ラブソング
- 好きなアーティストが歌っている、恋愛ソング。流行の歌というわけでもない。むしろカップリング曲だからそこまで知名度はない。でも、私はその曲が大好きだった。なんたって、私のための歌だと思っていたから。
恋人といつも長続きせず、自暴自棄になっていた私に「好きだ」と言ってくれて、そんな私のことを大切にしてくれた。おかげで、腐っていた私は救われた。私も「いい人」になろうと思った。恋人の隣にいて恥じない自分になろうと思った。そんな私の心情を歌い上げたような歌だった。
そんな恋人に、先日「好きな子ができた」と言われた。誠実さも悪いことがあるんだと思った。彼は別に二股をしていたわけではなく、他に気になっている子がいるのに私と付き合ったままなのは筋違いだと思ったらしい。そして私は振られた。
なんだそれ。
マイクを掴んで、十八番の恋愛ソングを歌う。曲調に似合わないがなり声で。最初は恨みたっぷりに歌っていたのだが、サビに入ると急に体に力が入らなくなった。私はすとんとカラオケの硬いソファに腰を下ろすと、ずるりと背中を預けた。
じわっと涙が目に浮かぶ。
「あーもー……何これ……止まんないし……」
ぼろぼろ流れる涙を拭うこともせずにいると、突然メロディが止んだ。演奏停止を押した人物は、ため息を吐くと慰めるでもなくただ長い足を組んで私の隣に座っていた。
「にのみやあ……涙とまんない……」
「……無理をしすぎだ、おまえは」
「だってっ……泣きたくない……っ」
鼻水と涙が垂れないようにぐっと上を向いたけど、あんまり意味はなかった。
「もーやだ……にのみや、これ止めてよ……」
ただくだを巻くように二宮にそう言うと、二宮は私の二の腕を掴んだ。細くないからそこはあんまり掴まないでほしい、と思っていると、二宮は背中をかがめて私にキスをした。
目の前に二宮の整った顔があって、唇にしっとりと柔らかい感触がして、二宮の匂いがして、ああ今キスされてるんだと思った。
「……なにしてんの?」
唇が離されてから、私が放った第一声はこれだった。
「泣き止ませろと言っただろ」
「うん……、……ちょっと一回本気で殴っていい? グーでなんだけど」
二宮は無表情のまま頷いた。私は遠慮なく全力で二宮の頬を打った。
その結果、私の尺骨にはひびが入った。全治二ヶ月だった。
「水でいいか。おまえは座ってろ」
「だーから、大丈夫だって」
大学の食堂で、二宮と向かい合って席を取る。私の分まで飲み物を持ってきてくれる二宮の背中を見つめて、私は呆れたようにため息をついた。
二宮は骨折をした私の世話を焼いた。頬の腫れた二宮が手を怪我した私の世話を焼くのは、そこそこショッキングな光景だった。私たちはたいへん好奇の視線に晒された。
「二宮って、私のこと好きなの?」
コップを二つ持って席に戻ってきた二宮に、藪から棒に質問する。
もちろん私は自惚れ屋ではないが、キスもされたし、(元を辿れば二宮のせいとはいえ)骨折をした私の世話を焼くし、これはもう私のことが好きなのだろうともっぱらの下馬評なのだ。
「好き? おまえが?」
二宮は心底ありえないというような顔をして鼻で笑った。
「それはない」
「じゃあ私の怪我が治ったら今度はバットで殴らせてね」
「断る」
二宮匡貴という男はよくわからないやつだった。
二宮のことは嫌いではない。でもムカつくところも多いし、手放しで「友人」と言うこともできない。私たちは、そんな、関係性に名前をつけることさえできないような曖昧な関係だった。
恋人と長続きせずに荒れていた私のことを二宮は気にかけてくれていた、らしい。しかし、二宮の「気にかける」は「ほとんど悪態みたいな声をかける」ことだったので、私は最初二宮のことが大嫌いだった。しかし、二宮は伝え方が最悪なだけで私を心配していたことが先輩の取り持ちにより判明し、私は「その感じでいいやつかよ」と腹を抱えて笑った。
二宮がわかりづらすぎるだけなのだけど、「私がわかってなかっただけだったわ!」と謝ると、二宮が少し私になついた。
先日の『失恋の私を慰める会』でも、三次会のカラオケまで付き合ってくれたのは二宮だけで、他の同級生は「いつものこと」と二宮に私を任せるとさっさと帰ってしまった。
二宮が悪いやつではないということはよくわかっているのだけど、本当によくわからない。
「じゃあなんでこんな構うの」
「……馬鹿だと思った」
「チクチク言葉やめようねって言ってるじゃん」
「毎回こんなに泣くなら、俺にしておけばいい」
また二宮の嫌なとこ出てる、と思った私は威嚇の構えをしていたが、続いた言葉にぱちりと瞬きをした。
「俺はおまえのことは好きじゃない。だが、俺ならおまえを泣かすことはない」
二宮は私の割り箸を綺麗に真っ二つにすると、トレーの上に戻した。
「んーと……」
私は怪我のことも忘れて頬杖をついた。
「二宮って、大変だね……」
「は?」
侮辱されてると思ったのか、二宮がドスを効かせたが、今さらそんなものに怯む私ではない。
「でも二宮と一緒にいても幸せになれなさそうなんだよな〜」
「なんだと」
睨みつつも、二宮は私の野菜ジュースの付属のストローを袋から取り出し、飲み口に刺した。
「うーん、じゃあお試しで付き合ってみよっか。あ、気まずすぎるからエッチはなしで」
「なんでおまえが譲歩する側なんだ」
不服そうにそう言う二宮だったが、私の提案を断ることはしなかった。そうして、私たちの関係は、一旦「恋人」というところに落ち着いた。
意外にも、二宮との付き合いにストレスはなかった。むしろ、二宮相手なら遠慮なくダメ出しをしたり気を抜いたり正直になれるのが良かった。
私はいつもつい恋人の前で無理してかっこつけてしんどくなってしまい、長続きしないのだった。しかし、二宮相手なら気を遣う必要はないため、失礼な言動をされたらその場でシバいて終わりだし、自分が失敗しても(まあ二宮も人間一年生みたいなとこあるし……)と思って終わる。
だから、家に帰って一人になってから後悔してめそめそ泣くこともない。皮肉なことに、告白(?)のときに二宮が言ったことは正しかったのだ。
ある日、二宮とデート(という名の荷物持ち)をして(させて)いると、声をかけられた。声をかけた相手は私を振った元彼だった。
私は彼を見て、(ああ)と思った。それは、あまり親しくない友人の友人とたまたま会ったときの(ああ)だった。「奇遇ですね。そちらもお出かけですか」以上の感想は出てこず、会釈だけして終わろうとすると、向こうから「あの」と声をかけてきた。
「少し話せないかな」
「断る」
それを拒否したのは二宮だった。私は二宮の背中をシバくと「勝手に他人の行動を決めるな」と言った。
「大丈夫だけど、これも一緒でいい? 情動が未成熟なんだけど気にしなくていいから」
二宮を指さしながら元彼にそう聞くと、彼は気後れするようにたじろいだ。
三人でカフェに入って席に座る。隣で二宮が圧をかけているのを「気にしないで」と言って、元彼に本題を促した。
「……今更何を言ったって、おれの自己満足で、君を傷つけることにしかならないけど……」
深々と頭を下げて謝罪をする元彼に、私は頭を上げるように言った。
「謝罪なら別れるときにもちゃんともらったし、大丈夫だから」
「でも……」
「だいたいね、あなたは別に浮気してたわけじゃないし、誠実な別れ方だったでしょ? そんなに気にしないでよ」
なんとなく、名前で呼ぶのははばかられ「あなた」なんて呼び方をしてしまう。そのこそばゆさを気にしていたのは私だけだったみたいで、元彼は「君が悪かったわけじゃないんだ」と真っ直ぐに私を見つめた。
「おれと一緒にいる君は、いつも無理してるみたいに見えて……」
そんな風に思ってたんだ、と思うと悪いことをしてしまったと過去の恋人たちに申し訳なく思う。事実、目の前の彼と付き合っていたころの私は常に無理をしていた。過去の恋人たちと長続きしないのは、私のせいでもあったのだ。
「……おれが言えることじゃないんだけど、君は、おれと別れて良かったと思うよ」
微笑みながら私と二宮を見る元恋人に、私も笑い返した。
「私も、そう思う」
元彼が先にカフェを出ていったので、「あっち行く?」と隣の二宮に向かいの席を指したが、二宮は動かなかった。
「よく大人しくしてたね〜」
「俺が口を出すことじゃないだろうが」
むくれつつもそう言う二宮に、「うはは」と笑う。あんなに圧かけといてよく言う。
「ねえ、二宮」
「なんだ」
「二宮って私のこと好きじゃないんだよね」
「ああ」
「そっか。じゃあ、別れよっか」
別れを切り出してから、私はカップに残っていたカフェオレを飲み干した。スマホをポケットにしまい、伝票を手にする。
「……なんだと?」
「別れよう」
「なぜだ」
「私が、二宮のこと好きになっちゃったからかな。好きだから、二宮に好意がないなら付き合えない」
私は席を立つと、伝票を摘んだ手を振った。
「じゃあね、二宮。あ、ギプスも外れたし、怪我のことはもう気にしないでいいからね〜」
それだけ言い残すと、どこか清々しい気分で私は二宮を置いてカフェを後にした。
翌朝、大学に行く準備をして玄関のドアを開けると、部屋の真ん前で二宮が待っていて、私は呆れたように「もういいって言ったでしょ」と言った。
「……違う」
「なにが」
施錠しながらそう問い返すと、二宮はムッと一瞬言葉を詰まらせた。
「……俺もおまえが好きだ」
「知ってるよ、それくらい」
振り返りながらなにを今さら、とため息を吐くと、二宮は「は?」と眉をしかめた。
「なら……」
「ちゃんと自覚してんのかって話してんのこっちは」
「……してる」
「じゃあ私の好きなとこ言ってみ」
そう言うと、二宮は黙りこんだ。もしかして喧嘩売られてるか?
「俺以外のやつのことで泣くおまえを見たくない、は理由にならないのか」
真っ直ぐと私を見つめてそう伝えてくる二宮に、私は「うーん」と唸った。
「ギリギリ」
「どっちだ、それは」
「どうしよっかな〜」
鍵につけたキーホルダーのリングに指を引っ掛けてくるくると回しながら外階段に向かうと、「おい」と不服そうな二宮が後ろからついてきた。
「ちなみに、私は二宮とエッチできますが、そちらは?」
「…………できる」
「おい、間」
私はしょうがないなあ、とため息を吐くと、「じゃあ今度試してみよっか」と言った。二宮は不満たっぷりに「なんでおまえが譲歩する側なんだ」と毒づいた。
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