初めての前日



既に何度かお泊まりをしたことがある二宮くんの部屋。完全に自宅のようにくつろげるかと言われればそんなことはないのだが、それでも初めての時よりはずっと慣れてきた方だと思う。部屋のどこに何があるかも、少しずつ分かってきた。初めてお泊まりをしたときはそれはまあ緊張したものだが、二宮くんは私のペースに合わせてくれているのか、今日に至るまで踏み込んでは来なかった。それが有難いような歯痒いような複雑な気持ちを抱えて、私はグラスを小さく傾けた。ワイン特有の酸味と渋味はやっぱりまだ慣れない。私は隣の二宮くんを見た。
「飲める?」
「ああ」
「美味しい?」
「進んで飲もうとは思わない」
「私も」
苦笑しながらグラスをくるくると回してみる。貰い物のワインを一人では持て余してしまうからと言って、二宮くんと飲むことを口実に現在お泊まりをしている。
「コーラで割ると美味しいんだって」
二宮くんの家に来る前に寄ったコンビニで買ったペットボトルを取り出す。しゅわしゅわと弾ける炭酸をグラスに注いで、コーヒー用の使い捨てマドラーで掻き混ぜた。一口飲むと、確かにコーラの辛味でより飲みやすくなった気がする。グラスを二宮くんに手渡すと、二宮くんもグラスを傾けて中身を口に含んだ。
「好き?」
「さっきよりは」
代わりに二宮くんのグラスを受け取って、自分用にカルピスで割ったワインを作る。私はこっちの方が飲みやすい。
二宮くんの家にあったジンジャーエールで割ってみたり、これもまたコンビニで買ってきた冷凍フルーツを入れてみたり、色々な味変を試しながら、ぽつぽつとどうでもいいことを話して休日の夜を過ごす。
色々と足すことでだいぶ飲みやすくなったのと、色々な味を試したことでいつの間にかワインの瓶は空になっていた。こんなに飲んだんだ、と思うと急速に酔いが回ってきた気がした。あまりお酒に強いわけではない私は顔が熱くなって、ふわふわと自分の気分が高揚しているのを感じた。
そういえばふたりきりでお酒を飲むのは初めてだ。同期のみんなでお酒を飲んだことはあるけど。その時にも思ったけど、お酒を飲んだ状態で見る二宮くんはいつもよりなんだかキラキラが増している気がする。かっこいいなぁ。
酔っ払いの頭は脈絡がない。私はふと、そっかと思った。今日はお泊まりできるから、二宮くんと寝るまでずっと一緒にいられるし、明日の朝も起きて一番に会えるんだ。そう思うと嬉しくて私は二宮くんの手を取った。
「どうした?」
ふたりで居るときの二宮くんの声は、いつもより少し優しい。
「今日いっしょに寝てくれる?」
「いつも寝てるだろう」
喜びのままに二宮くんの手をぶらぶらと横に揺らす。二宮くんは私のやることに関して、案外嫌がらない。衝動に突き動かされて、私は二宮くんに抱きついた。
「ぎゅうして寝ようね」
二宮くんは私の頭を撫でてくれた。それが気持ちよくて、「もっと撫でて」とねだってしまう。二宮くんは黙ったままいつまでも私の髪の毛に指を滑らせていた。私はもっと二宮くんと近づきたくて、のそりと二宮くんの膝の上に乗った。
「おい」
咎めるような二宮くんの声に、私はムッと唇を尖らせた。
「だめなの?」
「おまえ酔ってるだろう」
「なんで酔ってちゃだめなの」
そう食い下がると二宮くんはため息をついた。
「ため息吐かないで!」
私はそう抗議するとするりと二宮くんの首に腕を回した。そのままチュッと二宮くんにキスすると、二宮くんはなんだかとろりとした瞳でじっと私を見た。
「明日抱くから覚えておけ」
二宮くんにかけられたその言葉に、私は異議を唱えた。
「抱くってえっちするってこと?なんで今じゃないの?」
なんでえっちしてくれないのとごねる私に、二宮くんは取り付く島もなかった。
「おまえが酔ってるからだ」
「なんでー……」
二宮くんの胸に頭を預けて不貞腐れると、二宮くんはまた私の頭を撫でた。頭を撫でておけばいいと思ってるのか。しかしその手つきにだんだん私は眠気を促されていた。
「眠いならベッドに行くぞ」
そう声をかけられるけど、寝たら二宮くんとの時間が減ってしまう。私は「まだ寝たくない」と駄々を捏ねた。二宮くんはひょいと私を抱えると、寝室に向かった。
「まだ寝ないー……」
私のちゃちな抵抗は二宮くんに無視され、私は呆気なくベッドの上に転がされた。むくれた私は壁の方を向いて二宮くんに背を向けた。ぱちんと部屋の電気を切って私の隣に潜り込んだ二宮くんは「おい」と私を呼ぶ。私がそれに反応しないでいると、二宮くんは黙って後ろから私を抱き寄せた。ちゃんとぎゅうしてくれたのが嬉しくて、すぐに機嫌を直した私は寝返りをうって二宮くんの方に向き直ると、「二宮くん」と呼んだ。
「なんだ」
「二宮くん」
何か用事があったわけじゃない。なんなら自分でもどうして呼んだのか分からない。それでも二宮くんは怒るわけじゃなく、私の頭をまた撫でた。その手の温もりをただ感じていると、私は眠りに落ちていった。

どうして私は記憶を無くすほど飲まなかったのだろう。翌朝目覚めた私はそんな絶望的な後悔をした。昨日の自分の醜態や、二宮くんの言葉を思い出した私は、とりあえず二宮くんが起きないうちに今日はもう一回帰ろう、と決意した。そろりと布団から抜け出そうと二宮くんの方を向くと、二宮くんの瞳と目が合って、私は青褪めながら「おはよう〜……」と引き攣る口角でどうにか笑った。静寂が痛い。
「……あ、あの……待って、待って待って待って」
どうにもいたたまれなくなった私は何か言われる前にそう乞うたのだが、二宮くんは冷静に「覚えているようだな」と呟いた。詰んでる……
「お、覚えてない」
見え透いた嘘をつくと、二宮くんは眉間に皺を寄せながら「何が不満だ」と言った。
「全部……」
その言葉に二宮くんの眉間の皺が深くなる。
「いや、嘘、あの……ちょっと、心の準備が……」
そう言い訳をすると、二宮くんはチッと舌打ちをした。
「え……ええ……舌打ち……」
「なら例え明日おまえを抱くと言って心の準備をさせたところでおまえは明日抱かれるのか」
私を追い込むような二宮くんの口撃に、私は口ごもった。
「おまえに合わせてたらいつまで経っても抱けない」
その言葉は、私のことを抱きたいと思ってくれているということだろうか。それは嬉しいけど、それとこれとは話が別だ。どうやって今日のところは容赦してもらおうと一生懸命頭を回していると、二宮くんが私の上に覆いかぶさった。
「わーっ!!」
そう叫ぶ。それは朝から少し刺激が強い。寝起きの私なんかヨレヨレだけど、二宮くんは寝起きでもかっこいい。輝いている。
「いい加減諦めろ」
「だ……だって顔が良すぎて……」
私は一生懸命頭を絞って解決策を探すと、天啓のように閃いた考えを口にした。
「……あっ!じゃあ目隠しとか、」
二宮くんの姿が見えなければ少しは恥ずかしくないだろう、と思っての発言だったのだが、二宮くんは再びチッと舌打ちをした。
「ま、また……」
「おまえは自分の発言の不用意さを理解しろ」
「えっええ……なんで……」
二宮くんの発言に疑問を呈しても、二宮くんは「うるさい」と一刀両断で歯牙にもかけてくれない。そしてすっと顔を近づけてくるものだから、私は自分の顔の前に手をかざして「待って……」と懇願した。しかし二宮くんはそんな抵抗を意に介さず、真っ直ぐ私を見つめた。
「俺だけを見ていろ」
そ、そんなこと言われたらどうしようもなくなっちゃう!
私は心の中で白旗を上げながら、生唾を飲み込んで二宮くんに食べられてしまう未来を受け止めた。



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