二宮くんの元カノの話なんか聞きたくない



開発室の扉を潜ったのは、ボーダーNO.1シューターの二宮匡貴だった。ちょうど扉の傍に立っていた女に声をかける。
「おい。山田さんはいるか」
「傲慢がうつるので話しかけないでもらいます〜?」
ピリ、と空気が引き締まったところで、女の後ろから二宮が探していた男が姿を現す。
「ああ、二宮くん。忙しいのにありがとう。メンテ終わったよ」
「お世話になりました」
「最終調整したいからブースに入ってくれる?」
山田は二宮にそう伝えると女に向き直り、「みょうじさんも手伝って」と声をかけた。なまえは顔を顰めると、嫌々頷いた。
「本当に、二宮くんにだけは冷たいんだなあ」
苦笑しながらそう言う山田に、「だってこの人間性ですよ」となまえが返した。
「この見た目なのに性根が腐ってるなんて詐欺ですよね?初めて見た日の胸の高鳴りを返してほしいです」
「知らなかったな、おまえが俺に胸を高鳴らせていたとは」
「この歳でその性格なのはもうどうしようもないのでせめて喋らないで周囲の環境の保全に努めてくれます?」
ギロリと睨みつける二宮は、その整った顔もありすこぶる迫力なのだが、なまえは少しも堪えた気配がない。山田は肝を冷やしながらこの二人がいったいどのような出会いをしたのかと思いを馳せた。
現在自分の部下として働いている女は、珍しく大学に入ってからボーダーに所属したクチだ。ただし戦闘員としてではなく、エンジニアとして、だ。この男だらけの開発室に、こんなにも若くて華やかな女の子が入ってくるなんて誰も予想していなかった。男所帯のエンジニアの中にあってもコミュニケーション能力に優れ、人当たりよく大体の人間と上手くやれるなまえが唯一毛嫌いしているのが二宮匡貴だった。そのきっかけは知らない。いつの間にか知り合っていつの間にか犬猿の仲になっていた。
「この女のワガママに付き合わなくていいですよ」
山田は珍しい、と目を見開いた。二宮のほうから話題を振るのも、二宮がこんな子どもじみた当てつけを言うのも。
「ワガママなんか言ってませんよね、山田さん!」
「う、うん。覚えもいいし、気が利くし、よく働いてくれてるよ」
山田がそう言うとなまえは得意げに胸を張った。
「おまえは猫を被るのが上手いからな」
なまえは二宮の太ももを蹴りながら二宮を睨んだ。
「私のことが気になるのはわかりましたからいちいち突っかからないでください」
「これだからすぐ暴力に訴える奴は困る」
本当に珍しい、と思う。まるで小学生のような喧嘩をしているのが、よりにもよってこの二人なのだ。山田はパソコンのセッティングをしながら逆に微笑ましい気持ちになって二人の喧嘩を見ていた。
「よし、じゃあ起動して」
換装した二宮に、仮想トリオン兵と戦ってもらい、違和感がないかと尋ねる。
「大丈夫です」
「……うん、トリオンの供給も問題なし」
なまえに二三説明をしながら設定を確認すると、彼女は熱心に聞きながらたまに質問を返す。本当に普段は良い子なんだけどなあ、と思いながら、二宮に「この後は防衛任務ないんだよね?」と確認した。
「はい」
「じゃあ、悪いけど腕を落とさせてもらうね」
実験用の、普段は使わないブレードトリガーが設定されたトリガーを取り出す。すると隣でなまえが元気よく手を挙げた。
「私がやります!!山田さんは調整に集中なさってください!!」
「ああ、じゃあよろしく……」
そう言った途端なまえの顔が厭らしく歪んだのを見て山田は驚いた。それに比例して二宮の顔も嫌そうに歪んでいく。
「一回この男の顔に刃を突き立ててやりたかったんですよね」
「う、腕でいいからね」
「顔でもいいですよね?」
それは駄目、と言うとそれ以上なまえが食い下がることはなかったが、本気で残念そうにしているのを山田は見逃さなかった。もしかしたらこの二人の遺恨は自分が思っていたより根が深いのかもしれない。なまえは躊躇せずスパッと二宮の左腕をブレードで切り落とした。
「切られた感覚はあるかな」
「はい」
「痛みは?」
「いつも通りです」
「痛覚遮断も問題なし。トリオン漏出も既定値内」
なまえにもパソコンの画面を見せると、山田はふと二宮の顔を見つめた。
「……何か?」
「あ、ああ。ごめんね。みょうじさんが言ったように本当に格好いいなあと思って。二宮くんは付き合ってる人いないんだっけ」
二人きりであれば、絶対に聞かなかったようなプライベートな質問も、この空気ならばできるかもしれない、と思い切って聞いてみる。
「いません」
「そうかあ……なんだかもったいないなあ」
そう笑うと、二宮はグッと顔を顰めた。
「……高校の時に付き合った女が最悪な女でした。ワガママな上に訳のわからないことでいきなり怒って挙句の果てには衆目の中コーヒーをぶちまけられた。今は作る気にもなりません」
まさか二宮にそんな強烈な彼女がいたとは、と山田は目を見開いた。隣の女はそのエピソードに腹を抱えて笑いそうなものだが、とちらりと顔を窺うと、なまえは顔を逸らした。
「……あなたの恋バナなんか誰も興味ないんですけど」
その反応に山田はおや、と気を引かれた。なまえの不快そうな顔に、それ以外の、別の感情が混ざっているような。しかしなまえはすぐにパッと表情を明るくすると、「ほんっとに配慮ないですよねえ」と二宮を罵った。
「こんな女に縁のないむさ苦しい男所帯で元カノの話とか」
「配慮がないのはおまえだ」
山田は苦笑いすると、デスクトップのデジタル時計を確認し慌てて話を切り上げた。
「うん、特に問題なし!もし違和感あればまた言ってください。長々と付き合わせちゃってごめんね」
「いえ。ありがとうございました」
なまえは一礼のあと実験ブースを出ていった二宮を一瞥もせず、むっつりと黙り込んだままだった。



開発室の扉を潜ったのは、ボーダーNO.1シューターの二宮匡貴だった。ちょうど扉の傍に立っていた女に声をかける。
「おい。山田さんはいるか」
「なんの用ですか」
「不具合と言うほどのことでもない。ただ氷見が気にしている」
些細なトリガーの不調を報告すると、なまえはああ、と頷いた。
「最近のアップデートの弊害だと思います。申請書書いてください。私が調整します」
「山田さんは」
「こんなことで起こさないでください。あの人ワーカーホリックなんで言っても休まないんです。さっきやっと気絶したところで」
普段なら二宮のトリガー調整など買ってでないが、今回ばかりは別、となまえはパソコンを操作し始めた。無言の時間が幾ばくか流れ、なまえはタイピングしていた手を止めると「書けました?」と言った。二宮が申請書を差し出すと、なまえは頷いて、今度はそこらに転がっていた紙の裏にさらさらと字を書き始めた。
「……一応、対処法書いておきますね。氷見さんならこれ見たら分かると思います。もしまだ気になることがあったら私でよければいつでも聞きます、と伝えてください」
ピラ、と差し出された紙とトリガーを二宮が受け取ろうとすると、サッと手を引っ込められた。
「……お礼は?」
ニッコリ笑いかけられ、二宮は顔を顰めた。
「ほら、ありがとうございました、が無いですよ?」
今度はニタニタと笑うなまえに、二宮は深く息を吐く。
「……おまえに頼むんじゃなかった」
「そんな御託はいいですから、早くありがとうこざいましたって言ってくださいよ」
「……感謝する」
「はー!本当に可愛げがない!昔っから変わらないんですから」
「それはおまえだろうが。すぐ手が出るのは直したほうがいいと言ったはずだが?」
「手を出されるような言動は慎めとも言いましたよね?」
視線が交わる。バチッと閃光が弾けたような強さで。
「……今日はコーヒーを持っていないだろうな。おまえは手に持っているものはなんでも後先考えずに投げつけるみたいだからな」
「ああ、すみませんねえ。でも火傷はしなかったでしょ?あの日はクソ寒い野外を気遣いもなく散々引きずり回されましたからねえ」
「だからといって公衆の面前で殴ってくるような女おまえだけだ」
「初デートで罵りあいながら別れた男なんかあなただけでしたよ」
なまえは「ああ思い出したらムカついてきた」と呟いた。
「やっぱり一回その顔に刃を突き立てさせてくれません?」
「望むところだ。ブースに入れよ。蜂の巣にしてやる」
ぎゃあぎゃあと罵りあっていると、デスクの下で寝ていた山田がのそりと体を起こした。
「騒がしいなあ……あ、二宮くん来てたの」
「ああもうあなたがうるさくするから山田さん起きちゃったじゃないですか!」
「うるさいのはおまえだろが」
「今日も仲良いねえ」
二人は心底嫌そうに顔を歪めたあと、逆方向に顔を背けた。



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