二宮くんのしっぽ



恋人とのデート帰りだというのに、私の気分は地面にめり込んでしまうくらい落ち込んでいた。デート自体は総括して楽しかったと言えるけど、今日も二宮くんに「可愛い」と言ってもらえなかった。むしろダメ出しを受けてしまった。
今日はざっくり胸元の開いたシンプルなシャツを着ていて、あまり露出が多いのも良くないかと思いデコルテにレースのついた見えても良いキャミソールを中に着ていたのだが、「品性を疑われるような服を着るな」と怒られてしまった。前回は柄物の服を着ていて、「なぜ不必要に目立つ」と言われたから、今回はできるだけシンプルな服にしてみたのだが、また空回ってしまったらしい。
二宮くんの隣に立つのに恥ずかしくないように、デートの時は毎回毎回私なりに悩んで服を選ぶのだけど、二宮くんの趣味とはことごとく合わないらしく一度も褒められたことはない。別に褒められなくたっていいけど、毎回苦言を呈されるから、そこは修正しなきゃいけないなと思う。でも、あまりにも毎回怒られちゃうから最近は服を選ぶことや二宮くんとのデート自体が怖くなってきてしまった。どれだけ頭を悩ませても明日はなんて言われるのかなと考えると、身が竦む。明日こそ、こんなに趣味の悪い女は必要ないと捨てられるんじゃないかと不安になる。好きな人から不満を漏らされるのは、かなり心にくるのだ。



柄物じゃない、不必要な露出もない、シックな色合いの服を着て、今日こそこれでどうだ!という気持ちでデートに臨む。待ち合わせ場所に居た二宮くんは私の服装について触れなかった。最初こそやった、とうとう二宮くんに何も言われなかった!……と、舞い上がっていたのだけれど、そもそもこの程度で喜んでること自体がおかしいんじゃないか、という気がして、私はまた落ち込んでいた。……やっぱり、私なんかじゃ二宮くんと付き合うこともろくにできないんだろうか。
そんな気分で二宮くんの歩調に合わせていた私は、一時間後には痛む足を引き摺っていた。買ったばかりの靴だったから靴擦れを起こしてしまった。最初は我慢しようと思っていたのだが、痛みは歩くたびジンジンと響いてくる。せっかく買ったばかりの靴を血で汚したくないと思った私は、とうとう二宮くんを呼び止めた。
歩道の花壇に腰掛け、足に絆創膏を貼っていると、二宮くんのため息が頭上から聞こえてきた。
「……なんでそんなに機能性のない靴を履くんだ」
そこで私の中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。絆創膏のゴミをくしゃりと握り締める。せっかく何時間もかけてメイクをしたのにじわじわと涙が溢れてきて、表面張力でも押しとどめられなかった涙がついにぽたりと膝に染みを作った。その瞬間、私の中で悲しみが怒りに変わって、二宮くんをキッと睨みつけた。こんなの完全に八つ当たりだって、頭の隅では分かっているけど、止まらなかった。
「二宮くんに可愛いって思ってほしいからに決まってるでしょお!!」
いきなり泣きながらどやしつける私に二宮くんは目を丸くした。ああ、せっかく今まで二宮くんの前ではいい子にしていたのに。早く謝らなきゃと思う気持ちもあるけど、今は涙が止まらない。
「う゛う〜〜……」
唇を噛み締めて唸り声をあげていると、二宮くんの方から「……悪かった」と謝ってきて、少し驚いた。なんで二宮くんは謝るの?怒ってるんじゃないの?じゃあなんでいつもダメ出しするの?様々な疑問で頭の中がごちゃごちゃになって疲れた。泣いている私を宥めるように二宮くんが優しく頭を撫でてくれる。その行動にびっくりして、私はまだこの人のことを何も知らないし、二宮くんだって私のことを知らないんだと思うと涙は止まっていた。開き直った私は洟をすすりながら二宮くんに絆創膏を貼ったばかりの足を突き出した。
「……二宮くんが履かせて!」
私は怒っているんだぞ、という精一杯のポーズだった。内心では、怒られないか、愛想を尽かされないか不安でいっぱいだったけど。
二宮くんはその場に膝をつくと私の足をそっと持ち上げ、自分の膝に乗せた。私の靴を手に取るとゆっくりと私の足に靴を滑らせる。
まさかそこまでしてくれるとは思わなくて、私は動揺していた。まるで童話の中の王子様みたいな二宮くんに目が釘付けになる。
「……ねえ、二宮くん、跪きながら女の子に靴履かせるの初めて?」
「あると思うのか?」
当たり前だと言わんばかりに眉を寄せながらそう言う二宮くんに、私のちっぽけな怒りはどこかに吹き飛んでいった。
「……そっか」
小さく笑った私を見てホッと息を吐いた二宮くんは「今日はもう帰るぞ」と言った。
「まだカフェ行ってない」
「また今度にしろ。怪我がひどくなったらどうする」
帰るにもタクシーを呼ぶという二宮くんは、もしかしたら過保護なのかもしれない。

少しだけ気が大きくなっていた私は、タクシーの中で二宮くんに「まだ離れたくない……から、家に来てくれる?」と訊いた。そうしたら二宮くんは、いつも通りの声で「わかった」と言った。いつも通りというのは、怒っていない声でという意味だ。
私はホッと胸を撫で下ろしながら、そういえば今までも、二宮くんが私の提案を具体的な理由もなく断ることはなかった、と考えた。だから、私のことが嫌いとか、怒っているとかじゃないんだ、きっと。まだ二宮くんの考えていることはよくわからないけど、私は少しだけ掴みかけた二宮くんのしっぽを離さないために必死だった。



機械音の源である携帯電話の液晶をタップし、アラームを止めた。まだ早朝と呼べる時間で眠いけど、のそりと起き上がる。ここでまた目をつぶったらもう起きれないと分かっているから、眠気を感じるより先に体を動かしてしまうのだ。するとお腹にするりと回った手に引き留められた。
「……早すぎるだろう」
「起こしちゃったね、ごめんね」
囁くくらいの声量でそう言うと、「私準備に時間かかっちゃうから、まだ寝てて」と隣で寝ていた二宮くんの頭を撫でた。
床に足を下ろすと、背後で二宮くんが起き上がる気配がした。
「……俺も起きる」
絶対に時間持て余しちゃうよ、と伝えても二宮くんの意志は固く、結局二人でまだ暗い中起き出したのだった。
簡単な朝食を摂って、顔を洗うとまずはメイクから始める。私は特に手先が器用なわけでもメイクが上手いわけでもないから、いつもすごく時間がかかってしまう。下地にコンシーラーにファンデーションに仕上げのパウダーにと何層にも重ねて肌を作っていると、私の様子を見ていた二宮くんに「まだ塗るのか」と呆れたように言われた。
「うん……この方が綺麗になる気がする……」
決してやればやるほど良いというわけではないことは分かっているけど、鏡と睨めっこしながら顔を整える。アイメイクに取り掛かり、下地の上に何層にもアイシャドウを塗り重ねる。二宮くんは「まだやるのか」と言わんばかりの顔だ。だから寝てていいって言ったのに。アイラインを引いて、鏡の中の自分を見つめる。
「……なんか気に入らない。やり直す」
そう言って洗面所に向かうと「まさか最初からか」と信じられないというような声が追いかけてきた。
「そのための早起きだもん」
そう言うと二宮くんは絶句した。化粧をすべて落とし、もう一度初めから何とか納得のいく顔を作り終えたころには外はもうすっかり明るくなっていた。
「よし!服選び!」
クローゼットを開けて服を吟味する。この間はこの服だったからこれは除外で……このワンピースは、このスカートもいいかも、ならこの服を合わせたらどうかな……と気になった服を片っ端から手に取ってはベッドに投げていく。
「そんなに出してどうする。着るのは一着だけだぞ」
壁に凭れて立ちながら当たり前のことを言ってくる二宮くんに、「全部試すの!」と言うと、二宮くんは今日二度目の絶句をした。
まずワンピースを着てみて、少し薄着かなと思って、このワンピースに合う上着がないからワンピースは脱ぐ。次にタイトスカートを着てみるが、最近食べすぎていて体のラインが気になるからこれも脱ぐ。その後もデニムパンツを手に取ってはカジュアルすぎるかなと思ったり、ニットを手に取ってはこれは季節感がと思ったり、何種類も服を合わせては頭を悩ませる。
「……ねえ、二宮くんはどんなのがいい?」
「おまえが好きなものを着ればいい」
「……ダメ出しするくせに」
少しやり返したい気持ちでそう言うと二宮くんはピクリと体を固まらせた。
「……考えを改めた。好きなものを選べ」
「考え?」
服の山の中でそう聞き返すと、二宮くんは「俺が目を離さなければいい話だ」と言った。
「……それって話の流れと合ってる?」
首を傾げながらそう言うと、「いいから早く選べ」と促された。結局以前怒られたオフショルダーのトップスにフレアスカートを合わせたが、二宮くんは今度は怒らなかった。
「ごめんね!時間かかっちゃって……」
時計の針はもう昨日予定を立てた出発時刻を指している。ため息まじりに「行くぞ」と言った二宮くんに申し訳なく思いながら「髪の毛のセットがまだなの」と言うと、今日三度目の絶句を見た。



すべての支度が終わって、二宮くんの前でくるりと回る。
「お待たせ!……かわいい?」
少し期待してそう聞いてみるが、二宮くんはそれに答えるかわりに「毎回こんなことをしているのか」と聞き返した。
「うん。だから一度くらい可愛いって言ってくれてもいいじゃん」
拗ねたような声でそう伝える。自分がやりたくてやっていることなのに押しつけがましい女だという自覚はあるが、本心には違いなかった。
「……身につけるものでおまえの価値が変わるとは思えない」
「……じゃあなんでダメ出ししてたの?」
心の底から疑問に思ってそう聞くと、二宮くんはまた答えずに、嫌そうな顔をして「行くぞ」と私の手を引いた。
「待ってよ!」と言いながら、私は少しだけ分かりそうで分からない二宮くんの背中を見つめた。

以前行けなかったカフェに向かう道中、前方から男の人が歩いてきた。ぶつからないように少し二宮くんの方に寄ろうと思っていると、グッと肩を引き寄せられた。
「っ、二宮くん?」
二宮くんの大きな手が私の肩を覆っている。こんなこと初めてされるから、ドキドキしながらも不審に思って二宮くんを見つめた。二宮くんはシーンと聞こえないふりで、私を一瞥もしない。そうだ、二宮くんはきっと教えてくれない。そういう人だ。だから、自分で考えるしかないのだ。分かってはいるけど……そうやって考えると、私は自分に都合のいいようにしか考えない、から。
たとえば、二宮くんって結構嫉妬深い人なのかな、とか。今までのダメ出したちは全部「俺以外に見せるな」って意味なのかな、とか。そんなこと、二宮くんは思っていないのかもしれないけど、これでいいのだ。思い詰めるより、こうやって自分勝手に思い込んでいるくらいが、二宮くんと付き合う上ではよっぽどやりやすいのだと、最近になってようやく気づいたから。だって二宮くんは何も言わないから、その無言に込められた意味を勝手に想像するくらいは、許してよ。
ふふふと笑って上機嫌に二宮くんの手に自分の手を重ねると、二宮くんはまた嫌そうな顔をして私を見た。



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