傷ついて、涙を流して、僕に謝るくらいなら、初めから、そんな奴じゃなくて。
伝えたいけど伝えられない気持ちの行き場がなく、呼吸が浅くなっていく。
言葉にできない感情が今にも爆発してしまいそうだ。
毎回同じ話を聞いて、結局繰り返させて、泣かせて、そうして純粋な彼女はまた傷つくのだろう。
「……そんなのは、いやだ」
小さい子供のようなセリフが、大人になったと思っていた自分の口から紡がれる。
彼女に届いたのかはわからないが、ぼろぼろと涙をこぼしながら、それでも彼女は僕を見つめている。
「…恵美さん」
「…なあに」
「あんたは、笑っている方がいいよ。笑顔でいられる人といる方が」
君を泣かせるぐらいなら
僕が守ってあげるから。
もうそんな顔はさせないし、泣かせないし、傷つけない。
少しでも長く笑顔でいられるように、頑張るから。
だから。
もう知らない男のために悲しまないで。
title by 子猫恋.