大丈夫な男
- 鋼くんに告白された。
鋼くんとは、職場で出会った大学生だ。付き合いは鋼くんが高校生の時からで、正直に言って、鋼くんのことは弟のように思っていた。だから、突然の告白に私は年上のくせにみっともなくうろたえてしまった。
「あ……ありがとう……」
何をどうやって伝えるべきか、頭をフル回転させながら、私は冷や汗をかいた。ここ最近で一番対応力を問われている気がする。
「私は鋼くんのこと、人間として尊敬しているし、好きだよ。でも……」
逆接で結ばれた台詞で、その後に続く言葉を悟ったらしい鋼くんはしょんぼりと肩を落とした。こういうところが可愛くて仕方ないし放っておけないのだけど。
「……たとえば鋼くん、太一くんがゲーム機を5000円で買おうとしてたとして」
「……? はい」
「鋼くんはそのゲームがほかのお店で3000円で売られてるのを知ってる。そしたら、太一くんを止めたくならない?」
「……はい」
「あのね、私は鋼くんが好きだって言ってくれた私のことを卑下する気持ちはないよ。値段が高いことが悪いって言いたいんでもない。安いものを買っちゃったらすぐ故障するかもしれないし、高いから良いものかって言われたら絶対そうとも言えない。でも、選択肢を知らないまま選ぶことの怖さとか不自由さを知ってるから、鋼くんにはよく考えて選んでほしいんだ」
「…………はい」
「鋼くんはまだ大学生で、これからたくさんの人と出会うよ。きっとその中で色んな選択肢に気づくと思う。その時に、自分が後悔しない選択をしてほしい」
「……今のオレは、なまえさんからしたらきっとまだまだ子どもで、でも、今まで出会った人の中で一番なまえさんに惹かれたから告白しました。オレはもう選んだんです」
鋼くんは真っ直ぐすぎる。時々、私はそんな鋼くんが眩しくて見ていられなくなる。
「……ごめんね。私、卑怯なことした」
「え?」
「鋼くんのためみたいなこと言っときながら、本当は自分が傷つくのが怖いんだ。……私、前に年下の彼氏に振られたことがあって……それが少し、トラウマみたいになっちゃってるんだろうね」
苦く笑いながらそう言うと、私はもう一度「ごめんね」と呟いて俯いた。
「それは、大丈夫です」
「えっ?」
顔を上げると、鋼くんは穏やかに笑ってじっと私を見つめていた。
「大丈夫だと思います」
同じことを繰り返した鋼くんに反論することなどできず、私は「そう……」と言うことしかできなかった。
「お疲れ様です」
大学の講義終わりらしい来馬くんが鈴鳴支部に入ってきて、私は手を止めて「来馬くん」と呼んだ。幸運なことに今この場には私たちしかいない。
「あのね、少し話があって……私的なことなんだけど」
「どうかしましたか?」
人のいい顔で心配そうな表情を作り、来馬くんが私の隣に座った。
「あのね……実は、鋼くんに告白されて」
気まずい気持ちでそう吐き出すと、来馬くんは頷いた。
「鋼、ちゃんと言えたんだ。良かった」
「えっ?」
知ってたの? 私は来馬くんに鋼くんの心理的なケアとか、ことによっちゃ私が他支部に異動をすることを相談しようと思っていたのに。
「あの、でも、私鋼くんの気持ちには応えられないから……鋼くん、私と一緒だと気まずくないかな……」
「ああ、それは大丈夫だと思いますよ」
「えっ?」
「鋼は大丈夫です」
仏のようにたおやかに笑った来馬くんに、私はただ惚けて「はあ……」と言うことしかできなかった。
来馬くんに限ってそんなことはないと思うけど、男の子同士だとたまに無鉄砲になることがあるから、オペ室にいた今ちゃんを捕まえて同じような相談をした。いつも冷静で太一くんの面倒をよく見ているしっかり者の今ちゃんなら、きっとうまく事を運んでくれるだろう。
「ああ。鋼くん、すごく緊張してましたよ」
「えっ?」
そのことなら……みたいなテンションで鋼くんの裏話を教えてくれる今ちゃん。私は嫌な予感に冷や汗を流した。
「いやでもね……鋼くんには歳が近くて気の合う子がもっと他に……」
「そこは気にしなくていいと思います」
「えっ……」
「鋼くんなら、大丈夫」
聖母のごとき微笑みをたたえた今ちゃんを前に、私は馬鹿みたいに口を開けて「ああ……」と言うことしかできなかった。
珍しく、支部には太一くんしかいなかった。きっと同じような反応が帰ってくるのだろうと半ば諦めながら「鋼くんに告白された」と言うと、太一くんは驚いて椅子から転げ落ちていた。
「大丈夫? 頭打ってない?」
「大丈夫っす! えっ、てか、鋼さん、なまえさんのこと好きだったんすね……!?」
私が求めていたリアクションに少し感動する。太一くんは鋼くんの気持ちを知らなかったみたいだ。鋼くんが太一くんだけに教えなかったというよりは、来馬くんと今ちゃんが聡かっただけだろう。特に今ちゃんは、絶対に太一くんには教えないだろうし……
「そう……それで、お断りをしたんだけど、」
「えっ、なんでですか?」
「な……なんでって、年の差とか……」
「そこは関係なくないすか?」
「太一くんも同じこと言う……」
「同じ?」
「来馬くんや今ちゃんにも言われた。『鋼くんなら大丈夫』って」
「うーん……よく分かんないですけど、鋼さんと付き合うのが嫌なんすか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ何で断ったんですか?」
「だ……だから年の差……」
「それ理由になってなくないすか?」
「えっ?」
「多分皆さん『なまえさんがどうしたいかで決めろ』って言いたいんじゃないすかね?」
太一くんが首を傾げる。
「なまえさん、鋼さんと付き合いたくないんですか?」
きらきらとした純粋な瞳に見つめられ、私は急に崖っぷちに立たされたような気分になった。
「そ……そうじゃなくて……」
冷や汗が頬を伝う。……もしかして、これが「外堀を埋められる」というやつか。
言葉に窮した私は、「はは……」と乾いた笑いを零すしかなかった。
▽
「こんなはずじゃなかった」
「何が?」
もう寝ているだろうと思っていたのに、返ってきた返事に私は一拍の後にもう一度「こんなはずじゃなかった」と繰り返した。
「寝れないのか?」
「……鋼くんだってそうでしょ」
「……だな」
ふっと笑った鋼くんが、私の布団の中に手を滑り込ませ、指を絡ませる。
「鋼くんと付き合い始めた時も、初めてキスした時も、初めてエッチした時も、いつも思ってた。こんなはずじゃなかったって」
「オレは、結局今日まで一度も後悔しなかったよ」
私はギュッと鋼くんの手を握った。
「オレは『大丈夫』だった?」
「……大丈夫じゃなかったら、ここにいない」
だからこんなはずじゃなかったのだ。
鋼くんにはすぐに歳の近い可愛い彼女ができると思っていたのに、鋼くんはなぜか今も私の隣にいる。
「明日、久しぶりに来馬くんたちに会えるね」
「全員揃って良かったな」
「……ああもう、全然眠れない。こんなんじゃ明日ぶさいくになっちゃう」
結局私たちは明日「恋人」を卒業することになった。その仔細を語ることはやめておく。トルストイの「幸福な家庭はどれも似たようなものだ」という言葉通り、大した波風もない順当なお付き合いの話ほどつまらないものはないだろう。だから、世界一つまらない私たちのお付き合いについては、明日のプロフィールムービーに代えることとする。
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