蔵内くんの犬歯に触れたい



 蔵内くんと付き合っていると言うと高確率で驚かれるし、告白したのが私だと言ったらさらに驚かれる。そして次にはこう聞かれる。
「なんで告白したの?」
 私が蔵内くんに告白したのは、蔵内くんが頭が良いからでも人柄がいいからでも清潔で綺麗だけど男らしい顔をしているからでもない。
「蔵内くんの犬歯に触りたかったから」
 ……まあ、そう言っても理解してもらえたことがなかった(し、ドン引かれることしかなかった)から、最近は適当に答えることにしている。

 初めて蔵内くんと喋ったのは、私がジャンケンに負けて美化委員長に祭り上げられた時だった。生徒会長だった蔵内くんに校内美化運動がどうとかで話しかけられて、投げやりに「蔵内くんの顔でもポスター印刷して校内に貼りまくったら」って言ったら蔵内くんは困惑したようにははっと笑った。その時、整った歯並びの端にちらりと覗いた犬歯に、私は取り憑かれたのだ。
 貝殻みたいな形で、すべすべしてそうで、指をぐっと押し付けたら皮膚が破れてしまいそうな鋭利さも兼ね備えた、犬歯。
 清廉潔白、って選挙の応援演説で言われてた蔵内くんにもそんなところがあるんだと思ったら、どうしてもそれに触れてみたくなった。いつも理性的な蔵内くんにも、野生の名残があるんだと思って、すごくすごく、それに触れたくなったのだ。
 でもここで生徒会長の犬歯に突然触ったら停学処分かなあ、と働く頭はあったので、どうしたら蔵内くんの犬歯に触れるだろうと考えた。そして、付き合えば合法的に犬歯に触れられるのではないか、という考えに至ったのである。
「あのう、ところで、私とお付き合いしてくれませんか?」
 昨年の美化運動の取組を説明している蔵内くんに突然そう言うと、蔵内くんはまた困ったようにははっと笑って、唇の隙間から犬歯がちらりと覗いた。
「ありがとう。検討するよ」
「はい、ぜひ。よく検討してみてください」
 それからは毎日のようにアピールをしていたら、蔵内くんが根負けしたのか、お付き合いすることになった。
 やったーと思って、「ところで蔵内くん、犬歯に触らせてくれませんか」と、付き合おうと言ってくれた蔵内くんに返すと、蔵内くんは口の中で「けんし」と呟いた。
「犬歯って、この犬歯か」
 蔵内くんが口を開けて、上の歯列を指さす。
「そう、そうです!」
 頷くと、少し黙ってから蔵内くんは私の身長に合わせて屈んでくれた。
 夢にまで見た蔵内くんの犬歯に、そっと指を触れさせる。先端が指に食い込む。この歯で食物を食いちぎったりすり潰したりしているのだと思ったら、蔵内くんのことが急に愛おしくなった。愛おしいという感情をよく知らなかったけど、たぶんこれがそうじゃないのかなあと思った。それか、発情だと思った。
「ありがとう」
 満足してそう言うと、蔵内くんはいつものごとく人が良さそうにそつなく笑った。私は自分のことを棚に上げて、これで引かないのこの人ちょっとおかしいなと思った。
 それからのお付き合いは、穏やかに進んでいたと思う。蔵内くんは多忙な人だったからあんまり二人で過ごす時間はなかったけど、私が蔵内くんとしたいことと言えば犬歯に触れさせてもらうことくらいだったので、蔵内くんと一緒にお昼ご飯を食べたことがなくても、休日にデートしたことがなくても、べつに問題はなかった。
 そうこうしているとテスト期間になって、私は部活がなかったし、蔵内くんもその日は予定が入ってなかったので、二人で図書室で勉強をすることになった。図書室の利用は18時までだったけど、17時には私たち以外に利用者はいなくなって、司書さんも私たちに声をかけて司書室に引っ込んでしまった。
 二人きりになって、私が考えることといえば一つである。
「蔵内くん」
「なんだ」
 きっと蔵内くんも、私が次に何を言うかわかっていたけど、蔵内くんは儀式の手順を踏まえるようにそう言った。
「犬歯触らせて」
 蔵内くんの涼し気な視線がちらりと私に流され、蔵内くんは頬杖をつくとかぱりと口を開けた。
 私も恭しく指を差し出すと、まずは右下の犬歯に触れた。綺麗な三角形の犬歯をつつく。ちくちくする。唾液が指先に少量付着する。次に左下の犬歯にぐっと指を押し付ける。痛みを感じるほど押し付けると、指先が蔵内くんの歯の形にへこんだ。上の犬歯にも順番に触れて、それぞれの違いをよくよく指先で確認すると、私は指を離した。
「ありがとう」
 確かな満足を感じながらそう言うと、蔵内くんが微笑んだ。
「……俺も、触りたいところがあるんだが、触ってもいいか」
「いいよ」
 私は一も二もなく頷いた。今まで一方的にたくさん触らせてもらっていたから、蔵内くんに触られるならそれがどこでも私は構わなかった。蔵内くんは微笑んだまま、「じゃあ舌を出してくれ」と一息に言った。
 べ、と舌を出すと、蔵内くんの指が私の舌を引っ張り出した。指先で舌をぐにぐにと押されたり、側面を擽るようになぞられたりした。そうしている間、蔵内くんは無表情だった。まるで生物の授業で微生物の観察をしている時みたいな、何かの道具を検める時みたいな、冷静で機械的な表情と手つきだった。
 蔵内くんにそうして触れられることに、私はゾクゾクしていた。私たちはきっと、お互いに自分の発情を大切に抱えていた。しばらくしてから蔵内くんが手を離してくれて、「ありがとう」と笑った。その後二人で無言で手を洗うと、私たちは手を繋いで図書室を後にした。
 それから卒業まで、私は何度も蔵内くんの犬歯に触れさせてもらったけど、蔵内くんが私の舌に触ったのは、あの一度きりだった。



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