きみのおとがうつる



私は鬱々とした気分でボーダー基地内の廊下を歩いていた。本当は今日はオフのはずだったのに、断りきれずシフトを代わったら、今日はやけに門が活発で疲れきった。今日で何連勤目になるんだっけ。ああ、帰ったら課題もちゃんとやらなきゃ。
……疲れたな。本当は今すぐ帰ってふかふかのお布団で寝て、明日の学校や任務を放り出したい。でも、私にそんなことができるはずがなかった。自分の性格なら自分がよく分かっている。八方美人で誰かに嫌われるのが怖い小心者。だからこうやってストレスを溜めてしまう。本当の私は、みんなが言うような「いい子」じゃないのに……
フラフラしていたのが目についたのか、前方の自販機で飲み物を買っていた菊地原くんに声を掛けられた。
「今日非番じゃなかったの」
「あ、菊地原くん。友達に予定が入って……」
「それでまた代わったの。ほんとお人好しだね。都合よく使われてるだけじゃないの」
菊地原くんとは、学校で同じクラスになってから話すようになった。最初は嫌味っぽい話し方が苦手だったのだけど、彼の根底は私なんかよりよっぽど「いい人」だ。今の言葉だって、私を心配してくれているのだろう、多分。それでも彼の言葉がちくちくと心に刺さって、私の気持ちはまた沈んだ。今は綿あめみたいにふわふわした甘い言葉しか聞きたくないのに。
「みょうじさんってさ、誰の前でも愛想よくてすごいね。疲れない?」
また、嫌味のようにそう言われて、図星を突かれた私は気づいたら声を張り上げていた。
「うるさい!本当の私を知らないくせに……!」
ハッと気づけば菊地原くんが冷たい目で私を見ていて、私は体の中でさあっと血の気が引く音を聞いた。ああどうしよう。菊地原くんに怒られる。嫌われる。怖い。
「だからそれを顔に出さずにいられるのがすごいって話なんだけど」
しかし、ムスッとした菊地原くんにそう正され、私はじわっと滲んだ視界を慌てて両手で覆った。菊地原くんの言葉が胸に滲み渡っていって、泣いているうちに体が温かくなった。
「ちょっと。ぼくが泣かせたみたいじゃん。困るんだけど」
そういうわりに離れていかない菊地原くんの前で一頻り涙を流しきってしまうと、あんなに鬱々としていた気持ちがすっかり晴れていた。
「……何飲むの」
菊地原くんがため息をつきながら自販機にお金を入れる。
「い、いいよ、自分で買う、から……」
「あんだけ泣いたんだから水分補給しなきゃ死ぬよ」
わざとからかうようにそう言う菊地原くんに、顔を赤くしながらおずおずとお茶のボタンを押す。
「……菊地原くん。あした、学校で、今度は私に奢らせてくれる?」
「学食の一番高いやつごちでーす」
私が小さく笑うと、菊地原くんもふっと笑った。こんな小さな約束一つであれだけ嫌だった学校にも行く理由ができて、少しだけ体が楽になった。



それ以降、菊地原くんが前より声を掛けてくれるようになった、気がする。そういう時は自分でも無意識に色々と溜め込んでいる時で、菊地原くんってもしかしたらメンタルセラピーのお仕事とか向いてるのかも、と思った。好きな人に定期的に話し掛けてもらえるのだから、私にとっては得しかない。
「……また頼まれたの」
山盛りのファイルを資料室に運んでいる途中に出会った菊地原くんに呆れたようにそう言われ、私はへらりと笑った。
「菊地原くんは優しいね」
半分手伝ってくれる菊地原くんにそう言うと、「それはそっちでしょ」ってまたため息をつかれながら返された。資料室までファイルを運び終わって、菊地原くんにお礼を言おうと振り向くと、手首を掴まれた。
「え……」
「前から思ってたんだけど、みょうじさんってこんなに心拍速かった?具合でも悪いの」
「へ、え?だ、大丈、夫?」
「また無理してんじゃないの?」
ぶんぶんと顔を振った私はじわじわと顔が赤くなっていくのを感じていた。
「も、もしかして菊地原くん、心臓の音、とかも聞こえるの……?」
「近くにいる人のはね」
私はギュッと目を瞑って羞恥に耐えた。菊地原くんと話してる時だいたいドキドキしてたの本人にバレてた……。そりゃ声掛ける回数増えるよね。私が勝手に菊地原くんが傍にいたらドキドキしちゃうんだから。なにこれ恥ずかしい。
「大丈夫、です……」
蚊が鳴くような声でそう言ったけど、菊地原くんは疑うようになかなか解放してくれない。それにこのままだと永遠に同じことの繰り返しだ……と思った私は腹を括った。
「こ、これは!菊地原くんと一緒にいるからだから、大丈夫!」
私はそう言って菊地原くんの手を外すと「わ、私この後ミーティングだから、行くね!」と逃げ出そうとした。しかしさっきよりも強い力で今度は二の腕を掴まれて、逃げられなかった。
「そんなバレバレの嘘、聞き分けられないと思ってるの」
聞き分けられたとしても今は見逃してほしかったな……と思っていると、菊地原くんに腕を引っ張られた。
「……困るんだよ。この前からみょうじさんの音が消えなくて」
ムスッとした菊地原くんは、私の手を自分の胸に当てた。そこから伝わる鼓動は、私のと同じくらい速い。
「キミの音が移って、困ってるんだけど。どうしてくれるの」



感想はこちらへ