敗者



くすん、と洟をすする音が部屋に落ちた。
「なんで嘘つくの?」
さめざめと泣く女は、対面で腕を組んでいる男をそう非難した。男はピクリと眉を上げると、「嘘じゃない」と否定した。
「急な任務が入ったと言ってるだろう」
「今日はデートするって言ってたのに……」
ほろほろと哀れっぽく涙を流す女に、男は視線を逸らした。
「聞き分けのないことを言うな」
取り付く島もない冷たい言葉を聞いた女は、一層顔を歪めると、震える声で呟いた。
「二宮くんきらい」
「話にならないな」
大きくため息を吐いた男が、踵を返して部屋から出ていく。女は手のひらに顔を埋めるとわっと声を上げて泣いた。



各所に頭を下げ任務の一部を肩代わりしてもらい、また自身も手早く任務を遂行したことで、まだ明るい時間に切り上げて帰ることができた。早足に恋人の部屋まで戻ったものの、そこはもぬけの殻だった。トイレや風呂場にも彼女の姿はない。二宮はポケットから携帯電話を取り出すと、通話画面を開いた。



あまいクリー厶を口に運ぶと、幸福に包まれる。甘酸っぱいベリーとしゅわりと溶けるスポンジ、それから冷たくて甘いアイス。好きなものしか乗っていないプレートに、なまえの頭からは先程恋人と喧嘩をして泣いた記憶など綺麗さっぱり消え去っていた。ほどよい甘さに夢中になっているうちに、あっという間に半分を食べてしまう。これなら二つ食べられるかも、と思ったなまえは、迷いに迷って諦めたチョコバナナ味を追加注文した。なまえはそこで鞄の中に入れっぱなしにしていた携帯電話が震えているのに気づいた。さっきSNSに投稿した写真にいいねが付いたのかな、と携帯を手に取ると、画面には十数件の不在着信の履歴が表示された。驚く間もなく新たな着信があり、通話ボタンを押すとスピーカーからは「今どこにいる」と低い声が聞こえてきた。
「え?えっとね、今日二宮くんと行こうとしてたカフェに居るよ〜」
「……そこを動くな」
ぶつりと切れてしまった通話に、二宮くんお仕事じゃなかったっけ、とのんびり考えていると新たなプレートが運ばれてきて、なまえは顔を輝かせた。



「二宮くん。ちょうどよかった、お腹いっぱいになってきちゃったからこれ食べて〜」
カフェに着くなりそう朗らかに声をかけられ、二宮は長いため息を吐いた。
「あ、チョコあんまり甘くないから大丈夫だよ〜。コーヒー頼む?」
ドリンクメニューを差し出す彼なまえに、二宮は「もういいのか」と訊いた。
「?何が?」
「……」
泣いたことなど頭の片隅にも無いらしい、と悟った二宮は脱力から舌を打ちそうになった。こっちがどんな思いで仕事を切り上げてきたと思ってる。
この様子だと自分が「嫌い」と言ったことすら覚えていないのだろう。人には一生解消されないわだかまりを残しておいて。そう思うと何ともやり切れない気分になるが、二宮は甘ったるい食べ残しとともにその思いを飲み込んだ。
「二宮くん、お仕事はもういいの?」
「……おまえのお陰でな」
「そっか〜。じゃあこのあと行きたいお店があるんだ〜」
二宮は携帯の画面を見せながら機嫌良く笑うなまえをじっと見つめると、まあ泣かれるよりはマシか、と自分を納得させた。

「ねえねえ、あっちのお店も気になる」
ほとんど女子しか並んでいない店の行列に並ばされ、辟易としていたところに腕を引っ張られた。なまえは向かいの店を指さしていて、「なんてお店かな」と既に携帯で検索をしているところだった。
「あ!大変!」
突然大きな声を出すなまえに二宮が忙しない奴だなと思っていると、なまえは「あそこのお店もうすぐ閉店だ!」と言った。なまえはするりと二宮の隣から離れ「二宮くん、並んでてね!」と言うと駆け出していった。その背中を見ながら深く息を吐くと、二宮は先程の自分の考えを撤回するべきかと悩んだ。

女子の群れの中に一人取り残され恋人を待っていると、ややあってからなまえが戻ってきた。「可愛い小物入れ買えたよ〜」と嬉しそうな彼女を見て、二宮がまあいいかと思っていると、またもやなまえが「あ!」と大きな声を出した。
「これ、私がここに入ったら横入りになっちゃうよね。ううん……」
にっこり笑って「二宮くん、ここからは私が並ぶからあっちで待ってて」と言われ、二宮は正気かこいつは、となまえを見下ろした。決して女子だらけのファンシーな店に入りたかったわけではないが、どこか釈然としない。
やはりこいつはもう少し泣きを見るべきだ、と思いつつも自分に彼女を泣かせることなどできないことが分かっている二宮は、再び深いため息を吐いた。



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