偽善



「みょうじさんのことが好きです」
たった今私に告白したばかりの男の、表情の浮かばない整った顔をしげしげと眺める。まさか自分が告白をされるとは思っていなかったし、その相手がボーダーの後輩で可愛げのない二宮なことにはもっと驚いた。二宮は私のことを馬鹿にしていると思っていた。二宮が私のことを好意的に思っていることも、二宮にそのような感情があったことも、すべてが私を驚かせた。
「はあ」
そんな気の抜けた返事をした私に、二宮は眉を寄せた。
「付き合ってください」
畳みかけるように、それでもいつもと同じすました顔で言われたので、私は即座に「ごめん」と断った。
「なぜですか」
端的に言うとそういうところかな……という言葉を飲み込んで、ううん、と悩んだ私は指折り数え始めた。
「年上に対する態度がなってない、生意気、可愛げがない、高慢、二宮と幸せになれるビジョンが浮かばない」
本当はもっとあるけれど、片手の指を全部折ってグーになったところで私は二宮の顔を見た。相変わらず整った顔に、顕著な表情は浮かんでいない。
「……改善します」
まさかそこまで食い下がられると思っていなかったので、逆に私の好奇心は刺激された。
「どうやって?」
からかうようにそう聞くと、二宮は黙り込んでしまう。こういうときだけ可愛いやつ。
「分かってないんじゃどうしようもないね」
「教えてください」
おお、と思った。二宮が出水くんに弟子入りしたとき頭を下げたという都市伝説は本当だったらしい。二宮のつむじを見ながら、私はうーんと悩んだ。
正直二宮にそこまでしてあげる義理もないけど、根は悪いやつではないし。二宮がこうなってしまったのは今まで誰も指摘してくれなかったからかもしれない。
この男はもう手遅れかもしれないし可愛くもないけど、後輩であることに変わりはない。私は仏心を出して「たとえば」と言った。
「あんた諏訪のことちょっと舐めてるでしょ」
「そんなことは」
「ない?東さんに対する態度と一緒って言える?」
また黙りこくった二宮に、若干苛立ちながら、私は頬杖をついた。
「……確かに諏訪はあんたよりランクは下かもしれないけど、人間の価値ってそれだけじゃないでしょ」
大切な同期であり友人である諏訪が、その人柄から慕われやすく、それと同時に舐められることもあるのがムカつく。別に諏訪本人がそれを気にしているというわけでもないし、何も二宮だけに言えることじゃないのに、自分の中のモヤモヤを発散させるためについ二宮に八つ当たりしてしまったのに気付いて私はため息を吐いた。
「……ごめん、ま、でもそういうとこ」
「……諏訪さんのことが好きなんですか」
私はまたうーんと唸った。本当にこの男極端というか情動が未発達というか。小学生か?
「……そんなこと言ってるうちは、二宮とは付き合えないかな」
面倒くさくなった私は全て放り投げてそう笑った。グラスの中の氷がカランと音を立てて、二宮は苦虫を噛み潰したような顔をした。



名前を呼ばれたので振り返ると、そこには特に面識のない隊員がいたので身構える。
「二宮さんって、」
「知らない」
食い気味にそう返すと、彼は私の気迫に押されたのか「すみません」と謝ってそそくさと立ち去った。はー、とため息を吐いてぱたりと机に突っ伏すと、私の様子を興味深げに見ていた諏訪に「んで、今日二宮は?」と聞かれた。
「嫌がらせでしょ」
睨みながらそう言うと「怖」と呟いた諏訪は咥えているタバコをぶらぶら揺らした。
「最近しょっちゅうお前にくっついてるもんなあ」
「ね」
「何かあったのか」
「私が聞きたい……」
疲れて何もやる気が起きない。私は「強いて言えば」と呟いた。
「こないだ二宮に告白された」
あえてそんな伝え方をしたのだけど、諏訪は思っていたのとは全く違う反応をした。
「とうとうやったか」
「……は?」
「お前のこと好きだったもんな、あいつ」
事もなげにそう言われ、私はパクパクと口を開閉させた。
「なっ……、き……、……いつから!?」
「あ?あー……結構前」
「それっていつ!」
「結構前は結構前だよ」
話にならない。けど諏訪曰く二宮が私のことを好きなのは一部では結構周知の事実だったらしい。テーブルの上で頭を抱えていると、「付き合い始めたのか」と聞かれたので否定する。
「なんで」
「諏訪が女だったら二宮と付き合う?」
「……まあ……付き合わねーなあ」
「そういうこと」
「ふーん。なら振った男に付き纏われて迷惑してるってとこか」
核心を突かれ、諏訪のこういうとこ好きだけど嫌いだな……と思った。
「迷惑……じゃないから……困ってる……」
もごもごと呟く私にお、と眉を上げた諏訪は、「結局ノロケじゃねーか」と煙を吐いた。
「ならいっそもう付き合えよ。おめーと話すたびに睨まれるのめんどくせえから」
「あいつ……」
はあ、と息を吐いて、私は「付き合わないよ」と言った。
「なんで」
「二宮と付き合って幸せになれるビジョンが思い浮かばない」
そう言うと諏訪はゲラゲラ笑った。他人事だと思って。
「ならもうおめーが二宮の再教育しろ。そしたら全部解決だろ」
投げやりにそう言われ、私は諏訪をじとりと見た。
「はあ?なんで」
「おめー育成ゲーム好きだろ」
「ゲームと一緒にしないでよ」
そう突っ込みつつ、一応考えてみる。確かに二宮を真人間にできたらリターンは大きいけど、それまでにかかるコストがデカすぎる。
「いやー……無理だな……」
考えてみた上で正式に却下し、背もたれに首を預けて天井を見ると、諏訪は「んなことねーよ」と言った。
「なあ、二宮」
「はい」
「オッワ……!!なん、どっから湧いた!?」
いつの間にか私たちがかけているテーブルの横に立っていた二宮を見て、私は慌てて椅子に座り直した。
「二宮ぁ、こいつの言うこと聞いたら付き合ってくれるらしいけど聞けるよな?」
「言ってねぇ〜〜!!」
諏訪の頭を持っていたファイルでバシバシとシバく。間に受けてくれるな、と慌てて二宮を見たのだが、二宮は「はい」と即答した。
「……ちょっとそこ座りなさい」
私は滔々と条件をよく確認しないで了承をしないこと、これは諏訪が勝手に言っただけで私にそのつもりはないことを言い聞かせた。
「……でも迷惑じゃないんですよね」
「……そこから聞いてたんなら最初から言って!?」
私は二宮に八つ当たりをしながら赤くなった顔を隠した。
「お試しでやってみたらいいだろ。付き合うかは二宮の成長次第ってことで」
「それでいいよな、二宮」と諏訪が聞き、「はい」と二宮が答える。親か!!
「私抜きで進めないでくれる!?」
「可愛い後輩がここまで言ってんのにつれねー先輩だなあ」
「二宮は可愛くないよ!!」
ただ私に二宮のお守りをさせたいだけの諏訪は適当なことばかりを言う。
「なら可愛くなります」
二宮は二宮で天然でこういうこと言ってくるし、頭が痛くなってきてこめかみを揉んだ。助けてレイジ……
「……わかった。やる。けど、二宮が嫌になったらすぐやめる……いい?」
どうせこの男一週間でキレるに違いない、と決めつけて私は再び椅子にぐったりともたれた。



「コラァッ!!二宮ッ!」
二宮の後頭部をファイルで叩くと、二宮の傍に立っていた中央オペの子の顔が更に蒼白になった。
「女の子怖がらすな!!」
「……怖がらせてません」
「この表情見てもそう言えんの?どう見ても怖がってる顔でしょ」
オロオロと私と二宮を見比べる女の子にごめんねと手刀を切った。
「いつも言ってるでしょ、相手のことちゃんと見なさいって」
「……みょうじさんの言う通り高圧的な言い方はしてません」
「あんたにとってはそうかもしれないけど、『早く用件を言え』は充分高圧的なのよ」
それが二宮にとっての「ご用件はなんですか」だと私は知っているが、二宮のことをよく知らない子からしたら怒っていると思っても仕方がない口ぶりだ。
「あのね、図体のデカい仏頂面の男ってだけで大体の女の子は怖いの。だから言い方とか表情とかさあ……」
人差し指を自分の方に曲げて二宮に近づくように示すと、二宮は従順に腰と背を曲げて顔を近づけた。
「もう少しどうにかならないかね〜〜?」
二宮の頬に指を当ててぐにぐにと口角を上げたり下げたり。二宮は眉を寄せながらもされるがままになっている。
「フッフフ……」
あまりにも間抜けな顔につい笑うと、オペの子もつられて笑いを零した。少しだけ緊張が解けたようなので用件を聞くと、先の戦闘の論功行賞の支給についての用事だったらしい。私が二宮の口角を指でグッと持ち上げて「ありがとう〜」と言うと、堪えきれないと言うように、女の子が顔を背けて笑った。
「他には用事は?ああ、じゃあ引き留めちゃったね。ごめんね」
二宮から手を離して手を振って見送る。このような行為を私はここ一ヶ月ずっと繰り返しているのだが、驚くべきことに二宮は未だに一度もキレていない。
「みょうじさんのそのコミュニケーション能力はすごいです」
どころかなんか尊敬されている。この男、こんなに素直だったのか。……そういえば、東さんにもあっさり陥落してたな、と思って私は自分の読みの甘さを悔いた。むしろこんな正妻(というよりオカン)ムーブをしている私のほうがダメージが大きいといえる。
二宮が私に教育されているという噂はあっという間にボーダーに響き渡り、今や私たちは全隊員の注目の的だった。主犯の諏訪は吐きそうになるほど笑っていた。
「……そろそろ嫌になってきたんじゃない?」
「まさか」
念のため確認しても涼しい顔の二宮に、私はため息を吐いた。



「二宮」
廊下で出会った二宮をいきなり呼びつけると、二宮は「今度は何が悪かったですか」と聞いてきた。意外。こんなこと言うんだ。
「いやいや、逆、逆。お褒めに来たのよ」
そう言っても二宮はピンときていないようだったので、「荷物運び手伝ったんだって?」と言った。
「話題になってたよ。偉い偉い」
二宮の肩をポンポンと叩くと、ポケットから飴を取りだした。
「ご褒美。これね、ジンジャーエール味なんだよ。コンビニで見つけて買っちゃった」
二宮の手のひらに飴を置くと、私は「じゃあね」と踵を返した。今日はこの後同期で飲みに行くので急がないといけない。
「えっ何」
数メートル歩いて、すぐ後ろを二宮がついてきていたので驚きながら訊ねる。
「……みょうじさんは俺を諦めさせるためにわざと冷たくしてるんだと思ってました」
「二宮の中の私ってそんな女なんだ」
「俺に好かれて困ってるのに、何で優しくするんですか?」
いよいよ意外。二宮ってこんな考え方もするんだ。
「うーん……そこに理由はいらなくない?後輩がみんなに好かれるようになって嬉しくない人間いないでしょ」
特にあんたは誤解されやすい性格してるし、と付加すると、二宮は「みょうじさんのそういうところが好きです」とこともなげに言った。
「ウッ……そういうのびっくりするからやめてくれる!?」
私は澄まし顔の二宮の肩をどついた。

飲みの席での話題はほとんど私と二宮だった。みんな他人事だと思って面白がって。ヤケになった私はいつもより多めに飲んだ。そろそろお開きに、という段になって、いつも通りレイジに送ってもらおうと思っていると、諏訪が赤ら顔でニヤニヤしながら「お迎えが来たぜ」と入口を指さした。嫌な予感に振り返ると、そこには二宮が居て、私は流れるように諏訪の首を絞めた。
「何してんの」
「いや……ちょ、マジで絞まって、る……」
「なかなかいい反射神経だった」
レイジに褒められたので、ついでに握力も褒めてもらおうと諏訪の首をきゅっと絞める。
「諏訪ァ!!これは笑えないでしょ!!わざわざ後輩呼び出して……」
諏訪の顔色が紫色になってきたので手を離すと、「そういうの、そろそろやめてやれよ」と咳き込みながら言われた。
「どういうの」
「後輩ってやつ。男として立ててやれよ……ヴェッ……」
何を言ってるんだ、こいつは。私は最初から男として見てるから困ってるんじゃないか。
ハッと気を取り直して、二宮をこれ以上待たせないように私は鞄を持って席を立った。
「先抜けるね。私の分は諏訪が出すから」
「おい言ってねえ……」
あとをレイジと雷蔵に任せると、私は店の外で待っていた二宮のところに駆け寄った。
「ごめん!!」
二宮に頭を下げると、高い位置から「何がですか」と返事が返ってくる。
「今後は誰に呼び出されようが迎えなんか来なくていいからね!!二宮はパシリじゃないのに……ほんと、わざわざ来てもらってごめん!!」
私は顔を上げると、「家まで送るよ」と言った。
「いや、俺が送ります。それと、これからも俺を呼んでください。俺に送らせてください」
押しの強いその言葉に、私は圧されてしまった。
「え、ええ……いいよ……」
「他の男に送られるほうが嫌です」
今日の二宮はいったいなんなんだ。私をどうするつもりだ。お酒のせいだけじゃない火照りを感じながら、私は折衷案を出した。
「……じゃあ……飲みに二宮がいるときは二宮に頼むから……」
「だめです。俺がいないときも俺を呼んでください」
「ええええ……」
困ったけど、断っても埒が明かなそうだったので私は保留にさせてほしいと申し出た。どうやって二宮を説得するか作戦を練る時間がほしい。私は家までの道をゆっくり歩き出した。
「何してたの?」
「レポートをまとめてました」
「この時間まで?」
「寝ようとしてたところです」
「だよねえ……ほんとにごめんね、こんな時間にわざわざ……」
「いえ」
みょうじさんこそ、この時間まで飲むのは危ないですよと言われた。あんたとの話を根掘り葉掘り聞かれてたとは言えない。
「大丈夫大丈夫。いつもレイジが送ってくれるし」
「木崎さんとはいつもどんな話をするんですか」
「ん?んー……そう言われてみると何話してるかな……あ、筋トレの相談とか?」
もう少し体力つけたいんだよねえ、と力こぶを作ってみせる。
「二宮の家ってどのへん?」
「瑞来町のあたりです」
「あ、じゃあ方向一緒だね。よかった」
酔っ払いの覚束無い足取りに歩調を合わせてもらいながら、ゆっくりゆっくり家に近づく。
「うち、あそこのアパート」
建物が見えてきたのでそう伝える。
「大したもの出せないんだけど、寄ってく?飲み物と、貰いもののバームクーヘンがあるよ」
そう言うと、いきなり二宮に腕を掴まれた。
「……本気で言ってますか?俺がみょうじさんのこと好きなのを忘れたわけじゃないでしょう。何するかわかりませんよ」
二宮ってこういうこと言うんだ、とまた新鮮な発見をしながら、私は二宮の顔の前に人差し指を突きつけた。
「1、二宮はこの状況でそういうことしないってわかってる」
もう一つ、中指も立てる。
「2、たとえそうなったとしても後悔しないから言ってる」
そう伝えると、二宮はするりと私の腕を離した。
「……今日はやめておきます」
ほら、と心の中で呟いて私は笑った。
「ん。じゃあ気をつけて帰んな。今日はありがとね」
ゆるく手を振ると、二宮は会釈をして踵を返した。



廊下の隅に二宮と、泣きそうな顔の女の子を見つけた。また何かやったか、と思って私は二宮の後頭部をファイルで叩いた。
「こら、今度は何を……」
ハッと顔を上げた女の子は、「違うんです」と声を上げた。
「二宮さんは、告白を聞いてくれていただけで、振られて勝手に私が泣いちゃって……」
その言葉にぴしりと体が固まった。
「聞いてくれて、ありがとうございました」
お辞儀をして去ろうとするその子に、慌てて「ごめん」と謝った。言ってから、その言葉が一番残酷なことに気づいた。
「いいんです。私、前は二宮さんが怖かったんですけど、でも最近の二宮さんは好きなんです。きっと、私が好きなのは、あなたのことが好きな二宮さんなんです」
その言葉にどう返したらいいかわからなかった。結局去る背中に声がかけられず、私は自己嫌悪に俯いた。しばらく気まずい空気が流れ、私は二宮に「ごめん」と謝った。
「私最悪なことしてたよね……」
二宮の気持ちに応えることもしないで二宮の選択肢を奪って、『二宮を真人間にする』とか偽善に酔って。
「……もうやめよう……」
「嫌です」
聞き分けの悪い二宮に、「でも」と反論する。
「私は二宮のこと好きになるかわからないし、二宮の出会いを邪魔しちゃってるし」
「それでいいです」
「よくないよ」
幼児に言い聞かせるような気持ちでため息をついた。
「どんな女に言い寄られても意味がない、みょうじさんじゃないなら」
真っ直ぐに私の胸を貫いた言葉に、私はゆるゆると赤くなった顔を手で隠した。
「それに」
二宮に優しく手を取られ、潤んだ瞳で二宮を見つめる。
「みょうじさんはもう俺のこと好きだと思ってました」
違いますか、と聞かれて、私はもう白旗を上げるしかなかった。
「……わかった、わかったから、今顔見ないで……」
「嫌だ」
「嫌なやつ……」



ラウンジのテーブル席の向かいに座っている諏訪に、「二宮と付き合うことになった」と脈絡なく報告した。あえてそんな伝え方をしたのだけど、諏訪はやっぱり前回と同じ反応をした。
「とうとうやったか」
おめでとさん、と言われ、憮然としながら「どうも」と答えた。
「んで、二宮と幸せになる腹括ったのかよ」
「いや……なんかもう逆に、あいつは私が幸せにしなきゃいけない、と思って」
そう言うと諏訪はゲラゲラ笑った。他人事だと思って。
「あいつのこと好きだったもんな、お前」
「……いつから?」
「んなもん俺に聞くな」
「諏訪のそういうとこ好きだけど嫌い」
このおせっかい、と八つ当たりの恨み言を呟くと、諏訪は「めんどくせえやつら見てるとこっちがやきもきすんだよ」と煙草をふかした。



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