ラヴ・パレード

 最近の葵くんはすごく頑張っている。部活動だけではなく、授業もちゃんと起きて聞いているし、補習を受けなくていいように私との勉強会もサボらない。だからだろう。目の前には開いたままの教科書の上に突っ伏して眠る葵くんの顔があった。その精悍な顔つきをじっと眺めて、起こした方がいいんだろうなあ、と思いながら、この時間がなんだかもったいないもののような気がして、じっと葵くんを見つめる。
「葵、飯」
 すぱん、と遠慮なく襖が開けられて私はびくりと肩を震わせた。慌ててお姉さんに「しー」と人差し指を立てた。
「葵くん、疲れてるみたいです」
「彼女ほっぽって寝るとかいい根性してんじゃん」
 そう言いつつも、お姉さんの顔には優しい表情が浮かんでいる。
「しゃーないな。今日くらい私が作ってやるか」
「え」
 以前、葵くんからお姉さんが台所を爆発させた話を聞いたことがあった私は、「えーと、あの、」と言い淀んだ。
「もし良かったら、私作りましょうか?」



「んが」
 ハッと目を覚ますと、部屋の中はもう暗くなっている。寝てたのか、とぼんやり思う。まず初めに思ったのは、「飯作んねェと」ということだった。
 台所に続く襖を開けると、「起きた? 葵くん」とエプロン姿のなまえが振り返る。
「ごめんね。勝手に台所と冷蔵庫のもの使っちゃった。使った食材のメモ、そこに貼ってるから」
 机には一足先に妹が座り、カレーを食べている。
 寝起きでぼんやりする頭で、なまえの腕を引っ張って抱きしめる。
「わ、あ、あおいくん!?」
 小さく抵抗するなまえを更に抱きしめると、「ここですんなバカ」と背中をシバかれた。そこには俺と同じ顔のふてぶてしい姉の姿があり、俺は「チェンジ」と言った。なんの断りもなく冷蔵庫の中身を使う人間との生活は、こんなにも自分の精神を削っていたのだと気づいた。俺はいつの間にか毒されてたんだな。
「なんだと」
 目付きを鋭くした姉に、腕の中のなまえが「あはは」と笑った。
「悪いね、なまえちゃん。甘えちゃって」
「いえ。私こそ差し出がましい申し出を受け入れてくださってありがとうございます」
 なまえの顔を見て、姉の顔を見て、ハァーーー、とため息を吐くと今度は拳で殴られた。
「じゃあ、私はそろそろ」
「帰んの? 食べていきなよ」
「でももう遅いですし」
「だからでしょ。今日親御さんは?」
「仕事です」
「じゃあ食べていきな」
 ちら、と俺の顔を見たなまえに、「食ったら送るわ」と言う。ぱっと顔を明るくしたなまえの頭をぽんと叩くと、俺は三人分の皿を用意した。

 同じ団地の別の棟に住んでいるなまえを部屋まで送っていると、急に腕を引かれた。
「なんだよ」
 建物の陰の暗がりに引きずり込まれると、なまえがいきなり抱きついてきた。
「どうした?」
「んー、きっかけはないんだけど、なんか……葵くん大好きって思って堪んなくなった」
「バッ……、襲われてェのか!!」
「……うち来る?」
 こてんと首を傾げながら見上げられ、俺はなんとか自分を鎮めようと要のアホみてェな一発芸を思い出していた。
「……今度な」
「ふふ、わーい」
「ちょっと俺の顔殴ってみろよ」
「な……なんで!?」
「いや、まだ夢の中かもしれねェと思ってよ」
 「現実だよ」と笑うなまえを目に焼き付ける。俺の手を引いてまた歩き出したなまえは、「遅くなると心配されちゃうもんね」と言った。
「いや、うちの姉貴は俺じゃなくてお前の心配してるぞ。賭けてもいい」
「葵くんと一緒なら大丈夫なのにねー」
「俺と一緒だから、みてェな……」
 あんまりよく分かってなさそうななまえは、子どものようにぶらぶらと手を揺らしながら歩いた。
 無事になまえの部屋の前まで送り届けると、なまえが扉を開けて、半身を玄関に滑り込ませて笑った。
「ありがと、葵くん」
「こっちこそ……悪ィな、居眠りして。飯まで」
「一緒にごはん、嬉しかったよ」
「そか」
 なまえの頭を撫でて「もう入れ」と言おうとした時だった。頬に柔らかい感触がして、耳の傍でなまえが囁いた。
「次はちゃんと襲ってね」
 ニコッと笑ったなまえが部屋の中に滑り込んでいく。ぱたんと閉まったドアを見て、俺はその場にしゃがみ込んだ。
「分かってんのかよ……クソ」
 しばらくは立てそうにない。どうかまだなまえの親が帰ってきませんように、と祈った。


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