おっかないよるがあけるまで



 始まりは私からだった。
 今考えてもその時の私は正常な判断ができていなかったし、あんなこと言うんじゃなかったと後悔してもしきれない。
「置いていかれたやつら同士、仲良くしようよ」
 ほとんど泣きながら卑屈に笑ってそう言う私を、二宮は抱きしめた。
 鳩原さんに置いていかれた二宮と、麟児に置いていかれた私と。寂しさを埋めるように瞼の裏に違う人を思い浮かべながら体を重ねるようになったのは一年ほど前からで、「麟児」ではなく「二宮」に抱かれるようになったのは、いつからだったのだろう。
 もともと私が麟児に向けていたものは、恋愛感情による嫉妬だったのかもしれないし、幼なじみが自分を選ばなかったことへの子供じみた癇癪だったのかもしれない。ともかく、確かなことは、今私が男性として好きなのは、麟児ではなく二宮だということだ。
 慰め合いだと思っている二宮には悪いけど、しばらくはこのままの関係を続けるつもりだった。その代わり、思いを告げようなんてことは考えていなかった。
 でも、そんな日々はあっけなく終わりを迎えた。
 ──麟児と鳩原さんが、近界から帰ってきた。

 私はその情報を聞いて、どうやら十分ほど立ち尽くしていたらしい。自分では五秒くらいに感じていたのだけど、確かにその間私は色々なことを考えていた。そしてその十分間で、私は様々なことに蹴りをつけた。



 ようやく麟児と面会できるようになって、私は「一回だけ殴らせて」と言った。
「私に何も相談してくれなかったぶん」
「……お前は千佳や修のぶんも殴ると思ってた」
 私はフンと鼻を鳴らすと拳を握りしめて力一杯麟児の頬を打ちつけた。痛い。手が震える。
「それは千佳や修がするべきことで、私がすることじゃない」
 そう言うと、麟児はやわらかく笑った。懐かしい微笑みに、涙腺が緩む。
「……変わったな」
「麟児がいない間に、良い男見つけたもの」
 置いていかれたと拗ねて周りに当たり散らすことしかできなかった私と違って、伸びた背筋で全てを背負ってただ進んでいく二宮の背中を思い出す。
 二宮のおかげで私も少しは変われていたらしい。人に……麟児に言われるまで気づかなかったけど。幼い頃から一緒にいて、私のことなんてお見通しの麟児が言うんだから、きっと間違いない。

 それから私は、時間ができてからでいいから会って話がしたいと二宮にメッセージを送った。急ぎではないから返信は後回しでいいと言い添えたのだが、二宮はすぐに返事をくれて、結局その日のうちに会うことになった。
 場所の指定が難しかった。さすがにラウンジなんかじゃ話せない内容だし、かといってお互いの家に行くのもまずいだろうし、飲食店なんかも誰の目があるか分からないから二人きりは躊躇するし……と考えていたのに、二宮は「任務が終わったらおまえの家に行く」とメッセージを寄越してそのまま防衛任務に出てしまった。
 そして本当に家まで来た二宮にため息をつきながら、とりあえず中に通してコーヒーを出す。まあいいか。これで最後だし。さすがに誰かに見られもしないだろうし。
「忙しいところごめんね。すぐ済ませる」
 私は二宮の向かいに座ると、「鳩原さん、帰ってきてよかったね」と呟いた。
「……ああ」
「だから、やめようね。今まで本当にありがとうね」
 そう言うと、二宮は数秒黙った後に「どういうことだ?」と言った。100%疑問に思っている声ではなく、問い質すのが目的という声だった。
「始めたのは私だし、終わるのも私からきちっと言った方がいいかなって……もちろん二宮もそのつもりだっただろうし、今更言わなくたってよかったのかもしれないけど、ケジメとしてね」
 そもそも「置いていかれた」という寂しさを埋めるための関係だから、お互いの相手が帰ってきたならこの関係を続ける必要は一切ない。むしろリスクしかない。
「ありがとう」
 本心からそう言って、深く頭を下げる。
 今となっては二宮にも、鳩原さんにも本当に申し訳なかったと思う。鳩原さんが二宮にどんな感情を抱いているのかは知らないが。
 一人の女が救われ、愛情を知り、前を向け、成長したことは確かだ。そのことへの感謝をどうしても直接伝えたかったのだ。
「……うん。これで終わり。ごめんね、わざわざ来てもらって……」
 二宮は私の腕を掴むと、少しだけ見開いた目で私を見つめた。
「……まさか本気で言ってるのか?」
「うん」
 本気じゃなかったら何気なのだろう、と思いながら頷く。二宮は苦虫を噛み潰したように顔を顰め、舌打ちをし、諦めたようにため息を吐いた。
 珍しく表情豊かだこと。
「……少し待て。おまえと俺どっちが悪かったのか考える」
「えっ……」
 二宮は目を閉じて何事か考え出した。どんどん眉間の皺が深くなっていく。
「……どう考えてもおまえが悪い」
「うんまあ……それはごもっとも……」
 どうやら二宮の下した判決は全面的に私の過失だったようだ。まあ確かに、私が持ち掛けなければこんなことになっていなかったのだし、それは否定できない。私が頷くと、二宮はさらに眉を顰めた。
「……俺に言葉が足りなかったのは認めるが、おまえもおまえだと思う」
「んぇ?」
「結論から言うが、俺はおまえと別れるつもりはない」
「はぃ?」
 さっきから惚けてアホっぽい声しか出てこない。
 私たちって付き合って……たんでしたっけ……?
「ぇ……でも、鳩原さんが……」
「最初から言ってるが、俺は鳩原に犬飼たちに抱くような部下以上の感情をもっていない」
 あ〜そういえば最初にセックスした日にそんなこと言われたかも。その時は強がっちゃってまあ……と思っていたし、私が相手だからそういう風に言うんだろうと思っていた。二宮、格下に弱味とか見せたがらなさそうだし。
「……仮に、俺が鳩原のことを好きだとしても、俺は他の女でそれを埋め合わせようとは考えない」
 グサリと刺さった言葉に、それでも納得してしまう。確かに、二宮はそういうやつではない、と二宮のことを前より知っている今なら思える。
「ならどうして、って顔だな」
 図星を突かれ肩を強ばらせる。二宮は舌打ちをした。私が考えなしに言葉にしないように先回りして言ったようだ。
「……俺は何度も好きだと伝えたはずだが」
 掠れた二宮の声が耳を擽り、私は反射的に顔を真っ赤にした。その声は、言葉は。
 ──情事の際に二宮が何度か発した言葉だ。
 でもそんなリップサービス、真に受けたらダメじゃん。それくらいの線引きくらい、私だってわきまえてる。
「俺は一度でもおまえのことを『鳩原』と呼んだか?」
「い……いつも『おまえ』って呼ぶじゃん……」
「呼んだだろ」
 「……最中に」と付け足されて、いよいよ耳まで真っ赤になる。
「そ……そんなの覚えてない……」
 だって最中は、いつだって目の前の二宮に必死で。
「……なら確認するか?」
 二宮に手を取られて引っ張られる。ベッドに腰かけた二宮の胸に飛び込んでしまって、私はさらに赤くなった。
「待っ……」
「俺は一度だっておまえに誰かを重ねたことはない。おまえと違って」
 ときめいたらいいのか反省したらいいのか分からんことを言うな。
「……ご、ごめん……」
「別に気にしてない。五回目からは俺に抱かれるようになったからな」
「……はい!?」
 五!? ていうか気付いて!?
 自分ですらいつから二宮のことが好きだったのか気づいていなかったのに、この男にはすべてお見通しだったらしい。
「……それで、まだ関係を解消する理由は残ってるのか?」
 二宮が首を傾げながらそんなことを言うものだから私は絶句して、私ってだいぶ最初から二宮のこと好きだったんだなと思考を飛ばしてから、「ないです」と答えた。



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