In broom
- 「敵に背を向けるな」
誘導弾でトリオン兵を貫いた二宮が、吐き捨てるようにそう言った。その言葉を向けられたなまえは小さな声で「ごめん」と呟いた。
「敵を見てなかったら倒せるもんも倒せねえだろうが」
二宮の言うことはいつも正しい。正しい、のだけど……
「鼻につくわ」
加古は震えているなまえの肩をそっと抱き寄せた。
「気にしなくていいのよ。おかしいのはきっと私たちの方なんだから」
「おい」
「そいつを甘やかすな」と眉を寄せる二宮を無視して、柔らかい髪の毛に指を通す。
きゅっと唇を噛み締めたなまえはもう一度「ごめんなさい」と言うと、弧月を握る手に力を込めた。
いくらトリオン体だからといったって、生身の体にはなんの被害もないからといったって、痛覚を遮断できるからといったって、自分の体が欠損するのが怖いと思うのは自然なことだ。事実、その恐怖に耐えられずボーダーを辞めたりオペレーターやエンジニアに転向したりする者は少なくない。自分の腕や首が切り落とされても、体が蜂の巣になっても、けろりとしていられる方がおかしいのだ。周りもそうだから麻痺してしまっているだけで。人間の本能としては彼女の方が圧倒的に正しいし、ボーダー戦闘員としては二宮が正しい。
トリオン体が傷つく恐怖を乗り越えられていないなまえが戦場で怖気付くことは珍しくない。それでもなまえは一向に戦闘員を辞めようとはしなかった。怖くてたまらないはずなのに、逃げ出そうとはしなかった。いつも、泣きそうなほど顔を歪めて謝るだけだった。恐怖を振り切ろうとするように訓練室で仮想敵と戦うだけだった。
夜勤。
労働基準法に基づき未成年の隊員は担当できないため、夜勤は固定されたメンバーになりがちだった。特に隊員に未成年しかいない二宮と加古は混成隊を組むことも多く、「ならついでにこいつの面倒も」と同じ歳のなまえが放り込まれることも少なくはない。
「二宮くん、加古ちゃん、よろしくね!」
なまえはいつものように気負ったように肩に力を入れて腰を直角に曲げて頭を下げる。二宮はそれを一瞥し、加古は微笑んでひらりと手を振った。
巡回中は加古となまえの会話だけが住宅街に響いた。今日は門の動きも活発ではない。加古はつまらなそうな顔をし、なまえは安堵の顔をした。
規定の巡回ルートを回っていると、ちょうど日付が変わる頃、内部通信が入った。
「カメラに人影が映ったので、確認お願いします」
「了解」
オペレーターがマークした場所をそれぞれが確認する。
「最近学生たちの間で肝試しが流行ってるみたいよ。恐らくその手合いでしょうね」
「私、見てくるね」
そっと二宮と加古の顔を窺ったなまえがそう申し出た。この面子なら自分がやるのが良いと判断したのだろう。
「ありがとう。ゆっくり回ってるから何かあったらすぐ連絡して」
「うん」
小走りで指定された地点へ駆け出したなまえを見送ると、無言のまま規定のルートを巡る。
しかし数分後、その沈黙はけたたましいアラートにより破られた。発生した門の位置を確認すると、先程なまえが向かった地点に近い場所にマークが付いている。加古と二宮は迅速に門へと向かった。門から湧いてきたらしいバムスターとモールモッドの群れを弾幕で蹴散らしていると、トリオン体により強化された視力で、バムスターの傍になまえが立っているのが見えた。背に数人の若い男を庇っている。思わず舌打ちをしたくなる。
「二宮くん、モールモッドあと全部お願いね」
「おい」
二宮は不服そうな声を出すと、加古の襟首を掴んだ。この男のこういうところが好きになれない。
「大丈夫だ」
そんなこと言って、何かあってからでは……と加古が二宮に言い返そうとした瞬間、バムスターの口がぬっとなまえに近づく。なまえの体が強ばったのが、この位置からでもわかった。きっと彼女は今、可哀想なほど震えているだろう。
「二……」
「黙って見てろ」
なまえの体がバムスターの口の中に飲み込まれた。と思った瞬間、閃光が走った。バムスターの体に幾多の筋が走り、次の瞬間ずるっと切り落とされた断片が地響きを立てながら地に落ちた。
鞘に弧月を収めたなまえは、今度は身近にいたモールモッドに刀を振るう。
なまえの鬼気迫る表情に加古は息を飲んだ。いつも困ったように笑うか泣くかしているなまえは、そこにはいない。目の前の敵を倒すことだけを考えているなまえに、二宮はふんと鼻を鳴らして加古の首根っこを掴んでいた手を離すと、こちらも残りのモールモッドを掃討しにかかった。
数分でかたはついた。二宮が通信室に報告をしているのを聞きながら、小さく震えているように見えるなまえの背中を見つめる。なまえの手から弧月が滑り落ちて、からんと小さな音を立てる。なまえの後ろで腰を抜かしていた男たちがびくりと体を揺らした。
振り向いたなまえは先程までとは打って変わって、両眼に涙を湛えていた。
「……にのみやくんっ……」
そうして、真っ先に二宮の名前を呼んだ。
加古ではなく、二宮を。
「おい、武器を手放すな。まだ残党がいるかもしれねえだろが」
二宮の言うことはいつも正しい。正しい、のだけど、やっぱり気に入らない。
気に入らないけど、分かっていた。
なまえが誰より自分の恐怖心を克服したがっていることも。
なまえが大切な人や街を守りたいと思っているからこそボーダーを辞めないことも。
なまえの自主練にいつも付き合っているのは二宮だということも。
なまえの強さを誰よりも信頼しているのは二宮だということも。
「で、で、できたよ、わた、わたし、いつも、にのみやくんとやってるみたいに、」
「当たり前だろうが。おまえは市民がいるのに敵に背中を向けるようなやつじゃない」
(……面白くないわ)
加古は小さく息を吐くと、渋々なまえを慰める役を二宮に譲ると、これから記憶処理を受けることになるだろう男たちを保護するべく歩き出した。
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