キャスティングボートは君のもの
- こんなはずじゃなかった。
頭の中が真っ白になって、ただでさえ上手く回らない口がさらに硬くなる。私はただ、一世一代の勇気を出して、好きな人に、加藤くんに告白したかっただけなのに。
待ち合わせ場所に指定した教室にやって来たのは、学内でも荒くれ者で有名な影浦くんだった。彼の危ない噂はほとんど関わりのない私の耳にも届くほどだ。そんな理由で影浦くんに苦手意識をもっていた私はうろたえた。最初は何か別の用事でたまたま影浦くんがこの教室にやって来ただけだと思っていたのだけど、影浦くんがポケットから見覚えのあるラブレターを取り出したのを見た私は固まってしまった。
なんでそれを。まさか加藤くんが影浦くんに断るように言ったのか。いやでも二人が親しげに話してるところは見たことがないし……
ならば考えられる可能性はひとつ。
「あー……手紙、サンキュな」
私は間違えて影浦くんの靴箱に手紙を入れてしまったのだ。
確かにあの時は緊張しすぎてちゃんと靴箱を確認していなかったとはいえ。なんてバカ。せっかく勇気を出したというのに。
「え……と、あ……」
サーッと血の気が引く音を聞きながらどうしようどうしようとぐるぐる考えていると、影浦くんはピクリと小さく眉を寄せた。
ヒエ……こわい……。……いや、逆に言えば、影浦くんは私からの告白なんて断るに決まってる。ならば下手なことは言わず、このまま黙ってお断りされておこう。そう思って小さく縮こまっていると、影浦くんが「じゃあ、」と呟いた。
「付き合うか」
「……へっ?」
頭の中にたくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。な、なんで? なんで? 影浦くん、誰でもいいから彼女がほしいとか、そういうやつ……!? 男子高校生だから、とりあえずステータスとして彼女がほしいとか……!? どうしよう、誤解を解かなきゃ!! と思って影浦くんを見上げると、ギロリと鋭い視線で射抜かれ、とてもじゃないけど間違いだなんて言えなかった。
そして、私たちはあれよあれよとお付き合いを始めることになったのだ。
自宅に戻ってから、私は携帯を手にして頭を抱えた。あの後影浦くんに連絡先教えろときょうか……言われ、断れずに連絡先を交換した。そして意外にも影浦くんの方から「よろしく」という簡潔なメッセージが届いたのだ。私はとりあえず「よろしくお願いします」と返信した。
どうしよう。もしもこのままお付き合いを続けることになってしまったら。私の胃には穴が空いてしまうし、加藤くんとも付き合えない。そんなの嫌だ。
私は決意を固めると、グッと手を握りしめて顔を上げた。……こうなったら、影浦くんに嫌われるしかない。私はその日一晩中、影浦くんと私の破局計画を練ったのだった。
▽
「おい」
影浦くんとのお付き合い二日目、早速昼休みに影浦くんに「顔貸せ」と呼ばれた。「先生呼ぶ?」とざわつく友人たちに「大丈夫」と引きつった笑顔を向けると、私はしずしずと影浦くんの後を追った。
昨日と同じ、人気のない特別教室で影浦くんと向かい合う。影浦くんはどかっと椅子に座ると、お弁当を広げた。私はそろそろと影浦くんの隣に腰を下ろした。
「……なんでそっちだよ」
「か……顔見ると緊張しちゃうから……」
俯きながら紛れもない本心を伝えると、影浦くんはふんと鼻を鳴らした。
「あの……影浦くん。その……付き合ってること、みんなには内緒にしたいんだけど……」
「なんで」
「え……と、からかわれたりしたら……恥ずかしいし……」
「俺と付き合ってるのが恥ずかしいってのか」と怒鳴られることを想定しつつもそう伝えると、影浦くんは「分かった」と一言で了承した。
「えっ……い、いいの?」
「俺もからかわれんのメンドクセーんだよ」
あっさり了承されて拍子抜けするが、私はほっと息を吐いた。よし、これであとは影浦くんに振られるだけでいい。
「……これから昼、ここ来いよ」
「あ、うん……わかった」
お付き合いを隠すなら、ここだけが私と影浦くんが「恋人」としてつながる場所なのだ。そう思うと、何だか居心地が悪い。
私は一刻も早くこの関係を解消するため、次の一手を打った。
「あの、影浦くん……明日、お弁当作ってきていいかな……」
おずおずとそう提案すると、影浦くんは数秒の沈黙の後、「ああ」と言った。「よし!」と胸の中でガッツポーズをした私は、「頑張るね」と影浦くんに笑いかけた。
▽
影浦くんとのお付き合い三日目、私は自作のお弁当を影浦くんに差し出していた。
「頑張ったの……」
しおらしくそう言ってみせるが、中身は無理やりとんでもない味付けにしたおかずばかりが入っている。男の子を好きにさせたいならまず胃袋を掴めというのを聞いたことがある。ならば、嫌われるにはまずいお弁当を食べさせるのが一番なのではないか。
自分ながら完璧な方程式に惚れ惚れしていると、影浦くんが抹茶粉末とタバスコとコーヒーで味付けした卵焼きを口に運んだ。
私の思い描いた破局ストーリーは、「こんなまずいもん食わせやがって」と怒った影浦くんに「ひどい」と泣いてみせ、「こんな女願い下げだ」と振られる……という筋書きだった。
今か今かと影浦くんの罵倒を待っていると、影浦くんは咀嚼していた口の動きをピタリと止めて眉間に皺を寄せた。とりあえずまずくなりそうな調味料を全部入れてみた闇弁当は、完食なんてできる代物じゃない。さあ、早く罵って! 必死のあまり自分が倒錯した思考になっていたことに気づいたけど、それは一旦置いておいて私は影浦くんの顔をじっと見つめて彼の反応を待った。影浦くんはお茶で卵焼きを流し込むと、すうと息を吸った。
来る! と身構えたけれど、次の瞬間影浦くんはガツガツとお弁当を豪快に食べ始めた。
ぽかんとその様子を見守る。「おいしい」とは言わないし、眉間に皺も寄っているから、口に合わないことは違いないはずだ。なのに影浦くんは、結局綺麗にお弁当箱を空にした。
少し青い顔で「ご馳走さま」と言った影浦くんに、私の罪悪感はちくちくと刺激された。本当に食べられたものじゃない味付けだったのに、まさか完食するなんて思ってもみなかった。
「あ……ありがと、全部食べてくれて……」
本心からそう言うと、ごくごくとお茶を飲んでいた影浦くんが唐突に「今日の放課後空いてっか」と聞いてきた。
「えっ……あ、うん……」
お弁当完食に気を取られていたのと、突然でびっくりして、つい頷いてしまう。影浦くんは「よし」と言うと、「俺んち来い」と言った。
「ここ」と言って示されたのは、お好み焼き屋さんで、私はぽかんと口を開けて「かげうら」と書いてある看板を見上げていた。
影浦くんはお店の中に入ると、「クラスのやつ来てっからここ使うわ」と言ってテーブル席を一つ確保した。テキパキと制服を脱いでお水を用意して、ついでに卵とボウルを持ってきた影浦くんは、「卵焼き作ってみろ」と私に言った。
な、なるほど……。私の作った卵焼きがあまりの出来だったから、教えようとしてくれてるのか。何をされるんだろうとドキドキしていた自分が恥ずかしい。
「味付けは?」
「えと……コーヒーと……」
「コーヒー!?」
目をつりあげた影浦くんに、ビクッと身体を震わせた。
「カレーの隠し味にコーヒー使うといいって聞いたことあって……」
「あー……あとは?」
「辛いの好きって聞いたことあったから、タバスコ……」
「なるほどな……」
影浦くんは頭に手をやると、「味付けは普通でいい」とため息混じりに言った。
「おめーん家の味付けは?」
「うちは、味付けはお塩とお砂糖……あと、お母さんはマヨネーズ入れてる」
「あー、原理は知らねーけどフワフワになるからな」
影浦くんの口から「ふわふわ」という言葉が出てきた衝撃に打たれている私をさておき、影浦くんは慣れた手つきで卵を片手で割った。
「片手で割れるの!? すごい!!」
尊敬の眼差しで影浦くんを見つめると、目を逸らされた。
「慣れてっからな……卵二つくらいならこんくらいの量でいいか」
手早く卵をかき混ぜた影浦くんは、鉄板に卵液を流した。コテで手早くまとめると、薄く巻いていく。
「すごいすごい!! 上手だね……!!」
コテでやるのは難しそうなのに、影浦くんは薄い卵を破らずに器用に巻いていく。
「お前、卵自体は綺麗に巻けてたからあとは味付け……俺好みにしようとすんのは嬉しいけどよ、張り切りすぎなくていいんだよ」
「う……嬉しい? 影浦くんが?」
驚いてそう聞き返してしまうと、影浦くんは失言だったと言わんばかりに顔をしかめて出来上がった卵焼きを私の目の前に移した。
「食え」
コテで一口サイズに切ってもらった卵焼きを頬張ると、私は「おいしい」とつい顔を綻ばせていた。
「……そーかよ」
ふいと顔を逸らした影浦くんの背後から、「かげうら」のエプロンをした女性が「食べてくの?」と声をかけた。影浦くんはちらりと私を見ると、「いや、今日はいい」と返す。
「珍しい。お好み焼き食べないの? あんたこれ何作って……」
「いいから見んなよ!! 接客しろ!!」
女性を追い払いながら影浦くんが、「今食ったら飯食えなくなんだろ」と言う。
「うちでご飯食べるために呼んだんじゃないの? ますます珍しい」
その言葉に、私は体を小さくした。発端は私の闇弁当なのだ。そんな私を見て、影浦くんは「また今度食いに来いよ」と言った。今の会話から、影浦くんはよくお友達を家に呼んでいるのだということが分かった。
「……うん」
でも、きっとその「今度」は、私には来ないのだろうと思いながら笑って頷く。影浦くんはピクリと眉を寄せたけど、何も言わずに卵焼きを食べる私を見守った。
▽
さて、手作りお弁当作戦は失敗に終わってしまったので、私は次の手を打った。週末を使って用意した影浦くんへのプレゼントを、二人きりになったタイミングで影浦くんに差し出す。
「これ……よかったら」
私が差し出したのは手作りのマスクだった。ただ、マスクに使っているのは赤ちゃん用の肌に優しいガーゼだ。可愛らしいくまちゃん柄の。これは流石に善意より煽りに感じる人の方が多いだろう。特に影浦くんはキレるはず……。キレられたら「ひどい」と泣いて別れる、が次なる私の計画だったのだが、影浦くんは若干顔を引き攣らせながら「サンキュ」とくまちゃんマスクを受け取った。
……マジ!? キレないの!? 暴力沙汰を起こしたって聞いたことあるけど!?
「ちょっと可愛くなりすぎちゃったけど……肌にいい布なの。気に入らないかな……?」
そっと見上げながらジャブを打つと、影浦くんは「あー……」と髪の毛をわしわしと搔いた。
「俺のために時間割いてくれたのは、」
言葉を切って言い淀む影浦くんに、以前影浦くんの家に行った時のことを思い出して、私は計画も忘れてついふふっと笑ってしまった。
「……嬉しい?」
そう訊くと、影浦くんは少し驚いたように目を見開いた。影浦くんの手がそっと私の頭に伸ばされる。不思議とそれを怖いとはもう思わなかった。私はじっとしていたけど、影浦くんは結局その手を空中にさまよわせたまま下ろしてしまった。
▽
影浦くんとお付き合いを始めて一週間、ここまで影浦くんが私にキレたことは一度もない。私はキレられるために動いているので、相当ヤバいことをやらかしまくっているのにもかかわらず、だ。
……これでキレないなら何をしたらいいの……?
取る手も限られてきて追い詰められていた私は、とりあえず鈍臭いところでも見せておくか……と「わあ足が」なんて棒読みで言いながら影浦くんにタックルをかました。私の想定では転んだ影浦くんが「何しやがる」とキレるはずだったのに、そもそも影浦くんは私のへなちょこなタックルなどでは転びさえしなかった。
「っおい……大丈夫かよ」
むしろ私が影浦くんの背中に抱きついた形になって、至近距離で影浦くんに顔を覗き込まれて、ビクッと体を震わせた。
「っ……」
「気ぃつけろ」
制服越しに影浦くんの硬い体を感じて、私は慌てて後ろに飛び退こうとした。つるりと足を滑らせた私の腕を影浦くんが掴む。今度は正面から影浦くんの胸に飛び込んでしまって、私の心臓はバクバクと跳ねた。
また近い距離で影浦くんの声がして、私は真っ赤になった顔でギュッと目を瞑った。
「……んな顔してんなよ」
「わっ」
いきなり影浦くんに髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられた。私が乱れた髪の毛を整えることに夢中になっているうちに影浦くんは先に教室に戻ってしまっていた。その背中を見つめながら、高鳴る胸を手で押さえる。
……びっくりした。うん、びっくりした。それだけだから、早く治まってくれないと、困る。
▽
お付き合いが始まってすぐのころは、影浦くんのことをよく知らなかったから、きっと影浦くんは私みたいなやつにすぐキレてまともにコミュニケーションも取れないだろうと思っていた。けれど影浦くんは意外と怒らずに私の言い分を聞いてくれるし、影浦くんなりにコミュニケーションを諦めようとしなかった。
そんな、影浦くんの意外な一面が私の中に増えていくころ、加藤くんに声をかけられた。前までは加藤くんに声をかけられようものなら緊張と動悸で挙動不審になっていたものだけど、今回は藪から棒に「影浦と付き合ってるの?」なんて聞かれたものだから、私はドキドキするより先に言い淀んでしまった。
「あ、違うよな。ごめん、なんか最近距離近い気がして……。だって影浦って乱暴だし……きみはそういうタイプじゃないもんね」
そう言われて、私はムッと眉を寄せた。影浦くんのいいところも、私のことも知らないくせに……
そんな不貞腐れた気持ちで加藤くんを見ると、私はふと気づいた。加藤くんは影浦くんとは正反対で、言動が優しくて学年順位一桁なくらい賢くて喧嘩なんかしたことがない。前まではそんな加藤くんが輝いて見えていたのに、今は全然キラキラしてない。
思い返してみたら、最近は「私が作った」というだけでまずいお弁当や趣味の合わないマスクを受け取ってくれたり、私の言うことに静かに耳を傾けて尊重してくれたり、私の(意図的な)ヤバい言動にも根気強く向き合って矯正しようとしてくれる影浦くんと一緒にいるのが心地よくて、そんな影浦くんがずっと頭の中にいた気がする。そして、その影浦くんはどれも、キラキラと輝いているのだ。
……そっか。そうだったんだ。
私、影浦くんのことが好きなんだ!
やっと自覚した気持ちに頬が赤らんでいく。
影浦くん、もう帰っちゃったかな。今すぐ会いたい。それで、今度こそ本心から、「好き」って言いたい。
いてもたってもいられず、加藤くんを置いて教室を飛び出そうとしていたら、教室に入ってきた影浦くんと鉢合わせた。影浦くんにじろりと見られた加藤くんはさっさと帰っていき、教室には私と影浦くんだけが残された。
影浦くんは何も言わない。私は「あの……!」と影浦くんに声をかけた。
「知ってた」
影浦くんが遮るようにそう言う。
「お前が俺のこと好きじゃねえのも、ずっと俺に怯えてんのも」
全部知ってたと影浦くんは言う。私は慌てて影浦くんの顔を見つめて言い縋った。
「あのね、でも……!」
「今はもう違うことも分かってる」
やっぱり影浦くんはすべてお見通しとでも言うように私の言葉を遮った。私はかあっと赤くなった顔で、それでも影浦くんから目を逸らさなかった。
「……知ってたのに、どうして付き合ってたの?」
「俺はお前が思ってるほど優しくねーよ。わざわざお前の本心汲み取って別れてやるほど。お前が正式に俺のこと振るなら食い下がる気もなかったけどな」
髪の毛を掻きながらそう言う影浦くんに、「違くて」と言った。
「だから、なんで……私と、付き合ったの?」
確信に迫る答えが欲しくてたどたどしくそう訊くと、影浦くんは意地悪そうに笑って「教えてやらねー」と言った。
「自分で考えろ」
ニッと笑った影浦くんに心臓がバクバクと音を立てる。今すぐ影浦くんに触れたいと思いながら、まだ手を伸ばす勇気のない私は、きらきら輝く影浦くんをいつまでも見つめていた。
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