あなたがいてくれて

 この村が嫌いだった。
 いつも食糧が尽きることに怯えて、暗い顔をしている大人達。同じことを繰り返す毎日。役に立たないものは切り捨てるしかない余裕のなさ。
 おばあちゃんは好きだった。唯一、私の疑問に答えてくれる大人だった。「知らない」「そんなこと言ってないで働きなさい」以外の言葉をくれたひと。
「どうして人は皆違うの?」
「ご先祖さまにも同じことを創始者様に聞いた人がおってねぇ」
 昔巫女をしていたおばあちゃんは、物知りで記憶力がいい。私はおばあちゃんの孫なのにおばあちゃんにまったく似ていない。
「創始者様は、『違うことが力なんだ』と言っておったそうだよ」
「どういうこと?」
「そうだねぇ……」
 そのあと、おばあちゃんがなんて言ったのか、覚えていない。聞こうにももう聞けない。おばあちゃんは病気で死んじゃったから。

「こらッ!どこ行くんだクロム!!」
 聞き慣れた怒声に私はふと手を止めた。皆、またやってるとクスクス笑っていた。
 それでも私は、クロムが少し羨ましかった。爪弾き者にされたいわけではないけれど、自分の好きなことだけをしていられたらどれだけいいだろうと思う。もちろんそんな人ばかりになったら生きていけなくなることは分かっている。それでも、働くために生きていると言わんばかりの人々を見ていると、息が詰まりそうになるのだ。もし私がルリ様のように記憶力がよかったり、コハクちゃんのように動けたりしたら。なにか、得意と言えるものが一つでもあれば。こんなこと思わなかったのかもしれないけど。
 私は魚の鱗を剥がしながら、日課の空想に耽った。私は空想に耽るのが好き。おばあちゃんやルリ様が語り継いでくれた百物語にも負けないようなドキドキするお話を考えるのが好き。例えば、いつかいきなりライオンに跨った人が現れて、私を違う世界に連れて行ってくれる……とか、実は海の向こうには私たちの知らない世界が広がっていて、そこでは皆が好きなことをして暮らしている……とか。私はそんなことを考えては代わり映えのない日々の暮らしを何とかやり過ごしているのだ。
 じつはこの空想は後に半ば当たるのだけれど。私を、私たちを、違う世界に連れて行ってくれたのは、「科学」という名前をしていた。

 ある日突然現れた千空から聞く3700年前の世界は、私にとって夢のような世界だった。3700年前は、好きなことをするだけで暮らしていた人がいるというではないか!ゲンはマジックをして暮らしていたそうだし、『漫画』と呼ばれる絵を描いていた人、歌を歌っていた人。聞くところによると、お話を作る職業もあったそうで、それはまさに私が望んでいた生活である。もし、私の日々の空想を形にすることで日々の糧にできたり、喜んでくれる人がいたら。なんて素敵だろう。
 しかし、一人だけ、その夢のような世界を心から憎んでいた人がいた。初めて見たその人は、思っていたより穏やかで、寂しそうな顔をしていた。私はどうしてもその人が気になって気になって、いつもぼんやりとその人を目で追っていた。ガーネットちゃんに恋かとからかわれるほど。それは当の本人もとっくに気づいていたようで、ある日とうとう声をかけられた。
「やあ」
「……どうも」
 彼、獅子王司は、困ったように笑った。
「うん、最近……視線が気になってね。俺のことが気になるのかな」
「……ええ、気になるわ。今少し時間がある?」
「ああ、構わないよ」
 私はしげしげと司を見た。彼は気まずそうに眉を下げた。
「ねえ、この世界を素晴らしいと思うの?」
 私の言葉に司は不意をつかれたようで、目を丸くした。しかしすぐ微笑む。
「うん……そうだね。この世界は、俺の理想だ」
「……私は、この世界が嫌い。できることなら3700年前に生まれたかった」
「……あの世界は決して美しいものじゃなかった」
「この世界だって、美しいものではないわよ。村の大人たちはいつも飢えと野生動物に怯えてる。村では貢献しない人に居場所はないの。私はこういう、閉塞的で余裕がないこの狭い世界が大っ嫌いなの」
「あっちの世界でも変わりはないのかもしれないよ。むしろ、ひと握りの権益者が持たざる者から富を占有して飢えさせているぶん、タチが悪い」
「……でも、この世界じゃなきゃおばあちゃんは死ななかった」
「……」
「ルリ様と同じ病気だったの。千空があと少し早く起きていたら、おばあちゃんは死ななかった」
「……ごめん」
「どうしてあなたが謝るの」
「うん。……そうだね」
 司がため息をついて黙ると、場に静寂が訪れた。
「……ねえ、あなたのことを教えてほしいの」
「俺の?」
「あなたがどうしてあの世界を否定するのかが知りたいの」
「どうかな。あまり面白い話じゃないから」
「嫌ならいいわ」
「嫌ってわけじゃない。俺には説明責任があるから」
 ぽつりぽつりと司は語った。未来の病気。『既得権益者』の仕打ち。未来を守るために司がしたこと。
 私は相槌も打たずに司の話を聞いた。私の思い描いていた過去の世界に、夢の世界に、ぴしりぴしりと罅が入る。富と名声に支配された世界。科学が壊したもの。好きなことをして生きている人なんてほんのひと握りなこと。
「……大丈夫かい?」
 司に声をかけられ、私はハッと現実へと引き戻された。司はとうに話し終えていたらしい。
「私ね、どうして人はみんな違うのかって思ってたの。違うことって煩わしいじゃない?」
「そうかな?」
「みんな一緒なら、喧嘩をすることも悲しむこともない。……でもそれじゃダメなのよね」
 いつの間にか赤く染まっていた空をじっと見つめる。
「恥ずかしながら、私、あなたと話さなければ3700年前の世界に夢を抱いていて、悪いところが全く見えていなかったわ」
「……それは、仕方がないことじゃないかな?」
「……でも、あなたがいてくれたから知ることができたのよね」
「それは……うん。俺も同じかな。現代人の君が、この世界に不満をもっているなんて思わなかったから」
「違うことが力……か。やっと分かった」
 私は立ち上がると、大きく伸びをした。太陽が沈んでいく。そろそろ夕餉だ。
「ありがとう。あなたがいてくれてよかった」
 司を振り返り、手を差し出す。こうして見ると、この人がこの世界を武力で支配しようとしていたとは思えない。いや、違う。支配は結果で、彼はただ、大切なものを守りたかっただけなのだろう。
 司が私の手を握ったので、私は彼の腕を引っ張って立ち上がらせた。私の貧弱な腕では彼の巨体を起こすことはできなかっただろうから、司が何も言わずに力を貸してくれたのだろう。
「ねえ、また聞かせてね。世界がどんな風になっているか」
 彼はすぐに千空たちと航海に出て、世界をその目に映すのだろう。そして私は変わらずこの村で暮らす。
「もちろん。……でも、もしかしたらそれよりも早いかもしれないよ。科学で世界が繋がる方が」
 司の口から科学と未来を語る言葉が出てきたことがなぜか嬉しくて、私は司の手を強く握った。



 懐かしい声に名前を呼ばれ、振り向く。そこには久しぶりに会う司の姿があった。
「待たせてしまったね。ごめ……」
 私は司の唇に指を当てると「謝っちゃダメ」と言った。
「忙しいのに時間作ってくれたんだもの。謝ることないわ」
 司はなぜか真っ赤になってたじろいでいた。
「それにね、待ってる間は新しいお話を書いていたから全然退屈しなかったのよ」
「今はどんな話を書いてるんだい?」
「ライオンに乗った王子様が、海の中のお城にやって来て……」
 人類が石化光線に怯えなくてよくなってから、私は憧れだった作家になって、ルリ様の伝えてくれた百物語を本にしたり、童話を書いたり、千空とホワイマンたちの話を書いたりして暮らしている。一方司は、治安維持のために世界中を飛び回っていて、とても忙しい日々を送っていた。
 今日は久しぶりに帰国した司に会おうと誘われたのだ。忙しいだろうし、未来にも久しぶりに会うのだからわざわざ私に時間を割かなくてもいいのに。
 私と司の接点は、それほど多かった訳ではない。司が地球の裏側に行く前に少し話して、再会してからも少し会話をすることはあったが、司にはもっと親しい友人たちがいると思うのだけど。千空たちも誘おうと提案したら、断られてしまった。
 司が予約してくれたお店は私でも入りやすいお値段と敷居のところで、私はほっとしていた。司くらいの人になるともっと高級なものを食べていてもおかしくないけど、やっぱりそういう場所はまだ苦手なんだろうか。個室でお互いの近況などを報告しながら飲んで食べて、早々におなかいっぱいになった私は司の食べっぷりを眺めていた。次回作は、なんでも食べ尽くしちゃう男の話とかどうかしら……。いつの間にか空想の世界に入っていた私は司に名前を呼ばれているのに気づいて顔を上げた。
「……今日は、伝えたいことがあるんだ」
 少し険しい顔をした司に、「なに?」と訊く。
「俺と、付き合ってほしい」
 司から告げられた言葉は、私を静かな驚愕に包んだ。
「……それは、どこかに、という意味ではなく、交際、という意味?」
 頷いた司に、私はううんと考え込んだ。
「……やっぱり嫌か」
 静かに悲哀を噛みしめるような顔をしている司を見て、私の胸は変な音を立てた。
「……あなたが嫌なわけじゃないの。でも、『お付き合い』っていうのが、私にはまだ、よく分からないのよね」
 石神村では、親あるいは本人たちが決めた相手と結婚するのが当たり前で、結婚の前に交際期間など設けられることはなかった。結婚の一番の目的は子孫を残すことだったし、今はもうそんな時代じゃないのだと分かってはいるけど、『お付き合い』というのがいまいちピンとこないのだ。
「……それに、生きていた時代が違う私たちは、『お付き合い』ひとつでもこれだけ認識が違うでしょ。そういう違いが結局あなたを傷つけることにならないかと思ったのよ」
 正直にそう伝えると、司は少し考え込んだ。慎重に頭の中で言葉を選んでいるようなその姿に、私は黙って司の言葉を待った。
「……そういうことなら、大丈夫だと思う」
「そう?」
「俺がいてくれてよかったと、そう言った君なら、大丈夫だと思うんだ」
 決して充分な言葉ではなかったけど、そう言う司を見て、なんだか可愛いと思った。おかしいわよね、彼は可愛いというよりかっこいい人なのに。
 ふと、以前ルリ様とコハクちゃんに会った時の会話を思い出す。コハクちゃんがルリ様にクロムとの関係を聞き、クロムのあまりの無神経さに呆れ、「もうクロム以外を探した方がいいのではないか?」と冗談半分に言った。そんなコハクちゃんに対してルリ様は「……でも、そういうところも可愛いと思ってしまうんです」と言った。まるで花がほころんだような微笑に、コハクちゃんが「愛だな」としみじみと呟いた。
 ああ、もしかしてこれが、ルリ様のあの気持ちなのだろうか。こんな、擽られているようなそわそわした気持ちが。
 ……まあ、悩むのは壁にぶつかったときでいいか。まずは試してみたらいい。トライアンドエラーだ。
「いいわよ」
「えっ」
 自分から告白しておいて驚いた様子の司は、承諾されたというのに「いやでも」と反論した。
「俺は法の裁きを待つ身だ。君も俺が石の世界で何をしたか知っているだろう」
「千空がタイムマシン作ってるから大丈夫よ」
「そういう問題じゃ……」
「もう、私と付き合いたいの付き合いたくないのどっちなの!」
 焦れてそう訊くと、司は視線をテーブルの上にさまよわせながら、小さな声を零した。
「……俺は……もう二度と大切な人を手離したくなくて……君のためを思ったら言うべきじゃないってことは分かっているんだ。でも……そうやって躊躇っている間に君と二度と会えなくなるかもしれないと思うと……」
「……あなた、私のこと愛してるのね」
「えっ」
 あの獅子王司が顔を赤くしてオロオロしている姿を、私以外の誰も見たことがないと思うと、やっぱり可愛い、と思ってしまって。
「ね、もっと教えて。あなたのこと」
 私は司の手をぎゅっと握ると、彼の落ち着いた色の瞳を見つめた。


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