「ん」で終わらないしりとり
- お酒の入ったコップを見下ろすと、それを包むように握っている指先が白くなるほど力を込めていたことに気づいた。自分の手もコップも、見たところで面白くはない。けれど、顔を上げることもできないのでそうするしかなかった。
目の前には射すくめるように私の顔をまじまじと見ている「果物屋のシンさん」がいる。ひしひしと圧を感じながら透明度の低いお酒の水面を眺めて、私は来るんじゃなかったと過去の自分の選択に後悔のため息を吐いていた。
恋人の有無を聞かれ、正直にいないと答えると、同僚に合コンに誘われた。
「私はいいよ。今は仕事に集中したいから」
「今からそんな枯れたこと言ってどうするの! べつに欲しくないわけじゃないんでしょ?」
「まあ……」
渋々そう返すと、同僚はあの手この手で私を誘ってきた。どうやら欠員補充できないと会自体が流れてしまうらしい。
「もしかしたら、仕事に理解あるめちゃくちゃタイプの人がいるかもしれないでしょ? 参加だけならしてみても損はないんじゃない?」
「うーん……」
最近忙しかったから飲み会に顔を出すよりも家でゴロゴロしていたかったが、同僚たっての願いだし、彼女の言うことももっともなので、私は貸しの一つくらいの気持ちで安易に承諾してしまった。
確かに、ハンターの仕事について理解してくれて、顔もタイプで、たまに寂しい夜なんかに一緒にドライブをしてくれるような、そんな相手がいてくれたら……それは願ったりだった。もちろんそれは「最高」に近い選択肢の一つで、現実にそんな都合のいい相手が現れるとも思えないが、行動しないと出会うものにも出会えないこともまた事実だ。
ちなみに、「最高に近い」と言ったが、私にとっての「最高」の選択肢はシンだ。
シンはまずなんといっても顔がいいし、強いし、わりと放任主義だけどここぞという時には手を貸してくれるし、共通の趣味もあって一緒にいるのも楽しいし、唯一無二の歌声をもっているという欠けることの美も備えた、ある意味での完璧人間なのだ。
ただ、完璧だからこそ彼は最初から対象には入っていない。そもそも相手は暗点のボスで、シンにとって私は彼の言葉通り子猫のようなもので、シンはわざわざ私を相手にしなくても引く手数多で、彼と私ではまず立っている土俵が違う。アイドルと本気で付き合えると思わないのと同じようなものだ。
だから今日、ここに来たのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
もしも今シンと二人きりだったら、「あなた、いつの間に虫眼鏡になったの?」と聞いていただろう。それくらいシンの視線が熱い。このままだと発火してしまいそうだ。
ひたすら俯いてちびちびとお酒を飲んでいると、テーブルの下でこつりと爪先を蹴られた。小さく嘆息してシンを睨むと、彼は呆れたような顔で私を見ていた。本当に呆れているのか、心中では楽しんでいるのか分からない。
私以外の女の子はシンの美貌に釘付けになっていた。矢継ぎ早に繰り出される質問もシンはのらりくらりと躱している。
絶対に一次会で帰ろう。本当は今すぐにでもここから抜け出したい。さっきからお酒を飲むことしかすることがないのでほとんど空になってしまったコップにまた視線を落とした。
「おかわり頼む?」
メニューを差し出され顔を上げると、シンに女の子たちを奪われてしまった男性陣の一人がこちらに身を乗り出していた。
「いえ……これ以上飲んだら悪酔いしてしまうので」
「今日くらいいいじゃん」
なかなか甘いマスクの、新人俳優みたいな顔の優男だった。シンさえいなければ人気者だっただろうに、と心中で手を合わせる。まあ、私はもう少し精悍な顔つきの人のほうが好みだ。
「一人で帰れなくなるので……」
「俺が送ってあげるから飲んだら?」
「結構です」
取り付く島も与えずに対応していると、男は顔を引き攣らせた。
「ハハ……君って隙がないね。女の子はもう少し隙があったほうが男にモテるよ?」
参加した合コンで知らない顔の男に女の子たちを掻っ攫われて、一人売れ残っている女にもつれなくされたのでは嫌味の一つでも言いたくなる気持ちは理解できる。
「私は女の子の隙につけ込むような男に興味はないので問題ありません」
しかし優しくしてやる義理もないので、ダメ押しにそう答えると、男は完全に閉口しそっと乗り出していた体を引いた。目の前のシンが声も出さずに小さく笑う。女の子たちがその笑みに見とれている間に、私は黙々と大盛りのポテトを口に運んだ。
一次会が終わり、シン以外の男性陣は早々に帰ってしまった。私も同僚に帰る旨を伝えると、家の方向に足を進めた。
不完全燃焼感だ。どこかで飲み直そうかな。このあたりにいいお店はあったっけ。
「私、これから飲み直そうと思うんだけど」
そう呟くと、いつの間にか隣にいたシンは「いつから気づいていた?」と言った。
「あなたの尾行は完璧だったよ。ただ、シンなら絶対についてきてるだろうなと思っただけ」
「それはそれは」
肩を竦めたシンは、「酒か、飯か」と端的な二択を提示した。
「うーん……ポテトしか食べてないからご飯もちょっと食べたい」
「ならこの先の店に行くか」
「何屋さん?」
「創作料理だ」
シンの先導で訪れたお店は、こぢんまりとした小さなお店で、敷居が高すぎて萎縮してしまうようなところではなかった。ほっとしながら個室でシンと向かい合い、この奇妙な打ち上げの一杯目を飲んだ。
「おいし〜」
さっきまではセーブして甘いカクテルしか飲んでいなかったから、少し度数の強いお酒を煽った私は恍惚のため息を吐いた。
シンが適当に頼んだ料理はどれも美味しくて、こういうセンスまで良いんだからと無性に負けた気分になる。むしゃくしゃしてもりもり料理を食べ、ごくごくお酒を飲む私を面白そうに眺めたシンは、「それで、ハンター殿は伴侶をお求めなのか?」と聞いた。
「どうせ知ってるんでしょ」
「なんのことか」
私はむくれながら、「私は数合わせですよ」と呟いた。
「果物屋のシンさんはモテモテでしたけど!」
「残念ながら目当ての女性には目も合わせてもらえなかった」
「こんなところまで来て私の邪魔して、楽しい?」
呆れたようにため息を吐きながらそう言うと、一瞬でシンが放つ空気がピリピリとひりついた。
「……俺が不快に思っていないとでも?」
「どうしてあなたが怒るのよ」
しかしその空気はすぐに霧散し、シンはいつものようにからかうような口調になった。
「こんなに同じ時を過ごしているのに、俺に一言もなく男漁りとはつれないなと思っただけだ」
「まさか、私に彼氏ができたら遊び相手がいなくなるのが寂しいの?」
揶揄を含んだ声音でそう言うと、「半分当たりだ」と返された。
「お前と会う時間が減るのは、寂しい」
すっと目を細めながらそう言われて、私は息を飲んだ。珍しく素直な物言いにドキドキしてしまった。もう少しその顔の殺傷能力を理解してほしい。
「だからって私を行き遅れにしようとするのはやめて」
「じゃあお前はどんな男が所望なんだ?」
「ええ……? えっと……顔が良くて、お金持ちで、ハンターの仕事を認めてくれて、適度に放っておいてくれて、でも私が構ってほしい時に構ってくれて、趣味が合って……」
指折り数えるが、この条件に合致する男が、いったい人口の何パーセントいるんだろうと自分でも呆れた。
「……あと、私より先に死なない人」
そう締めくくり、鶏肉の煮物を頬張ると、「なかなかいい目だ」と言われた。
「そう? じゃあこの条件に合うスーパーマンに心当たりがあったら教えてね」
「奇遇なことに、一人だけ心当たりがある」
「へえ?」とシンに続きを促すと、「お前の目の前にいる」と言われた。
「それはそうだけど……シンは禁止カードでしょ」
呆れたように言うと、シンは眉間に皺を寄せて「いったい誰が禁止したんだ?」と目頭を押さえた。
「だって、シンは暗点のボスで、私はハンターで、ていうかそもそもシンの恋人なんて、私じゃ力不足すぎるよ……」
こんなことを私に言わせないでよね、という気持ちを込めた息を吐きながら小さく首を振ると、「それだけか?」と聞かれた。
「俺がお前の恋人になる上での懸念事項はそれだけか?」
「え……」
「お前が俺を恋愛対象として見れないとか、生理的に受け付けないというわけじゃないんだな?」
私がパチパチと瞬きをしていると、シンが手を伸ばして机の上に置いていた私の手を握った。
「じゃあ……『暗点のボス』の俺が、お前の恋人に立候補したいと言ったら、どうする?」
引き寄せた私の指先に唇を押しつけ、じっと私を見つめるシンに私は混乱した。
「どうするって……」
だってそんなの、しりとりで言ったら「ん」で終わる単語のようなもので、だから、私は、最初からその選択肢を考えてもいなかったのに……
その口ぶりじゃ、まるでシンが私のこと……
赤くなった顔の熱を冷ますために、私はシンの手を振り払うとお酒の入ったコップを掴んで一気にその中身を煽った。
「いいのか? 一人で帰れなくなっても」
どこか楽しそうにシンはそう言った。だって、シンなら大丈夫だし……いや、大丈夫じゃないんだっけ?
考えないためにお酒を飲んだのに、結局思考はさっきカミングアウトされたことに戻ってきてしまった。
「ああ、でもお前は、酔った隙につけ込むような男は願い下げだったな」
完全に私をからかう口調のシンが、わざとらしく片眉を上げる。
「どうやったらお前のことを口説き落とせるのか、ご教授願えないか?」
私はお酒のせいだけじゃない顔の火照りを感じながら、歯噛みして目の前の男を睨んだ。
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