背中を押して



「やってらんないわよ、もう〜」
 私はタンっとお酒の入ったグラスを机に叩きつけた。
「人にミス押し付けといて、自分だけ定時で帰るとか信じられる!?」
「その話は聞き飽きたってんだバーロー」
 チビ太が呆れたようにそう言って、私の手からグラスを奪っていった。代わりに別のグラスが差し出される。
「水飲みな。これ飲んだら今日はもう帰れよ。飲みすぎだ」
「なんでチビ太までそんなこと言うの〜〜」
 うるりと潤んだ瞳にチビ太が面倒くさそうにため息をついた。
「私は頑張ってるのにぃ〜〜」
 私はうつ伏せになるとぐすぐすと鼻を鳴らした。
「てやんでい、んなこた知ってるよ」
 チビ太の声を聞きながら、だいぶお酒が回っていた私はうとうとと眠りに落ちた。



 ゆらゆらと揺れている。まるで揺りかごの中にいるみたいで気持ちいい。
 私がうっすらと目を開けると、大好きな色が真っ先に見えた。
「おそまつ……」
「んお、起きた〜?」
 私はそれに返事をせずにおそ松のパーカーを握りしめてもう一度おそ松の名前を呼んだ。
「なになに〜今日は甘えたなの〜?」
 おそ松に背負われてぶらぶらと足を揺らしながら辺りを見ると、そこはもう我が家のすぐ近くだった。
 アパートの部屋の前までつくと、おそ松はしゃがんで私を下ろそうとした。しかし私はおそ松にしがみついて拒否する。
「なまえちゃーん、家ついたよ〜」
「ん」
 私はポケットから鍵を取り出すとおそ松に手渡した。おそ松は鍵を開けると玄関まで入り、そこでまた私を下ろそうとした。私はおそ松の首にさらに強く齧り付いた。
「家ついたって、ほら」
「おそ松も」
 おそ松はしょうがねえなと言ってスニーカーを脱ぐと、私のパンプスを脱がし放り投げ部屋へと入った。リビングのソファに私を下ろすが、私は頑なにおそ松から離れなかった。
 それを見たおそ松は私を抱き上げると、自分の足の間に私を座らせた。後ろからおそ松に抱きしめられ、少し気分が良くなる。おそ松は私の手のひらをぷにぷにと押していた。
「何かあった?」
「あるある〜。あのねえ、部長はミス押し付けといて自分だけ定時で帰っちゃうし、後輩は私の指示ないと動かないし、お局はうざいし……」
 ぼろぼろと愚痴が零れていく。気づくと私はぼたぼたと涙を流していた。
「もうやだよお、おそ松。働きたくない。会社行きたくない」
「仕事楽しいって言ってたじゃん」
「疲れるよお、しんどいよ。ずっと2人で遊んで暮らそうよ」
「俺だってそうしたいけどね、」
 でもそうしたらお前は幸せになれないでしょとおそ松は笑った。
「お前は仕事やめらんないよ。仕事してるお前が一番生き生きしてるもん」
 私はぐすっと鼻をすすった。
「愚痴全部吐き出せよ。俺が聞いてやるから。そしたら明日からまた仕事がんばりな」
「おそ松ぅ〜〜」
 振り返っておそ松のパーカーに顔を埋める。
「よしよしして」
 優しく髪の上を滑っていく手。子ども体温のおそ松の手はいつも温かい。
「甘やかして。慰めて」
「注文が多いね〜」
 そう言いながらもおそ松は私の涙を拭ってくれる。
「お前はがんばってるよぉ〜。毎朝起きて会社行って偉いよ」
「えらい?」
「うん。えらいえらい。なまえはえらいよ」
 おそ松の温もりと匂いに包まれて、ガチガチに固まっていた心がゆるゆると解けていく。私は体をおそ松に預けると、瞼を閉じた。



 軽くシャワーを浴び、メイクと髪の毛のセットを済まし、朝食を簡単に作って食べた。スーツに皺がないことを確認して、鞄の中身をチェックする。
「おはよぉ〜〜」
 物音で起きてしまったのか、おそ松が上体を起こした。
「おはよ。会社行ってくるから、鍵ポストに入れといて。ご飯冷蔵庫の中にあるからね」
「へーい」
 私が玄関に向かうと、おそ松ものそのそと後を付いてきた。パンプスを履き立ち上がるとおそ松は私の背中をポンと軽く押してくれた。飲んだあと、毎回こうしてくれるおそ松の手が好きだ。
「行ってきます!」
 私が笑ってそう告げると、おそ松も満足そうに笑って行ってこいと言ってくれる。私は清々しい朝の空気を吸い込み、会社への道を歩き出した。



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