スタートライン



「なあ」
 放課後の教室はざわざわと騒がしい。私は教科書を鞄に詰めて急ぎ気味に帰る準備をしていた。授業と掃除が終われば学校に留まる理由はない。それよりも部活が始まる前に早く学校を出ていたかった。
「なあって」
 机の中のものを鞄に移し替え、忘れ物がないのを確認して席を立つ。
「無視されると傷つくなあ。みょうじなまえさん」
「…………え、私?」
 フルネームを呼ばれたことでやっと自分が呼ばれていたことに気づいて顔を上げると、そこにはここ、陵南高校で知らない者はいないくらいの有名人が立っていた。
 仙道彰。高身長とツンツン頭が特徴的で、バスケ部の天才と言われている同級生。男子生徒からも親しまれ、女子生徒からは多くの好意を寄せられている。校内の噂で名前のあがる人物として一番有名かもしれなかった。
 そんな彼が、自分に何の用だ。今まで話したことなど一度もなかったし、接点もこれといってなかった。そう訝しんでいると、予想外な言葉が彼の口から飛び出してきた。
「そう。……なあ、何で陸上辞めたの?」
「え……」
 柔らかい物言いが耳を擽る。思いもかけなかった発言に言葉を失った。なぜいきなりそんな質問を?そもそも、なぜ自分が陸上をやっていて、この前辞めたことまで知っているのか。私は不審感を隠そうともせず、自分よりだいぶ高い位置にある顔を見上げた。仙道彰は人好きのしそうな顔でニコッと笑った。
「……って、いきなり言われても困るよな。悪い。でもオレはずっと見てた、君のこと」
「はぁ……」
「なあ、オレと付き合ってよ」
「……は?」
 ニコニコしながら先程よりさらに衝撃的なことを言う彼に、私はまたしても絶句したのだった。



「おはよ」
 朝から眩しいくらいにさわやかな笑顔で挨拶をしてくる仙道に、重いため息をついた。
 あの仙道彰が告白したという噂は一日で学校中に広まり、私は一部憎しみの篭った多くの好奇の目で見られていた。仙道彰が告白されたという噂は女生徒の数ほど聞くが、仙道彰が誰かに告白したという噂はこれまで聞いたことがなかったのだ。暇を持て余した高校生の話題にはうってつけだった。
 そんな状況にもかかわらず、この男は全く気にもせずに絡んでくる。いつの間にか馴れ馴れしく名前で呼んでいるし、自分に寄ってくる女に飽きたのかはしらないが幼気な女生徒を弄ぶつもりなら即刻やめて欲しかった。
「おはよ」
 手短にそれだけを返して靴を履き替え教室に向かうと、当たり前のように仙道も付いてくる。
「あ、そうだ。今日の放課後空いてるか?」
「え、うん……」
 咄嗟に馬鹿正直に答えてしまったことを後悔した。適当に予定があると言っておけばよかったものを。仙道彰はまた嬉しそうにニコッと笑った。
「じゃあ放課後、部活見に来ねえ?オレバスケ部だから」
「知ってるけど.......」
「なまえちゃんが見ててくれるなら頑張れそう」
「え、やだけど……」
 私の答えに仙道は快活に笑ったが、きっとただで帰してはもらえないのだろうな、ということを予感して、私は再び質量を伴った重いため息をついた。



 放課後、案の定逃げる暇も無く仙道に捕まってしまって体育館に連れてこられ、二階からフロアを見下ろしていた。できることなら逃げようと思っていたのだが、掃除場所から帰ると既に教室に仙道が待機していたのだから、逃げられるはずもなかった。掃除はどうしたのと聞くとヘラヘラ笑うだけだったので、不真面目な人はきらいと言うと仙道は驚いた顔をした。その顔に少しだけ溜飲が下がった。
 体育館にはバスケ部ファンの女の子たちがたくさん居てだいぶ賑わっていた。その中でもやはり人気なのは仙道だった。仙道個人のファンクラブまで出来ているらしく、仙道が動く度に黄色い歓声が上がった。
 私は居心地の悪さを感じながら練習風景を眺めていた。残念ながらバスケについてはほとんど何も知らないと言ってよかった。体育でやったことはあるが、ボールを持ったまま歩いてはいけない、ダブルドリブルはしていはいけない、あとはより多くボールをカゴに入れた方の勝ち、という程度の認識だったのだ。そんな自分がただの練習を見ても面白いことなど何もないだろうと思っていた。しかし、気づけば仙道を目で追っていた。技術的なことはよく分からないけれど、仙道のプレイには人を魅了する何かがあった。見ているだけで楽しくなり、彼ならなにかをしてくれると思うような。仙道がボールを持っただけで、ただシュートを打っただけで、体育館中がどっと湧く。気付けば私の腕には鳥肌が立っていた。
 ……ただ、一つ注文をつけるとしたらシュートを打つたびにこっちを見るのは止めてほしい。

 練習が休憩に入ると、少し迷ったが二階から降りておずおずと仙道のところへ向かった。仙道はスポーツドリンクを飲んでいて、私に気づくと軽く手を上げた。
「ど?オレのプレイ見て惚れ直した?」
「いや、もともと惚れてないです。それからシュート打つたびにこっち見るのやめて。練習に集中した方がいいよ」
「不真面目なのはきらい……だったな。じゃあずっとオレのことだけ見てて」
「え、私もう帰ろうと……」
「え?」
 仙道は大げさなほど驚いて私を凝視した。うっとたじろく。こういう、甘え上手というか、放っておけないところがきっと人気の秘訣なのだろうなと今更実感して、私はため息をついて踵を返した。まんまと術中に嵌った悔しさを押し込めながらあとちょっとだけね、と背中越しに言うと、背後から笑い声が追いかけてきた。
 それにしても、あの顔に「オレのことだけ見てて」なんてセリフを言われて動揺しない女が居るのだろうか。自分の顔の使い方を分かりきっていて少し腹立たしい。私は二階に上がって再び練習風景を眺めた。

 仙道と一緒に歩いていた。結局最後まで練習を見てしまい、帰り際にも仙道に捕まって一緒に帰るはめになったのだった。
 グラウンドの方を見ないようにして足早に学校を後にすると仙道に名前を呼ばれた。
「オレ、まだあの時の答えもらってないんだよな」
「答え?」
 なんのことだか本当に分からなくて聞き返す。
「付き合ってってのと、何で陸上辞めたのかっての」
 私は口を噤んだ。まず、告白を忘れてたのは本当に申し訳ない。そして二つめのは、答えたくない。私が黙り込んでいると、仙道がゆっくりと話し始めた。
「なまえちゃんのフォームがすげえ綺麗だった」
「……見てたの?」
「バスケ部もよく外走らされてるからな」
 不思議とその言葉に嘘はないと思った。自分が見られていたことに恥ずかしさを覚え、ぶっきらぼうに返す。
「だから陸上辞めたって聞いたとき驚いて、気づいたら話しかけてた。で、気づいたら告白してた」
「軽いなー」
「かもな。でも、オレは自分の気持ちに嘘はついてないぜ」
 .......そういうところが恥ずかしいと言うのに。
「……別に、陸上辞めたのに理由なんかないよ。……ただ、いつかは辞めようと思ってたし。普通の高校生らしく、放課後寄り道したり、休日に筋トレじゃなくてショッピングしたり、彼氏作ったり、そういうことしたかったから」
 私は息苦しさを覚えながらどうにかそう言った。走っている時よりずっと酸素が足りず苦しかった。
「……仙道も、もっと頑張れとか、辞めるの勿体無いとか思う?」
 私がそう聞くと、仙道は快活に笑った。驚いて仙道を見ると、彼はいつものように柔和な笑顔をしていた。
「言わねえよ、そんなこと。なまえちゃんが死ぬほど考えて出した答えだろ」
「死ぬほど、って……」
「走ってるとき、自分がどんな顔してっか見たことねーだろ。走るのが楽しくて、好きで仕方ないって感じだった。そんななまえちゃんが決めたことなら、オレが口出ししていいことじゃねーよな」
 そんなこと初めて言われて、私は言葉を失った。仙道はニヤッと笑って「それに」と言葉を繋いだ。
「高校生らしいこと、オレなら手伝ってあげられるよ」
「え」
「彼氏になってあげられるし、放課後も休日も、休みは少ないけど付き合ってあげられるし」
「…………」
「どう?結構お得だと思うよ」
「……そうだね、考えとくよ」
 私が堪えきれずに噴き出すと、今度は仙道が驚いて目を丸くした。



 最近、毎日のようにバスケ部の練習を見学している。もういっそマネージャーにでもなった方がいいのかもなどと面白くもない冗談を頭に浮かべる。
 見学の直接的な原因は同級生の越野に頼み込まれたことだった。私が見学に来ると仙道が遅刻しないから、と頼み込む苦労人な越野に憐憫の目を向け、仙道に振り回されることがすっかり多くなった私は気づけば頷いていた。もちろん、ただ頼まれたからというだけではない。いつの間にか仙道のプレイに魅了されている自分がいたのだ。少しの悔しさを滲ませながら「その代わり絶対に全国に行ってよ」と笑うと、「本当に仙道にはもったいない。良い奴だ」と褒められた。私は越野ってこういうところあるよな.......と思った。

 ランニング中、すっかり聞きなれた声に呼び止められ振り返る。
「……仙道?」
 そこには、自分同様ジャージを着た仙道が立っていた。恐らくジョギング中だったのだろう。薄らと汗をかいている。その様でさえ爽やかさに拍車をかけている。休日の早朝に仙道が走っているなんて、失礼だが少し意外だった。普段はとことんスロースターターで、練習試合にさえ遅刻するような始末なのだから。
「偶然だな。こんなとこで会うなんて」
 私は「仙道が走ってるなんて、意外」と思ったことをそのまま伝えた。
「体作りしねえと筋肉ってすぐ落ちるからな」
 そう言う仙道の体は引き締まっていて、彼も立派なスポーツマンなんだと再確認した。いつもはもっと遅い時間に走ってるんだけど、とおどけたように仙道は言った。だから今まで出会わなかったわけだ。
「なまえちゃんもこのへん走ってるんだな」
「たまにね。体動かさないと気持ち悪くて」
「そっか。100は走らねえの?」
 その言葉に眉を寄せた。陸上はもう辞めたと言ったではないか。
「走らないよ」
「なんで?」
「……なんだっていいでしょ!」
 つい声を荒らげてしまったことに気まずい思いを抱いていると、仙道は気にした様子もなく「そこの公園寄ろうぜ」と話を変えた。結局、私はいつものように仙道に押し切られる形で頷いてしまったのだった。

「はい。ポカリで良かった?」
「うん。ありがと」 
 ベンチに座って休憩していると、仙道彰が自販機で買ったスポーツドリンクが手渡された。礼を言ってプルタブを開けると、仙道が小さく肩を震わせて笑った。
「.......何?」
「いや、ここでありがとうって言うのがなまえちゃんらしいなって思っただけ」
「馬鹿にしてる?」
「なんでそうなるんだ?そういうとこがスキって話」
 あまりにも率直な言葉に思わず缶を握りしめてしまう。その場には沈黙が流れた。しかし私はそれを気まずいとは思わなかった。私は唐突に話し始めた。
「……元々向いてなかったんだよね、私には」
「陸上が?」
 あまりにもいきなりの話題だったのに、仙道は当然のように私の意図を汲み取って返してくれる。こういうところが心地いい、と思った。
「陸上、ていうか、スポーツをすることが、かな」
「ふーん?」
 話していくうちに、自分でも納得していた。誰にも言わなかった本心を語ることで、自分の気持ちが整理されていって、ごちゃごちゃだった心がすっきりと軽くなっていくみたいだった。
「本気でスポーツをする多くの人は、自分の技術を磨いてとことん上を目指すでしょ?……仙道もそうだよね。何か、記録を築き上げて、それが破られたらまた技術を磨いて記録を抜いて……って、自分の限界に常に挑戦することが普通なんだよね」
「んー……まあ、そうかな」
「でもね、私は逃げちゃったんだ。陸上から」
 そう、ずっと認めたくなかった。あれこれと言い訳を探してもどれも詭弁だということは自分が一番よく分かったから、苦しかった。結局私は大好きだった陸上からも逃げ出すような弱虫だったのだ。
「私走るのが好きで、幸運なことに結果も伴ってたんだけど、ある時練習中にちょっと足ケガしちゃってさ」
「え、」
 仙道が驚いて私の足に目を走らせたから、私は慌てて言い添えた。
「あ、ケガっていっても全然大したことないんだけど。でも、全治二週間だった。ケガする前から私コーチに練習を一日サボると二日かけないとその分は取り返せない、なんて言われてて、すごく焦ってた。走りたいのに、その間にも私の筋肉は徐々に衰えていっている気がして。……それで、次の大会でもっと速い子が出てきたらどうしよう、って考えるようになって」
「……うん」
「普通なら、たとえ抜かれてもまた抜けばいい、って思うんだろうけど、私はそうは思えなかった。抜かれるくらいなら、今のこのままで辞めようって.......思っちゃって」
 ふう、とため息をついて、おどけたように嘘をついた。
「.......聞いてくれてありがと。ちょっと楽になった」
「オレよく分かんねえけど、なまえにとっては大会に出ることだけが陸上なのか?」
 予想外の答えに驚いた。 
「走りたいならどこでもいつでも走ればいい。記録は出ないけど、あれだけ楽しそうに走ってた奴がそれだけで楽しめないわけない」
 私は言葉を失った。
 こんなことすら忘れていた。グラウンドの上を、決められたレーンの中を、どれだけの速さで走るか、いつの間にか陸上をそう決めつけていた。もちろんそれも大事なことだけど、それ以前に、私はただ走るのが好きだったのだ。
「オレが見てるから、久しぶりに走ってみたら?」
「なんでそんなに走らせようとするの」
 照れ隠しに唇を尖らせると、仙道は恥ずかしげもなく「好きだから」と言った。こういうやつだって分かってたつもりだったのに、聞いてしまった自分に後悔した。
 それでも自分の気持ちは「走りたい」と思っていて、私はジャージを脱ぎTシャツにハーフパンツという姿になった。太ももをピシャリと叩く。……うん、変な緊張は、していない。部活を辞めてから、短距離を走るのは初めてだった。ポケットから笛を取り出し、仙道に手渡した。
「悪いけど、"オンユアマーク、セット"って言ってからこれ吹いてもらえる?」
「オッケー」
 練習でいつも使っていた笛の音なら、絶対に聞き逃さない。仙道は笛を見つめると少し固まった。
「……?なに」
「いや、これ、なまえが使ってるやつ?」
 その言葉の意図を理解して、私は顔を顰めながら手を突き出して返してと言う。
「ごめんごめん、真面目にやるから!」
 仙道は快活に笑ってそう言った。
「オレだって男なんだから、気になるって」
 その言葉に私の方が気が散ってしまいそうだった。何とか意識を集中させ、クラウチングスタートの形をとる。スターティングブロックもないし、靴もスパイクではないから、最高速度までは達しないだろう。しかしそれでもいい。全意識を音にだけ集中させる。風の音が聞こえた。
「オンユアマーク、」
 聞きなれた単語が仙道の声で紡がれるのは少し擽ったく、面白かった。
「セット」
 足を上げる。
 耳に笛の音が滑り込んできたと同時に、私はもうスタートラインから飛び出していた。
 
 足の裏が地面を踏みしめ、蹴り出す。ふくらはぎの筋肉は少しも衰えず身体を支えていた。太ももは高く上がり、背筋は綺麗に伸びている。まるで水を得た魚のように、その姿は生き生きとしている。やっぱりなまえのフォームは綺麗だと思った。しかし仙道が何より好きなのはなまえの目だった。ゴールの先を見据えているその視線。普段は真面目そうな彼女が、この瞬間だけは獰猛に、貪欲になる。
 陸上はバスケとは違い、孤独な競技だ。トラックの上では誰も助けてくれないし、ライバルを意識しすぎるとかえって上手く走れなくなる。とことん自分自身と向き合わなくてはならない。だからこそ、彼女は綺麗だ。自分にはない強さをもっている彼女に、仙道は目を細めた。



「……こんなに人いるんだ」
 私は会場内の熱気と人の多さを体感し惚けた。陸上の大会よりも、よっぽど観客が多かった。屋内と屋外という差はあれど、陸上と比べてもやはりバスケは人気のスポーツなのだ。高校生の試合にさえ、大人の観客が大勢詰め合わせている様子は新鮮だった。
 今日は私と仙道が所属する陵南高校と、海南大附属高校の試合の日だった。海南大附属高校は十七年連続で神奈川のナンバーワンに君臨し続けている強豪校だと仙道が言っていた。今日の集客率も、そんな海南効果なのかもしれなかった。
 もしも試合に出るのが自分だったら、と考えるだけで怖かった。きっと緊張もするし、強豪校相手に委縮してしまうだろう。仙道は、怖くないだろうか。あの能天気な顔には似合わない言葉だが、この試合、きっと流れを作るのは仙道だ。その重責に仙道が押しつぶされるところは見たくなかった。
 どうしても客席でじっとしていられず、席を立った。試合前だし、邪魔になってしまうと分かっていたが、目が仙道を探してしまう。会場内をさまよいながらキョロキョロしていると、その挙動不審な姿を見かねたのか男の人が声を掛けてきた。
「……どうした?迷ったのか?」
 声のする方を向くと、胸にKのロゴが入ったジャージを着た、色黒の大きな人がいた。
「あ……えっと」
 口を開くと同時に、大きな声が割り込んでくる。
「あーっ!!牧さん何ナンパしてるんすか!!」
「うるさいぞ清田。ナンパじゃない。迷子だ」
 迷子か.......と微妙な顔をしていると、牧と呼ばれていた男がちらりとこちらを見た。私はおずおずと話し始めた。
「陵南高校の、控え室を探しているのですが……見つからなければそれで……」
 私の言葉に首を傾げる牧さんと数秒見つめ合うと、探していた声が背後から自分の名前を呼んだ。
 私は表情をやわらげてその声の主を見た。気付かぬうちに自分の方が緊張していたようだ。これから試合に出る仙道に励まされるなんて、情けない。
「仙道!」
「なんだ、仙道の女か」
「ハハ……いいでしょ、あげませんよ」
 仙道は自然に私の肩を抱き寄せると、私の顔を覗き込んだ。
「私服、初めて見た。可愛い」
 仙道はちっとも緊張しているようには見えなくて、いつも通りのその様子が何よりも私の気持ちを落ち着かせた。どこまでもマイペースな仙道に苦笑していると、「で、なんで牧さんと話してんの?」と聞かれた。
「あ、知り合い?」
「知り合い……うん、まあ、そう」
「おい。今から試合する相手だぞ」
「えっ!?」
私が驚いて牧さんを見ると呆れたように見られた。Kって、海南のKか!少し考えたら分かりそうなものを、よほど空気に飲まれているらしい。私は頭を下げて牧さんに謝罪と礼を言った。「じゃあ」と去っていく二人の背中を見送っていると、もう一度なぜ話してたのかと聞かれたので道を聞いていたのだと答えると、仙道は納得したように頷いた。
「そうか。どこに行きたかったの?」
「……ここ」
「ん?」
「仙道に、会いたくて」
 私がそう呟くと、仙道は優しく目尻を下げた。
「何か用だったか?」
 いざそう言われると、困ってしまう。言うべきことも、言っていいことも思いつかなかった。だから私は手のひらを目いっぱい広げて仙道の広い背中を叩いた。バシバシと何度も。
「いてっ」
「試合の前、私もこうするの。気合い入るから」
 私の不器用な応援を受け入れた仙道は、また相好を崩した。

 試合後、仙道と並んで帰っていた。きっとチームの皆と帰るだろうと思っていたから一人で帰るつもりだったのだが、人波が引くのを座席で待っているといつの間にか仙道が隣にいた。仙道はいつもの笑顔で「帰ろう」と言った。きっとまた黙って抜けてきたのだろう。田岡先生や越野たちは今ごろ怒っているのだろうな。
 私たちの間に会話は無く、しばらく歩くといつか仙道と話した公園が見えたので、今度は自分から仙道を誘った。仙道は何も言わずに着いてきた。仙道をベンチで待たせて、自動販売機でスポーツドリンクを購入する。
「はい、ポカリ」
「……ありがと、なまえ」
 そういえば、いつの間にか呼び捨てで呼ばれるのにも慣れてしまった。それくらい仙道が隣にいるのが当たり前になってしまった。私たちは並んでベンチに腰掛け、冷えた缶を握った。
「……仙道」
「ん?」
 仙道はいつもの笑顔で私を見た。それが気に食わなくて、私は眉を寄せると仙道の頬を思い切りつねった。
「……いてえ」
 仙道は驚き、笑みを消した。
「かっこいいとこ見せられなかったな」
「そんなことない」
 食い気味にそう否定すると、私は空を見上げた。
「……あのね、私、陸上再開しようと思う」
「え」
「そう思えたのは、仙道のおかげ。負けるのは怖いけど、それ以上に走るのが好きってこと、仙道が思い出させてくれた」 
 仙道は何も言わずに私の言葉を聞いていた。
「……あんたは、寝坊ばっかりするし自分のスイッチが入るまでやる気出ないしいつも自己中だけど、でも、仙道のプレイは一流だと思うし、あんたみたいな脳天気なのが一人いるから、皆焦らずプレイ出来るんだよ。それは、仙道だけの才能だと思う」
「結構悪口言われてない?オレ」
 仙道は顔を曇らせながらも笑った。無理に笑わなくていいのに。本心を見せていいのに。もう仙道が全部背負わなくていいのに。
「……だから、お願いだから、自分のせいだなんて思わないでよ。独りに、ならないで」
 返事の代わりに仙道は私を抱きしめた。余裕なんてない、苦しいくらいの腕力で、仙道は私の肩に顔を埋めた。仙道の髪が耳を擽って小さく笑った。
「調子に乗っちゃうから言わないでおこうと思ったけど、すごくかっこよかったよ。試合中、何回も惚れ直した。……仙道はかっこいいよ」
 私は仙道の広い背中に手を回し摩った。しばらくお互いに無言でそうしていると、仙道が唐突に呟いた。
「好きだ。今度は勢いだけじゃない」
 最初に「付き合ってよ」と言われてから、もう随分と長いこと仙道といる気がする。あの時とはちがう、切実な声で仙道がそう言うものだから、声を詰まらせてしまう。今度こそ、返事をしなければ。焦った私は、ただ愚直に、自分の気持ちを仙道に伝えた。
「私も……好き、だと思う。仙道のこと」
 その言葉に仙道の腕に込められた力が強くなって。私も不器用にそっと仙道の胸に寄り添った。



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