青い苺
- 「お前、もう俺に関わんなよ」
そう言った時、なまえはショックを受けたような顔をした。その顔があの時のなまえに重なって、心臓が嫌なきしみ方をした。
なんでそんな顔すんだよ。
──あの時、同じ顔したのはお前だろ
▽
野球と幼なじみから離れるために選んだ都立高校で、俺は自分をカンプなきまでに叩きのめしたバッテリーと再会した。そして結局は野球をすることになっていたし、俺の隣には相も変わらずなまえがいる。俺は逃げたかったものとことごとく向き合わなきゃいけねェ高校生活を送ってるワケだ。
「葵くん、今日も部活? 見に行っても……」
「来んな」
放課後、飽きもせずにわざわざ俺のクラスまでやって来るなまえの言葉を遮って目もくれずに廊下に出ると、後ろから要のデカい声が聞こえてきた。
「葵ちゃんマジでありえないんだけどー!?」
「うっせ」
早歩きで歩いていたら、走ってきた要が俺の脇腹をつついてくる。やめろ。
「可愛い女の子が『見に行っていい?♡』って言ってんだよ!? そこは『来いよ。お前のためにホームラン打ってやんよ』一択でしょ!!」
「その一択ではないだろ」
「かわいそうじゃん!! 俺共感力高いタイプじゃん!? ああいうのダメなの!! ほら『来いよ。お前のためにホームラン打ってやんよ』って言ってあげなって」
「知らねェしうるせェな!! テメェで言えや!!」
「はあ〜……ダメだよ葵ちゃん。俺は女子とは緊張して喋れないの。それくらい友達なら知っとかないと」
高次元にウザい要にイラつきながら、俺は徹底的になまえを視界に入れないようにして歩き出した。いきなり二人にされて「えっ、ちょっとォ……」と後ろで挙動不審になっている要ごと置いていく。
高校に入ったら離れられると思った。でも野球からも、なまえからも、逃げることはできなかった。ずしりと後ろ髪が重くなったような気がして、俺は吐きそうになった息ごとごくりと飲み込んだ。
▽
高校に入って幸いだったのは、なまえとクラスが違ったことだった。しかし不幸にも、なまえは清峰・要と同じクラスだった。俺たちが幼なじみだと知られてからは、休み時間のたびになまえと清峰・要(あとヤマ)が強襲してくるようになった。最近は用もないのに来ては雑談をしていくのが日課のようになっている。ヒマか。
このメンツだから、話す内容は大抵は部活のこと。たまにヤマと千早が授業の進度のことを喋ってる。どれもなまえが聞いていて楽しい話題ではない。そういう時、なまえはじっと清峰の顔を見つめている。
「清峰くんって、本当に王子様みたいだよね……」
初めてなまえがそう言った時、俺と清峰以外はギョッとしていたが、本人は至って真面目そうな顔で、照れることもなくそう言っていた。俺もなまえのそういうのには慣れたものだった。昔からなまえは夢見がちで、「白馬の王子様」とか「お姫様」みてェなヤツが好きだった。高校生にもなってガキのころと同じようなこと言ってンのには呆れたが。張本人の清峰は無表情でダンベルを持ち上げている。「言われ慣れてる」と言わんばかりの顔だ。嫌なヤツだ。
清峰にムカついて顔をしかめると、なにか余計なことに気づいたと言わんばかりに要がハッと息を飲んでキョロキョロと俺の顔となまえの顔を見比べていた。要がどういう勘違いをしたのかが手に取るように分かった俺は、要が俺の地雷を踏む前にどうか要にデカめの不幸が訪れますようにと願った。
「ぶっちゃけ、葵ちゃんとなまえちゃんってどこまでいってんの?」
部室で男だけになった途端、そんな下世話な話題を出すのは要だ。
「どこまでも何もただ家が近所なだけだっつの」
至ってどうでもいい、という声音を意識してそう答える。腐っても元智将の要が、これ以上要らんことに勘づかないよう。
「うーそだあ! 家が近いだけであんなに懐かれる!? こんなゴツくて怖い男が」
「失礼だなテメーは!」
そう叫ぶと、千早が「うるさいですよ藤堂くん」と俺に言ってくる。どう考えても発端は要なんだが。
「だってさー……なまえちゃん、いつも葵ちゃんの話してるんだよ?」
その告げ口に、俺は言葉を詰まらせた。んなの知るかよ。
「……付き合うどころか、俺はあいつにお断りされてるっつの」
そして動揺からつい、口を滑らせてしまう。
「え……」
要が「ヤバいこと聞いちゃったかな」って顔で口を押さえるが、目が笑ってるのが隠せていない。コイツ……
「『葵くんは王子様じゃない』ってハッキリ言われてんだわ」
「な、なーんだ。そんなの子どもの頃の話でしょ?」
「いや、中学ん時」
「おっと……」
じっと複数の興味深そうな視線が突き刺さる。口火を切ったのは、やはり千早だった。
「……まあ確かに、藤堂くんは『王子様』って感じじゃないですね」
そのセリフに要が顔を逸らしてプルプル震えている。そろそろ殴ってやろうかな。
「それに……」
「それに?」
「……いや……」
つい喋りそうになってしまった過去を慌てて飲み込んだ。
中学の頃、イップスにより野球から離れた俺は荒れていた。そんな俺に、なまえはいつもまとわりついては世話を焼こうとした。それが心の底から億劫で、いつも空元気で笑っているなまえが嫌で、俺はなまえを傷つけてやろうと思ったのだ。あの頃俺は、本当に気が立っていて、女相手に、幼なじみ相手に、一番効果的な「嫌がらせ」をした。
夢見がちななまえは「初めて」に多大な期待を抱いている。だから、俺は無理やりなまえの初めてのキスを奪ったのだ。いつものように、ちゃんと寝ようとか、ご飯食べようとかうるさいその口を塞ぐと、なまえは目を丸く見開いた。すぐに口を離すと、なまえは傷ついたような顔で俺を見返した。分かっていたのに、それが目的だったはずなのに、俺はその表情に腹が立った。そして俺は、また許してもらえることを期待していたのだと思い知った。
その日以降、俺はなまえと口を聞かなくなった。いや、一度だけ、「もう俺に関わんなよ」と伝えた。その時になまえは、キスをした時と同じ顔をしていて、俺はなんでお前がそんな顔をするんだと言いたくなった。あの時お前は傷ついてただろ。あんな最低なことをした野郎から、なんで離れていかない。
俺は未だに、その理由を聞くことも、謝罪をすることも、できないでいる。
何が楽しいのか、なまえは毎日のように野球部の部活動とも言えないような活動を眺めている。今日も何かに耐えるようにじっとネット裏に立っているなまえに視線を向けないよう意識しながら練習メニューをこなしていると、いつの間にかなまえが消えているのに気づいた。軽くあたりを見渡すと、ウォータージャグを抱えてふらふら歩いているなまえを見つけた。何してんだ、とため息を吐くと、ずかずかとなまえの傍に歩み寄って、その手からウォータージャグを奪う。
「あっ……」
そのまま声もかけずにベンチまで運ぶと、後ろからついてきたなまえが小さく「あ、ありがとう……」と言った。
それには答えずにまたグラウンドに戻ると、「葵くん、頑張って」と背後から声がかけられた。
なまえにそう言われるたびに、俺は頭ン中をぐしゃぐしゃに掻き回されるような気分になった。かつて俺が悪意をもって傷つけた相手に応援されるのは、最悪の気分だった。
俺はなまえから逃げることはできない。俺が許されることも二度とない。
▽
ワンバン送球というカッコつかねェやり方ではあるが、一塁への送球を克服した俺は、新たな罪悪感に悩んでいた。あの時なまえを傷つけた俺が、謝罪すらせずにのうのうと野球を楽しむなど、許されるはずがない。しかし、謝ることはできない。なまえのことだから、俺が謝ればきっと「気にしないで」と言うだろう。だから、なまえにとっては、もう俺と関わらないのが一番だと思った。実際、何度もそう伝えたのになまえは俺の傍から離れていかない。なまえが何を考えているのかまったく分からなかった。そんなことを考えられるやつじゃないというのは分かっているのに、もしかしたらなまえは俺への嫌がらせで傍にいるんじゃないかとさえ思う。もしもそうだとしたら、なまえには軍師の才能がある。これ以上に効果てきめんな仕返しの方法はたぶんない。
「葵にーに、なまえちゃん、こないね」
夕飯を作っている途中、足元にじゃれついてきた妹がそうぽつりと呟いた。
「このあいだは、おともだちきてたのに……」
「……あいつはもう来ねーよ」
頭をポンと叩いてそう言うと、「なんで!?」と叫ばれる。
「けんかしたの!?」
「あー……いや、俺がイジワルしただけだ」
「ちゃんとごめんなさいした?」
その言葉に口ごもると、「悪いことしたらごめんなさいするんだよ」とまだ幼い妹のド正論が襲いかかってくる。
「……もう許してもらえねーよ」
「ゆるしてもらえなくても、ごめんなさいするの」
その言葉が俺の胸に突き刺さった。純粋にまっすぐ俺を見つめる妹の視線が余計に刺さった。
「……そうだな」
結局俺は、ずっと逃げている。なまえからも、償うことからも。もう逃げねェ。誓ったはずだろ。それなのになまえのことを思うと指先が冷えた。妹の小せェ頭を撫でると、俺はふうっと息を吐いて腹を括った。
▽
夜道を一人で帰すわけにもいかず、家の方向も同じなので部活終わりはいつも俺がなまえを送っていた。二人で並んで歩いても、だいたいはなまえが空元気で何かを喋っているか、無言の時間かだが、今日は俺の方から「おい」となまえに声をかけた。
「ちょっと話してーことがあんだけど、少し寄れねーか」
団地の前で、自宅の方向に親指を向けそう聞くと、なまえは目を丸くして、こくこくと頷いた。着いてくんのか。
「遅くならねーようにするから」
安心はできないだろうが一応そう言って、俺の家まで無言で歩いた。玄関のドアを開けると、小さい影が飛び出してきて俺の足にしがみつく。
「葵にーに……なまえちゃん!!」
嬉しそうになまえに飛びつく妹の頭を撫でた。
「兄ちゃんたち大事な話すっから、邪魔しないでくれるか?」
「! わかった!」
目を輝かせて頷いた妹に頷き返すと、振り向いてなまえに問いかけた。
「茶でいいか? 用意すっから部屋行ってろよ」
「あ、うん……」
勝手知ったる仲なので、先になまえを部屋に通すと、茶の準備をした。遅れて部屋に行くと、なまえはきちんと正座して待っていた。どこか体が硬く緊張している。あんなことした男の部屋で二人なんだから、そりゃ怖いわな。もう少し考えりゃ良かった。俺は短時間で済まそうと、なまえの正面に腰を下ろし、すぐに話し始めた。
「んで、話なんだけどよ……」
「うっ、ウン……」
ごく、と上下したなまえの喉を見て、俺は頭を下げた。
「本当に悪かった」
「え……」
「これは俺の自己満足だ。だから許さないでくれ。……あの時、イライラしててお前に当たって、お前にひどいことした。悪い。俺にできることがあったらなんでも言ってくれ。殴っていい、罵っていい。お前には俺に怒る権利がある」
俺の貧相な脳みそでは、このくらいしか思いつかなかった。本当に伝えたいことはこんな薄っぺらい言葉で表せないものなのに、どうやって伝えたらいいのか分かんねェ。でも、なまえに少しでも償えるなら、なんでも言うことを聞くつもりだった。頭を下げたまま、なまえの言葉を待つ。
「あっ……」
あ……? 続く言葉を想像しながら冷や汗をかいた。
「あやまって……!」
俺は少し拍子抜けした。謝罪なら、言われなくても何万回だって言うつもりだった。それと同時に、それほどなまえを深く傷つけたのだと思い知ってグッと拳を握りしめた。
「き、期待した……!」
「は?」
その言葉につい顔を上げると、手のひらを赤くなった頬に当てて目を瞑っているなまえが見えた。
「お、おうち誘ってもらえて、話があるって……そんなの、期待しちゃうじゃん……!」
「はあ……?」
こいつは何を言ってんだ? 全く理解不能で、俺は惚けた。
「ま……またキス、してくれるかと思ったのに……」
「なっ……! 何言ってんだお前!!」
「だっ、だってえ……!」
「嫌だったんだろ!? あの時」
「い、いやって……キスが?」
改まってそう聞かれると、複雑だし小っ恥ずかしい。なまえはふるふると首を振ると、しっかりと俺の目を見た。
「嫌じゃなかったよ、ぜんぜん」
「ならっ……なんであんな顔……」
「か、かお?」
「ショック受けてただろ」
「それは……葵くんが、泣きそうな顔してたから……」
その言葉に俺はすとんと体の力が抜けて、呆然となまえを見つめた。
「……お前、清峰が好きなんじゃねーの」
「清峰くん?」
「いつも王子様みてーって言ってんだろ」
子供じみた言葉に嫌気がさした。なまえはきょとんと目を丸くしながら頷いた。
「うん」
「……俺は、王子様じゃねーんだろ」
「うん」
「あー……もしかして、清峰との仲取り持ってほしいのか」
「んん? ……ちがうよ」
俺たちはお互いに相手が何を言っているのか理解できないという顔で見つめあった。
「私が好きなのは、ずっと葵くんだよ」
「だからなんでそうなんだよ……!!」
「……だって」
なまえはぽつりと呟く。
「私だってお姫様じゃない」
俺はその言葉に目を見開くと、なまえの顔をじっと見つめ返した。
「王子様はお姫様とくっついちゃうんだよ。だから、葵くんは王子様じゃない」
なまえはへにゃっと笑った。久しぶりになまえの笑顔を見たと思った。
「私は、王子様じゃないけど優しくて強い葵くんのことがすきだよ」
「……は」
「野球してる時の楽しそうな顔が好き。意外と周りのこと見ててさりげなくフォローできるところも好き。好きなものに打ち込める強いところが好き。ウザいと思ってる私のことも、突き放さないでくれた優しいところが好き」
こっちの方が赤面してしまうようなセリフを、なまえは真面目な顔で言ってのける。
「葵くんは……私のこと、すき?」
トドメには、少し目を伏せて、頬を赤らめて、小さな声でそう聞いてくる。俺が何も返せずにいると、なまえはちらと俺の顔を窺って、少し笑った。笑われた、と思う暇もなく、そっと目を閉じたなまえの顔を凝視する。
なまえの体の横に手を置くと、二人分の体重がかかって、ぎし、と畳がきしんだ。
▽
「葵くん、今日部活?」
放課後になってすぐ、教室までやって来たなまえに「また来たのかよ」と悪態をつく。
「見に行っていい?」
「……好きにしろよ」
俺の返事を聞いていたらしい千早が、おやという顔をして、訳知り顔でさっさと教室を出ていってしまった。これからはこんな風に気を遣われまくるのか、と思うと少しげんなりするが。
鞄を背負って廊下に出たところでなまえに「葵くんは、私に見に来てほしい?」と訊かれ、俺は「はあ!?」とデケェ声を出してしまった。なまえは楽しそうに笑っていた。
「『好きにしろ』じゃなくて、『見に来い』って言ってほしいな〜」
俺がぐ、と歯噛みすると、それを見たなまえはけらけらと笑った。
「あー……」
俺は唸ると、がしがしと頭をかいた。とりあえず要はあとでシバくとして。
「……ホームラン、お前のために打ってやるから見とけ」
そう伝えると、なまえは嬉しそうに目を細めて笑った。
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