SAN値押し売り



「これは最終チェックで見逃した俺の責任だよ」
ポン、と肩を叩かれ、私は緩慢に頷いた。雷蔵は、「今日はもう休養室で休みな」と私の背中を押した。

ボーダーは私の憧れだった。しかし残念ながら私はトリオン能力に恵まれず、戦闘員になることはできなかった。それでもエンジニアという形でボーダーに携われていることは、私の誇りだった。最近、やっと一人でトリガーの調整を任されるようになった私は、少し舞い上がっていたのかもしれない。私が調整したトリガーに不具合が生じた。ほんの些細なバグは、A級隊員の腕を奪い、連携に綻びを生じさせた。不幸中の幸いで、防衛任務には支障は出なかった。A級隊員は片腕を失ったくらいではびくともしなかった。でも。
──もし、これが大規模侵攻や遠征中だったら……
誰かの命にかかわっていたかもしれない。
トリオン体なのにじわりと視界がぼやけて、涙腺機能もオフにできればいいのにと思った。
「おい」
今は聞きたくない厳しい声が休養室の扉の外からして、きっと雷蔵の仕業だなと雷蔵を恨んだ。
「今着替え中だから入ってこないで」
そう言ったのに風間は臆することなく休養室に入ってきた。こいつ。私は休養室のベッドの上で三角座りをしたまま、顔を上げなかった。風間は私の隣に座った。ああ、嫌だな。怒られるだろうな。A級のトリガー調整ミスだもんな。いつもいつも風間は徹夜をするなとかゼリーは飯じゃないとか遊び半分で実験するなとか私を叱る。いつもはうるさいと思いながら、ちゃんとありがたいとも思っている。でも、今それを聞いてしまったら、自分がどういう挙動をするか分からなかった。
しかし、風間は黙りこくっていて、待てど暮らせどお小言は飛んでこなかった。
「……怒らないの」
怒られたいわけじゃないのに、ついそう言ってしまう。
「俺が叱るのはおまえが自分で分かっていない時だ。今のおまえは自分で反省しているだろう」
「……じゃあ、何しにきたの」
「なまえを一人にさせないためにだ」
こいつ。風間蒼也という男はこういう男だった。
結局私の涙が枯れるまで、風間は私のそばにいた。
「雷蔵が今日はもう帰っていいと言っていた」
「……うん」
ボーダーにもいたくないけど、帰りたくないなあと思いながらのそりと立ち上がって、換装を解く。
休養室を出ると、嗅ぎ慣れた煙草の匂いがした。
「メシいくぞ」
廊下の壁にもたれていた諏訪に髪の毛を乱暴に掻き混ぜられ、頭が揺れる。
「……お腹空いてない」
「レイジがもう席取ってんだよ。オラ、行くぞ」
諏訪は雷蔵にも声をかけ、私の腕を引っ張った。それを振り払う気にもなれず諏訪についていくと、廊下でばったり米屋くんと出会った。私が、トリガーの調整ミスをしてしまった、その人だった。
「米屋くん……さっきはほんとにごめんね」
「いや〜マジで気にしないでください。ほとんど俺の不注意なんで。秀次にも怒られたし」
米屋くんはあっけらかんとしている。それでもトリガーの不具合がなければ……という思いは消えない。私はもう一度深く頭を下げた。
「……ていうか、逆に感謝しなきゃいけないくらいっすよ。オレの注文にいつもすぐ対応してくれて。いつもありがとうございます」
私は言葉を失った。もちろん米屋くんがそんな子じゃないことはわかっているが、責められこそすれ、お礼を言われるなんて思ってなかった。
「……だとよ」
諏訪は小さく笑って私の背中を小突いた。米屋くんと別れて、今度は自分で、諏訪についていく。その、見かけによらず気配り上手な男の背中を見ながら、あのタイミングの良さはもしかしたらこの男に全部仕組まれていたのかもしれないななんて思った。

よく利用する居酒屋に入ると、レイジが座敷席で待っていた。店員を呼び、飲み物と食べ物を注文するレイジに、「ウーロン茶がいい」と言ったのに生を注文された。こいつ。
運ばれてきたビールも食べ物も、いつもなら両手を挙げて喜ぶのに、今日はあまりそそられない。
「……飲んでいいよ」
ビールのジョッキをレイジに差し出すと、「飲め」と返された。もう、なんだってんだ。今日の私はそんな気分じゃないのに。ヤケクソになってグイッとジョッキを煽ると、今度は取り皿に唐揚げを乗せられる。
「太っちゃうじゃん」
「なまえが太っても誰も気にしないから、大丈夫だ」
こいつら。

いつも通り、大学やランク戦のことなど、とりとめのない話をして、皆明日も大学やら任務があるからと、早い時間に解散となった。
風間を諏訪が、私をレイジが送るいつもの流れになって、レイジと二人で歩いていた。
「……ねえ」
優しい友人たちのおかげで、少しだけ私の頭は明瞭になっていた。
「叱ってよ」
レイジはミネラルウォーターを傾けながら、ちらりと私を見た。
慰めや優しさはもう十分もらった。
「明日からまた頑張れるように、これじゃダメだって誰かに叱ってほしい」
もちろん、レイジが優しくないわけじゃない。でも、結局叱責はレイジのものが一番私に響くのだ。
「……そうだな」
レイジは真っ直ぐ前を向いたまま言葉を紡ぐ。
「起きたことは撤回できない。後悔するなとも言わない。だが、後悔するだけじゃなくこの失敗を次に活かして意味のあるものにしろよ」
「……うん」
「俺たちは……ボーダーはそうやって強くなってきたんだ」
「うんっ……」
今日の月はいつもよりぼやけて見える。私はグッと顔を上げて洟をすすった。後悔は消えない。それでも明日からまた頑張れそうだと思った。



感想はこちらへ