ストロベリー・サンデーとチョコレート・シェークと



 ファッキンジョックス。
 心中でそう呟いて僕は部室の扉を開けた。真っ暗な室内では不健康そうな隈を作った少女が蝋燭の火の元読書をしていた。彼女はこちらをちらりと一瞥するとふんと鼻を鳴らした。
「またやられたの?黒魔術でやり返してやればいいのに」
「なかなか悪魔と交信できないもんでね」
 そう言いながらカバンを机の上に置く。入学したときはオカルトクラブなんていう自分ぴったりのクラブがあることに感動した。最初こそ同じくオカルト好きの面々と慎ましくも楽しい生活を送っていたのだが、気づけば活動しているのはこの2人。あとは幽霊部員で成り立っている。オカルトクラブだけに。なんてくだらないことを思いながらフリルが沢山ついた黒づくめのドレスを着た少女を見つめる。彼女……なまえはオカルトクラブを廃部寸前にまで追い詰めた張本人である。なまえは少々、いやかなり強い個性の持ち主であり、不老不死の薬を作ると言って小動物の死骸を所持し停学になったり、陰口を叩いた奴に「呪い」と称して腹パン(物理)を見舞って停学になったりといろいろやらかしている。僕だって普通のやつに「やり返せ 」なんて言われたらよくもそんな他人事をと言い返そうとはするが、暴力こそ受けていないが自分より陰湿な目に遭っていながら堂々とやり返す彼女には何も言えない。なまえの行動にはいつも呆れるがそんな気の強いところや、自分の好きなものに素直なところなんかは嫌いじゃない。そんな僕の甘さがまだ僕がオカルトクラブに在籍している理由である。
 

 
 校内がいつもより落ち着きのない季節がやってきた。もうすぐやってくるハロウィンパーティーにそわそわしている、イベント事に騒ぐしか能のない凡人どもを横目に僕は部室に向かった。
「イッチー・パインフィールド!!我が名のもとに命ずる!我が手足となり本懐を遂げるのだ!!!」
 扉を開けた瞬間にそう言われたがなまえの奇行にはもう慣れている。僕は素通りして椅子に腰掛けると「今度は何するの」と尋ねた。
「愚問ね。この時期の一大イベントといったら?」
 うちの次男坊を彷彿させるようなポーズをとりながらそう言うなまえにハロウィンと小さく呟いた。
「そう!人間に紛れ死者の霊が彷徨う一夜!これは我がオカルトクラブとしては放っておけないイベントね……!?」
「去年はこんな馬鹿げたイベントに乗っかって大騒ぎするくらいならマイリトルのストロベリー・サンデーを食べるほうがマシって言ってなかった?」
「ラヴォワン様も言っている!今!人々を恐怖の渦に落とすのだ!!」
 僕の言葉なんて聞かずに1人で高笑いしているなまえは大層なことを言っているが多分仮装がしたいだけだろう。どうせ僕には選択権なんて残っていない。なまえの我儘ならもう慣れた……

「ムリムリムリムリ」
 迫ってくるなまえに僕は全力で首を横に振っていた。嘘だ。やっぱりなまえは突拍子もないことを考えるし行動に移してしまう。頬を膨らませ上目遣いで睨んでくるなまえ。そうしていれば可愛いのに……と思いながら彼女を見つめる。
「一度請け負ったくせに、往生際が悪いわね!予想できたことでしょう?」
「いや……だってまさかただ仮想してパーティーに参加するだけだなんて……なまえならもっと突拍子もないことするんだと思ってた……」
 パーティーの途中で悪魔召喚の儀式をするとか、爆弾をしかけるとか、そんな、本当に突拍子もない、マンガの世界のようなことを言い出すものとばかり思っていたらあまりにも普通のことを言われてしまい逆にものすごく新しいことを言われている気分だ。
「こういうイベントは楽しむものよ。ええ、心からね」
 何を考えているのか、ニタァと笑いながら意味深なことを言うなまえに呆気に取られる。
「それより、貴方が言うものだからストロベリー・サンデーが食べたくなったわ。付き合って頂戴」
 そう言ってすっと踵を返しさっさと部室を出て行くなまえ。僕は慌ててその後を追った。
「い、衣装は?何の仮装を……」
「詳細は秘密。秘密は魔女の嗜みよ」
 長い髪とドレスのフリルを靡かせてそう言う彼女は普段の姿の方がよっぽど仮装らしい。
「ただ、慣例に則って行うのなら……化物の仮装を行うべきでしょう」
 化物と一口に行っても吸血鬼からフランケンシュタイン、狼男など多岐にわたる。あんまり派手な仮想じゃありませんように、と願いながらマイリトルに向かい、いつものようになまえはストロベリー・サンデーを、僕はチョコレート・シェークを頼んだ。
 

 
 ハロウィンパーティーが翌日に迫った金曜日、いつものように昼休みは校舎裏の草陰で野良猫と過ごした。僕には昼飯を一緒に食べるような友人はいないから。猫じゃらしをふわふわ揺らして猫を構っていると、突然首根っこを掴まれた。
「な、なに!?」
ジョックスに捕まったか、と身構えたが、そこに居たのは僕よりも小柄ななまえだった。
「ついてきて」
 むっつりとそう言うとさっさと踵を返すなまえ。マイペースにも程がある。僕がどうしたものかとその場で立ち竦んでいると、なまえが僕を振り返った。
「イッチー」
 なまえが名前を呼ぶのは珍しい。名前を呼ぶこと自体は珍しいことじゃないのだけど……芝居がかった調子じゃなくて、素で呼ぶのが珍しいのだ。
なまえはさも当たり前のように来るでしょ?と首を傾げ僕を待っていた。その姿に僕は逆らえず、ため息をつくとのそのそとなまえに付いて行った。
 なまえは学校を出て近くのスーパーマーケットに向かった。何を買うのかと思いきや、お菓子や食料、ジュースなんかを買い込んでいる。それから制汗シートと歯ブラシを2つ、ブランケットをカゴに入れるとレジへ持っていった。会計が済むとまたもやさも当然と言わんばかりになまえが僕の財布を奪ってきた。
「ちょっ!何すんだよ……!」
「貴方にも関係があることなのだから、払うのは当然よ」
 きっちり折半した食料たちを袋詰めしながらなまえに問いかける。
「僕にも関係があるって……?」
「詳しい話は後よ」
 なまえは袋二つを僕にもたせると颯爽とスーパーマーケットを後にして学校へと戻った。僕はとぼとぼとその背中を追いかける。授業中に校内を堂々と歩き、部室へと戻る。なまえは机に腰掛け足を組むと、早速爆弾発言をかましてきた。
「イッチー、今日一緒に学校に泊まりましょうよ」
「はい?」
 ぽかーんと口を開け両手に重いレジ袋を下げたままなまえを見つめる。なまえの目は子供のようにキラキラと輝いていた。そのための食料、歯ブラシたちだったというわけか。
「いや、無理でしょ……」
 僕はそう言って俯いた。
「どうして?」
「いや、セキュリティだってあるし、常識的に考えて……そんな簡単なものじゃないでしょ……」
「どうして?」
 僕はハッと顔を上げた。ボソボソと籠る僕の声と対照的に凛としたなまえの声。まっすぐに僕の目を見つめるなまえに目を逸らしたくなった。
「あなたも常識なんてくそ喰らえだと思ってる人間だと思っていたわ。私たち不確かな"常識"のせいでゴスだ何だって言われてるけど、それを止めないのは好きだからでしょ?」
「……」
「常識か非常識かで決めるなんてナンセンスよ。楽しいか楽しくないか、やりたいかやりたくないかできめましょうよ!」
 子供のように屈託のない笑顔で笑うなまえに、僕は目を細めた。彼女はやっぱりイカれている。そしてそんな彼女に付き合う僕も……
「うん……そうだね、常識じゃ考えられないし……沢山怒られはするだろうけど……ええと、つまり、それってすごく楽しそう」
 なまえが神妙に頷いて机から飛び降りた瞬間、下校のチャイムが鳴り響いた。


 
 深夜、先生も生徒もいなくなった学校の部室で僕たちはお菓子とジュースを肴に話していた。前から一度学校に泊まってみたかったと興奮気味に話すなまえを見ながら、母さん心配してないかな、と思った。兄弟たちは夕飯の取り分が増えるから喜んでそうだけど。蝋燭の炎にゆらめくなまえの顔を見ながらポテトチップスをぱり、と食んだ。
「とうとう明日ね、ハロウィンパーティー」
「うん……まだ、衣装は秘密?」
「ええ。明日は忙しいわよ。パーティーは夕方からだから、しっかり準備しなくちゃね」
「うん……もういいよ、全部なまえに従う。そしたら何か面白いことが起こりそうだし……」
 そう言いながらぶるりと震える。もう10月も終わる。大した暖房も防寒着も持っていないから冷えるに決まっている。
「寒い?」
 なまえが囁くようにそう言った。
「少し」
 なまえは無言で壁際に座っていた僕の隣に来ると、僕が肩にかけていたブランケットに潜り込んできた。
「ちょっ……!?」
 流石にこれは童貞には危険すぎる。もちろんこんなゴミクズに何かする勇気はないけど。
「こうした方が暖かい」
 なまえは自分が使っていたブランケットを僕たちの膝に掛けると、擦り寄ってきた。僕はピシ!と固まってその場から1ミリも動けなくなった。寒さなんてもはや感じない。冬場だったからシャワーは諦めてシートで拭いただけなのに、なまえはいい香りがした。それに僕の身体に当たっているところすべて柔らかいし……ってそれ以上考えるな。絶対に反応するなよ……と自分に言い聞かせながらなまえにあまり触れない体勢を模索した。
「イッチー……」
 なまえの声がやけに色っぽい。ドギマギしながら続きを待っていると、「明日は、絶対に楽しくなるわ……」と聞こえたあと、安らかな吐息が聞こえてきた。
「なまえ……?寝たの……?」
 返事はない。眠かったのか、そうか。ホッとしたような残念なような、居心地の悪い気分で壁にもたれた。まあ、でもなまえの言う通り、きっと明日は楽しくなる、そんな予感がする。なんてったってなまえが企て事をしているのだから。なまえと一緒なら、大嫌いだった学校の行事も少しは好きになれるかな、そんなことを考えていると、疲れからか睡魔が襲ってきた。なまえ、寝辛くないかな……僕は壁際でこうやって座り込むのに慣れてるからいいけど……なまえの頭を自分の肩に乗せてやり、僕は眠りに落ちた。



「ムリムリムリムリ」
 昼間際に起きて、軽く昼食を取り、歯を磨きいざ仮装という段に至って僕は全力で拒否していた。
「往生際が悪い!さっさと着替えなさい!」
 なまえは衣装とメイク道具などを広げると僕に着替えろと強要してくる。でも僕には無理だ、似合うはずがない。
 なまえが持ってきたのは、白いニットと細いパンツ、それからコートとハット……いかにもイケてるジョックたちが着ていそうな、今どきの服だった。こんな爽やかな服が、僕なんかに似合うわけない……!
「な、何がしたいの……こんなの僕に似合うわけないし、まさかイケてない僕を笑いたいの……」
 早口でまくし立てると、あっけらかんとなまえは言った。
「似合うわよ」
 まるで1+1=2、人間の呼吸には酸素が必要です、とでも言うように何を当たり前のことを、と言うような口調だった。そこに僕への憐憫とか、嘲りは一切なかった。
 なまえは僕の前髪を掻き上げると微笑んだ。
「あなた綺麗な顔してるんだから、もっと自信持ちなさい」
 この私が手解きしてあげるわ!と胸を張って言われ、僕はその言葉に操られるように着替えを始めた。
 着替えが終わると、なまえに化粧をされた。と言っても拭き取り洗顔をした後軽くファンデーションで肌を整え、コンシーラーで隈を隠し短い眉毛を描きカサカサだった唇にリップクリームで潤いをもたせる程度。しかしそれでも印象は段違いだ。眉毛があって隈がないだけでこんなにも変わるとは。最後にワックスで髪の毛を軽くセットされた後、部室の全身鏡で自分を見た。隣ではなまえが満足げに腕を組んで立っていた。正直に言う。自分でも少しイケてるんじゃないか?と思ってしまった。この格好で紛れ込んだら、自分もジョックになれるんじゃないか、なんて馬鹿な期待を抱く程度には。陳腐なことしか言えないけど、本当にこれが僕?と思ってしまうような。
「ねっ、言ったでしょ!」
 嬉しそうにはしゃぎながら言うなまえにぼんやり返事をする。少し、ほんの少し身だしなみに注意するだけでこんなに変わるんだな、なんて思っていると。
「そろそろ私も着替えたいんだけど?」
 さっきとは打って変わって冷たくそう言われ僕は慌てて廊下に出た。
 廊下で軽く1時間は待ったんじゃないだろうか。着替えだけでこんなにかかるものなのか。寒いし暇だし眠い。
「ねえ、まだ……?」
 そう声をかけると、「ああ、もう入っていいわよ」といかにも忘れてた、というような返事が返ってきた。
 部室に入るとなまえは体のラインが分かるニットにフレアスカートとパンプスという、いつもとは正反対のシンプルな格好をしていた。シンプルだけどこれまたクイーンビーたちが着ていそうなどこかお洒落な着こなしをしている。さらにいつもツインテールにしている長い髪を、軽くまいて流し、顔にも化粧を施している途中だった。不健康そうな青白い顔はファンデーションで健康的に、僕と同じく隈はコンシーラーで隠れ、もともと大きい目を強調するような、しかし濃すぎないナチュラルなアイメイク、いつも黒いリップが乗っている唇には淡いピンクのグロスが乗っていてぴかぴか光っている。頬にはグロスと同じ色が乗っていて血色の良さを引き立てている。
 自分よりも劇的な変化をしている人物を見て、僕の口は塞がらなかった。髪型やメイクが変わるだけで、こんなにも可愛いとは。いつでも一軍に入れると確信するような外見。顔の作りは変わっていないからなまえだということは分かるけど、それでも別人だと言われても頷けるほどの大変身だった。普段からそんな格好していれば、もっとマシな学校生活が送れただろうに……。鏡の前でくるりと回って全身を見ているなまえにそう思う。2人で鏡に映ると、まるで一軍カップルだ。
「完璧ね」
「で、結局なんの仮装?これ」
「決まってるでしょ」
 ふっと見下すような笑みはいつもと変わらない。
「化け物よ」
 ああ、そうだよ。なまえ・みょうじはそういうやつだ。自分がどう見られるとか気にせずに自分のやりたいことだけするんだ。だからこそこんなにも滑稽で、醜くて、僕を惹き付けてやまない。
「クッ……ハハッ……」
 笑いが止まらなかった。鏡に映る自分を見てさらに笑いが止まらなくなる。
「主食はSNSのいいね。毎日カフェで写真を取らないと死んじゃう病気なの」
「僕は群れで狩りをする種族なんだ。でも1人じゃ何も出来ない」
 笑っていると、時計が17:00を指した。二人分の着替えで時間を食ってしまい、もうパーティーの始まる時間だった。
 2人で顔を見合わせ、肩を並べてパーティー会場の体育館に向かう。会場近くにはもうたくさんの仮想した生徒が集まっていてお菓子の贈答をしている。僕たちを見てみんなざわめく。はじめて浴びる羨望の眼差しを受けながら胸を張って歩く。体育館前でなまえに手を差し出した。なまえが手をとる。2人で会場に入ると、中にはいつも僕たちを虐げるジョックやクイーンビーたちが吸血鬼だとか魔女の仮装をしていた。彼らの瞳が驚愕で見開かれる。ざわめいていた会場が静まった。僕たちが構いもせずに立食式のドリンクや食べ物に手を伸ばしていると、遠くてジューシーが僕に手を振っていた。
「イッチー兄さーん!」
 その声に小さく手を振って応えると、ジョックたちが「イッチー!?」とざわめき出した。
「じゃああの横にいるのは……なまえ!?」
 顎が外れそうな勢いで驚いている周囲に、僕の胸は踊った。こんなにも愉快なことになるなんて思ってもみなかった。オカルトクラブのカースト下位のゴスボーイとゴスガールが、この場にいる全員の視線を集めている!悔しそうにこちらを見るジョックたちに胸がスッとする思いだった。
 ああ、やっぱりなまえは正しかったんだな。こんなに面白いことになるなんて!
「よかった」
「なにが?」
「なまえと一緒に、パーティーに来れて……良かったよ」
 そう言うとなまえはふわっと笑った。その顔を見て心臓が飛び跳ねた。……落ちたかも。
周りでなまえの笑顔を見て鼻の下を伸ばしている男どもはあとで呪うとして、さあ今からどうしよう。
「行きましょ!」
 急に手を取られて引っ張られる。
「え、な、どこに……」
「やっぱりパーティーよりストロベリー・サンデーが食べたいわ!」
 無邪気に笑うなまえの横顔を見る。本当に、自分のやりたいことしかしないんだ。だから、いい。それがいい。なまえがいい。
「チョコレート・シェークも付けてね」
 その日パーティーの話題と注目を一瞬でかっさらった僕らは、瞬く間に手を取り合って夕闇の中に消えたのだった。



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