愛のメリーゴーランド



 あの運命の日……ブラザーたちが投げた石臼やフライパンなどで大怪我を負った俺は、夕焼けの中歩く兄弟たちを見ていた。俺がいなくても誰も何も言わない。猫のことは探すのに俺のことは探しもしない。まるで俺がいなくても皆は何も変わらないみたいだった。
 そのあと公園で泣いていると、俺に運命の女神が舞い降りたのさ……。なまえはハンカチで俺の涙を拭きながら俺の話を聞いてくれた。たまに相槌や、「ひどい」というコメントを挟みながら俺の脈絡のない話を真剣に聞いてくれた。この世にこんなに優しい女神のごとき女性がいるなんて!他のカラ松ガールズには悪いが、運命の歯車が今、廻り出した……。ある程度愚痴をこぼしたあと、帰りたくないと漏らせばなまえは家においでと言ってきた。その時点で正直童貞卒業を確信した。なまえはなかなか綺麗な顔立ちをしているし、ウキウキしながら付いていった。頭の片隅ではいつ怖いお兄さんや高価な壺が出てくるかとひやひやしていたが、そんなこともなくなまえは俺をベッドに押し倒した。そこからは……めくるめく愛のメリーゴーランド……俺は男として一皮剥けたのさ……。こんなに可愛くていい匂いのする女の子の部屋を知ってしまうともうあんなむさ苦しい家には一生帰りたくないと切に思ったものだった。
「カラ松くん、ずっとここにいてくれる?」
「勿論さハニー?俺はもうどこにも行かないぜ……」
 なまえは痛い痛いと言うこともなくにっこり笑って俺に擦り寄ってきた。
 

 
 翌日起きるとなまえはいなかった。テーブルの上に朝食と、「仕事に行ってきます」というメモが残されていた。怪我もしていたし鍵ももっていないのでなまえが帰ってくるまで大人しく待った。

 6時になってようやくなまえが帰ってきた。なまえは俺を見ると嬉しそうに笑って、「すぐにご飯作るからね」と言った。俺はつくづく出会いに恵まれたと思う。
「なにか手伝おうかハニー」
「いいの。カラ松くんは座ってて?カラ松くんは、何もしなくていいからね」
「……そうか……」
 夕飯は唐揚げだった。目を離しているすきに横取りされることもなく腹いっぱい食べられる。家の味付けとは少々違ったがこれもまた美味い。美味いと伝えるとなまえは嬉しそうに微笑んだ。
 

 
「なあなまえ、なまえが仕事に行ってる間出かけたいんだが」
「え?」
「買い物とかしておくぞ!」
 なまえの家に来てから1週間、洗濯や掃除などの家事にも慣れてきた。なまえはしなくてもいいと言うが日中暇すぎるからやっているだけだ。しかし外に出られないのが痛手すぎる。カラ松ガールズに会いに行っていないし、そろそろ家に顔を出さないとまずいだろう。そう思って外出の許可を頼んだのだが、なまえはいい顔をしなかった。
「……どうして?必要ないよね」
「いやでも、なまえのために……」
「わたしのためを思うなら、ずっとここにいて?外は危ないから。カラ松くんはずっとここに居たらいいんだよ」
「……」
「ねぇ……まさか、家に帰りたいとか言わないよね?」
 なまえの雰囲気に圧倒され、咄嗟にそうじゃないと否定してしまった。帰りたくない気持ちの方が大きいが、少しだけ家が恋しかった。
「だよね!よかったぁ。カラ松くんはずっと私と一緒にいるんだもんね!」
 なまえはぱっと表情を変えるとニコニコ笑って夕飯を作り出した。一方俺はなんかおかしいな?と思い始めたところだった。
 


 なまえが買ってきてくれた三国志全巻も読み終えて俺は暇な日々を送っていた。結局家には1ヶ月帰っていない。怪我もだいぶよくなった。ブラザーたちは俺のことを探してくれているだろうか。……いや、俺がいないことにも気付いてないかもしれないな。自嘲的な笑みを零し俺は立ち上がった。名前が帰るまでまだまだ時間はある。最近全くこの部屋から出ていないからいくらニートの俺でも気が滅入ってきた。少し散歩しよう。すぐ戻れば何も問題ないだろう、と玄関に向かいドアノブを回す。ガッと何かに邪魔されてドアは開かなかった。鍵は掛かっていない。チェーンも外れている。何度ノブを回しても同じだった。……まさか。
「外側から鍵を……?」
 すうっと背筋が寒くなった。俺は本当にここに監禁されているのか。なまえの部屋は3階。とてもじゃないが飛び降りたらただじゃすまないだろう。呆然と玄関前に座り込んでいると、ガチャ、という音が聞こえ扉が開いた。もうなまえが帰ってくる時間になっていたらしい。
「カラ松くんどうしたの?こんなところで」
「……なぜ……」
「ん?」
「どうして……鍵なんか……」
「……あれぇ?もしかしてカラ松くん、ここから出ようとしたの……?」
 なまえは表情を消すと後ろ手で鍵を閉めた。がちゃん、という音が無機質に響いた。
 
「可愛いよ、カラ松くん」
 上機嫌で俺の頬を撫でるなまえ。俺は手を縛られ首には首輪を付けられていた。首輪は鎖でベッドの支柱へと結ばれている。
「どうしてこんなことするんだハニー!こんなことしなくても俺は逃げない!」
「逃げないんだったらずっとこのままでいいよね?」
「だがしかし……!家に連絡しなければ……」
「家?家って、カラ松くんを殺しかけた人たちがいるところ?そんなところに帰ってどうするの?」
「……それは!」
「きっとみんなカラ松くんのこと忘れてるよ。だって、血を分けた兄弟が抵抗できないカラ松くんに石臼なんて投げたりするかなぁ?」
「……」
「かわいそう、かわいそうなカラ松くん。でも大丈夫。私はずっと一緒にいてあげるからねぇ。外は危ないから、ずーっとここで私が守ってあげる」
 なまえがぎゅっと俺を抱きしめた。その柔らかい胸に抱かれながら、俺は必死に否定の言葉を探していた。
 

 
「カラ松くん、洗濯に行ってくるね。洗濯物もうないよね?」
「ああ。頼んだぜハニー」
 なまえを見送ってベッドに寝転んだ。俺の生活圏はこの部屋の中からベッドの周り3mに狭まった。手を縛っていたひもは外されたが、首輪は依然ベッドに繋がれたままだ。一昨日洗濯機が壊れて、修理が終わるまでなまえは徒歩5分のコインランドリーを使っていた。
 帰りたい。ブラザーたちに会いたい。そうは思うけれど、なまえのことも放っておけなかった。なまえは俺が帰りたいと言うと癇癪を起こしたように泣く。俺がずっとここにいると言うと、嬉しそうに笑う。まるで子供なのだ。誰かに依存しないと生きていけないのだろう。俺はそれが心地よかった。誰かに必要とされることは嬉しかった。ブラザーたちは俺が何を言っても無視をするか「痛い」「黙れ」と言うばかりだ。俺を必要としていないブラザーたちより、俺を必要としてくれるなまえの傍に居てやった方がいいのではないか……そんなことを思う。それでもやはり、あの住み慣れた家に帰りたいとも、思う。なまえが分かってくれればいいんだが……俺は実家に帰ってもなまえを見捨てたりしない。それはなまえが俺を必要としてくれるということもあるが、それ以前に、俺は……
 静寂が充ちていた部屋に突如破壊音が響く。俺が驚いて玄関を見やると、ドアが蹴破られプラプラと揺れていた。ドアの向こうにはたった今蹴りを入れた足を下ろすおそ松の姿があった。おそ松を押しのけトド松とチョロ松が部屋に入ってきて、俺のそばに駆け寄ってきた。
「カラ松兄さん!」
「カラ松、大丈夫!?今外すから、」
 ベッドの周りに集まったブラザーたちを見て状況が飲み込めなかった。トド松と一松は泣いている。おそ松を見ると、その背後、玄関のドアのところになまえが立ち尽くしているのが見えた。
 

 
 洗濯物を入れた籠を持ちながらコインランドリーに向かった。コインランドリーにはよれよれのスウェットを着た先客が一人いた。私が気にせず洗濯機に洗濯物を入れていると、背後の人がバタバタと出ていく音が聞こえた。洗濯機を回すと、部室にあるようなベンチに座って洗濯が終わるまで携帯のカラ松くんフォルダを眺めた。
 コインランドリーを出ると、私を取り囲むように5つの同じ顔が並んだ。話に聞いていた、カラ松くんの兄弟だろう。とうとう来たか、と私は少し身構えた。
「何か?」
 突然のことにも慌てず微笑みながらそう聞くと、「カラ松は?」と聞かれた。不躾ね。
「カラ松?誰のことでしょう?」
「知らないわけないでしょ。あんたそのパーカーどこで買ったの」
 洗濯カゴに入っていたカラ松くんの青いパーカー。そういえばこのスウェットの人、さっきの先客さんだ。さっきもっとちゃんと顔を見ていればなぁ。鬼気迫る様子の5人を見て誤魔化すのは無理だと悟る。
「……カラ松くんならうちに居ますよ」
「返してよ!カラ松兄さんを返して!」
「どうして?」
「どうしてって……!」
「捨てたのはあなたたちの方でしょ!」
「……っ」
「カラ松くん、出会った時かわいそうに、ボロボロでした。それが血を分けた兄弟、それも六つ子にされたことだなんて。カラ松くんは一生私の家に居たいって言ってる。帰りたくないって」
「そんな……!」
「……分かった。カラ松がそう言ったのだとしても、もう一度合わせてよ」
 口を抑えて瞳を潤ませたピンクのパーカーの男を庇うようにスウェットの男が前に出た。
「そんなことしてあげる義理はないわ」
「そうだよっ!最後に話だけでもさせてよ!」
「……いやよ」
「この……っ」
「やめろ一松!」
「カラ松くんは初めて私を必要としてくれた人なの!カラ松くんは誰にも奪わせない!カラ松くんは私のものよ!」
「カラ松は俺たちの家族なんだよ!」
「じゃあどうしてもっと優しくしてあげなかったの!?散々傷つけておいて、今更虫がよすぎると思わないの!?」
「ああもうだから!!会って謝りたいんだろ!」
「謝ってどうするの!?そうやってカラ松くんを奪っていくくせに!」
「まあまあ落ち着けって一松」
 2人で言い争っていたスウェットの男と私の間に立ったのは赤いツナギを着た男だった。
「まああんたが教えないのは自由だけどさ。俺たちストーカーでもなんでもしてあんたの家突き止めるよ?六つ子の情報網なめない方がいいよ〜」
「……」
「今のうちに自分で教えといた方が穏便に済むんじゃない?俺たち別にカラ松を連れて帰りたいわけじゃないしさ〜」
「ちょっとおそ松兄さん!」
「カラ松が帰りたくないって言うならしゃーないだろ。それを本人に確認したいだけ。……どうすればいいか分かるよな?」
 赤い男と睨み合う。数秒考えてこいつらから逃げきるのは現実的ではないという考えに落ち着いた。さっきまでヒートしていた気持ちが急激に冷めてしまったみたいだった。長い長い息を吐き出す。私の頭はもうほとんど諦めが支配していた。
 何も言わずにとぼとぼと歩き出すと男達は付いてきた。アパートに着き鍵をのろのろ取り出そうとしていると、赤い男が「俺、結構キレてるから」と呟いてドアを蹴破った。カラ松くんの周りに兄弟たちが集まる。口々にカラ松くんを心配し、良かったと安堵している。カラ松くんが帰ってしまう。これで私の夢の生活は終わり。明日からまた一人の世界に戻る。あの気が狂いそうな、誰も私を見てくれない世界に。
 兄弟たちに囲まれているカラ松くんと目が合った。よかったね、兄弟たちはあなたのことちゃんと大切に思ってたよ。最後だからせめて一番可愛い顔を見せたかったのに、顔が引き攣ってうまく笑えなかった。
「ハニー」
 カラ松くんの声に周りがしんと静かになった。覚束無い足取りでカラ松くんの隣に行くと、カラ松くんが頬を撫でてくれた。
「……俺は家に帰るよ。ブラザーたちも待ってくれている」
「……そう」
「だから……」
 聞きたくない。最後だから良かったねって、言ってあげたいのに言えない。カラ松くんの言葉の続きを聞きたくない。
「今度は家の外でデートをしよう」
「……え?」
「俺の家にも来てくれ!みんなと一緒なら楽しいぞ!実はハニーと行きたいところがたくさんあったんだ!」
「……どうして?」
「どうして……か。フッ……単純なことだ。俺がハニーのことを愛してしまっているからさぁ!」
 その言葉に目を見開く。
「わたし……カラ松くんのこと縛り付けたのに……」
「俺はハニーが頑張り屋で真面目なことを知っている。そんなところに惚れたんだ。だからこそ、支えてやりたいと思ったんだ」
「……うそ」
「嘘だったら首輪外すなりドア壊すなりしてさっさと逃げてる」
「……」
「……改めて、俺と恋の歯車を廻してくれるか、なまえ」
 私は何度も頷きながらカラ松くんに抱きついた。
 
「フッ……待たせたなブラザー……さぁ、松野家に生まれし次男の……オレ。帰還だぜ」
「あ、もういいわお前帰ってくんな」
「え」
「何見せつけられてたんだろこれ」
「えっ」
「はぁ、心配しただけ損だったわ。帰ろ帰ろ」
「ちょっ」
「死ねクソ松」
「待っ」
「カラ松兄さんいらないぜ!」
「まっ……待ってくれブラザァァァァァァ!!」



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