わずかな痛みさえも



鈴鳴支部。休日の午後。午前中の防衛任務を終え、今が作った昼食を摂り、午後からはランク戦に備えての作戦会議でもと話していたところだった。
今の携帯が着信を告げ、来馬が今に通話を勧めた。「すみません」と小さく頭を下げて携帯の画面を見た今は小さく一人の女の名前を呟いた。それは今の友人であり、村上と付き合っている女の名前だった。その名を聞いてしまえば途端に電話の内容が気になり、村上はそっと今の様子を窺った。今は携帯を耳に当てると、話し始めた。
「もしもし?いま?大丈夫だけど……どうしたの?」
その問いかけに対して返ってきた言葉までを聞き取ることはできなかったが、今の眉間にグッと皺が寄った。
「……え?」
今の深刻な口調にピリッと空気が引き締まる。
「……事故?」
次いで聞こえてきた単語に、村上は息を詰めた。それまでは小声で雑談を交わしていた来馬や太一も、心配そうに今の様子を窺っている。
「今どこにいるの?……うん、うん。わかる。大丈夫」
今がゆっくりと腰を上げ、自分の荷物を入れているロッカーへと向かった。
「……え?……わかったわ。とりあえずすぐに行くから。切らないほうがいい?……わかった。待ってて」
ぷつりと電話を切った今が、カバンを持つと来馬を振り返った。
「すみません。会議は別日でもいいですか?」
「もちろん。すぐに行ってあげて」
慌ただしく支部を出ようとする今に、村上は「オレも行く」と声をかけた。今は気まずそうに村上の顔を見ると、珍しく口ごもる。
「それが……鋼くんには来てほしくない、って言ってて」
予想外の拒絶の言葉に村上が体を固まらせる。今は、不用意に彼女の名前を出してしまったことを後悔しながら、努めて明るい声を出した。
「怪我自体は大したことないみたい。でもあの子、親御さんも遠方だから一応行ってくるわね」
村上と同じくスカウトされ三門市に来た彼女は、近くに親や親戚もいない。そのため頼ってきたのが友人である今だったのだ。
今は村上のことを気にしつつも、彼女のことを放ってもおけず、来馬に目配せをした。頷いた来馬にこれから部屋の隅で膝を抱えてしまうかもしれない村上のフォローを任せ、今は部屋から飛び出した。



「軽い打ち身とかすり傷だって」
夕方、念のため病院まで付き添ったという今から電話で彼女の容態を聞かされ、村上は胸をなで下ろした。
「……よかった」
「……鋼くん、今からなまえに会いに行って」
先程今が家まで送り届けたという彼女は、自分には会いたくないのではないか。村上が口ごもると、今はため息を吐いた。
「あの子、私の前だと平気なフリするのよ。だから、傍にいてあげて」
「でも……オレは」
「なまえの言葉が気になってるなら、なおさら本人に聞くべきよ。荒船くんとのこと、『学習』したでしょ?」
その言葉に村上はハッと息を飲むと、それから頷いた。
「……行ってくる。悪い。それから……ありがとう」
ホッと口調を和らげて「行ってらっしゃい」と背中を押してくれた今との通話を切ると、村上は彼女の下宿に向かって走り出した。

「はぁい……鋼くん!来てくれたんだ、ありがとう」
部屋の扉を開けた彼女は特に変わった様子はなく、いつも通り朗らかに村上を部屋に招き入れた。
「結花ちゃんから聞いてるよね。大変だったよ〜びっくりしちゃった」
彼女は手のひらやふくらはぎなど、かすり傷ができた箇所を見せた。
「私は驚いてこけちゃったときにかすり傷できただけだから、全然大丈夫なんだよ」
恐らく自分を心配させないためにわざわざそう言っている彼女の手を取った。
「……でも、怖かっただろ」
手に触れて三秒後、彼女の手がカタカタと細かく震え始めた。
「なんでわかるの?」
彼女の小さい体を胸に抱くと、村上は震えが治まるまで黙って待った。
「本当は」
一瞬間を置く。こんなことを彼女に伝えていいのか、という葛藤を飲みこむと、村上は口を開いた。
「オレが傍にいてやりたかった」
一つ伝えると、するすると言葉が流れ落ちていく。
「なまえのこと、もっと早く安心させてやりたかった」
腕に力を込めると、彼女が身じろいだのがわかった。
「すぐにでもなまえのところに行きたくて仕方なかった」
本心を隠さず素直に伝えると、彼女が小さく「ごめんね」と呟いた。
「あのね……鋼くんに来てほしくないって言ったのは、事故の様子を見てほしくなかったからなの」
彼女の真意を聞くために、村上は黙って耳をすます。
「私は転んだだけで済んだけど、私の目の前にいた人は……血とか、結構出てたし、車もぐちゃぐちゃで……」
事故の様子を思い出しているのか、彼女の体が再び小さく震えた。
「鋼くん、見たらなかなか忘れられないでしょ?だから……」
自分のサイドエフェクトは、なにも一度見たものを永遠に忘れない超記憶の類のものではない。もちろん自分だって時が経てば忘れていく。しかし人よりはずっと鮮明に思い出せるし、忘れるのにも時間がかかる。彼女はそれを心配していたのだとわかって、村上は体から力を抜いた。自分が、拒絶されたわけではないのだ。
「……それでも、なまえが一人で心細い気持ちでいるよりはずっとましだ」
「……うん。ありがとう、鋼くん」
もう一度彼女の体を抱きしめると、彼女も村上の胸に体を擦り寄せた。
「でも、鋼くんは来てくれたね。嬉しかった」
そうはにかむ彼女に、村上は苦笑いした。
「それは、今が叱ってくれたからだよ」
彼女はふふ、と笑いながら「そう言えちゃうのが、鋼くんのいいところだよ」と言った。



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