ル・ベベの願い



その時家には私しかいなかったから、必然掛かってきた電話をとったのも私だった。もしもし、と言うと、電話相手は病院の名前だけを告げた。それが腐れ縁の幼馴染の声だと気づいて、私は無口な幼馴染に聞きたいことを飲み込んで慌てて指定された病院に向かったのだった。
病院には頭に包帯を巻いた楓がいて、言葉を失ってしまった。
「どうしたの!?あ、分かった。また寝ながら自転車乗ってたんでしょ。だからいつも自転車に乗ってる時は──」
「ちげーよ」
私の説教を遮った楓は、少しの沈黙のあと「頭突きされた」と言った。高校に入学してまだ間もない日の話である。
「だ、誰に!?ああ、もう、だからその短気なところ直しなさいって……」
そっぽを向いてむくれる楓に、私はため息を吐いた。なぜ楓が私を呼んだのか分かったからだ。楓のおばさんに何か聞かれたときに上手いこと誤魔化してほしいのだろう。楓とは物心つく前から一緒にいるから、無口な楓が求めていることを察する能力に長けてしまった。
「……今回だけだよ。もう喧嘩しちゃダメだからね!」
自分でも甘いなぁと思いながらも、その日は適当に言い訳を繕っておばさんを説得してやった。
しかしその数週間後、今度はもっとひどい怪我を負った楓に病院に呼び出されたのだった。

「週末、試合」
限界まで情報を削ぎ落とした言葉に、私は「そうなんだ、頑張ってね」と返した。知ってるよ、そのくらい。対戦相手も知ってるし、それが楓流の「観に来い」というお誘いなのも知ってる。でも私は気づかないふりをした。だって楓はもう親衛隊もいるくらい花形選手だし、それなのにまったく頓着しないで試合会場でも話しかけてくるから、私が余計な恨みや関心を買うのは目に見えている。
せっかくの休日だというのに楓の部屋で楓の課題の面倒を見ながら物思いにふける。最近とみに思うのは、このままでは良くないなあということ。小中のときは楓のおばさんに「この子ボーッとしてるから、よろしくお願いね」と言われていたから楓の面倒を見ていたが、それがこのワガママ察してモンスターを生んでしまったのかもしれない、と最近思うようになった。お互いもう高校生だし、いつまでも私が隣にいては楓に恋人もできないだろう。せっかくモテるのだから、恋人の一人くらいできたら情動やコミュニケーション力も人並みに育つかも。そう思った私は藪から棒に「楓って彼女作らないの?」と聞いた。
「別にいらねー」
楓はまるで私を色ボケと言いたいかのような目で見てくるからムッとする。
「わかってる?私もいつまでも楓の傍にはいないのよ。皆がみんな楓の考えてることわかるわけじゃないのよ。その時、今のままじゃコミュニケーションすらできないよ」
「……できてる」
「あれはできてると言いません」
ピシャリとそうはねつけて、でもこのままだとむくれて聞く耳もたなくなってしまうから、私は声の調子を和らげた。
「楓がそういうことに興味ないのは分かってるよ。でも、アメリカ、行きたいんでしょう」
そう言うと楓はピクリと反応した。
「そのために、今のうちに人との付き合い方を学んでおいた方がいいよ。性別も考え方も違う人と付き合うことで、学べることって多いと思う」
こういう説得はバスケの話に絡めるに限る。やや強引だけど、楓が恋愛に興味をもつためには、バスケに役立つならという方向にもっていくしか方法がない。
「……ね、最後のお節介で私が楓の条件に合う子探してあげるから。どんな子がいい?可愛い子?綺麗な子?大人しい子?バスケ経験者?」
楓なら引く手あまただろうから、探すのは容易いだろう。しかし、楓の返答の容易さに私は面食らってしまった。
「……おまえがいい」
「……は」
「好きとかわかんねー。けど」
これだけ長いこと一緒にいるのに、初めての距離に楓の顔があった。唇に柔らかい感触がして。
「こういうことすんならなまえがいい」
ぽかりと惚けてしまう。色々と突っ込みたいことだらけなのに頭がうまく回らなかった。
「あ……のね、付き合うっていうのは、こういうことするだけじゃなくてね、」
私は額に手を当てながら、ここから説明するのか……と項垂れた。情操教育って難しい。
「いや、むしろ学生の身分でこういうことするのはあんまり良くないのよ」
「恋人同士ならすんだろ、こういうこと」
隣に座っていた楓に怪しい手つきで腰を撫でられ、ぞわりと鳥肌が立った。
「そ、そうだけど……!私が言ってるのはそういうことじゃなくてね!?お互いのことをよく知らない関係性の子と、一からコミュニケーションとってほしいって言ってるの!」
予想もしていなかった展開に少し慌てながら、早口で捲し立てる。
「楓が私を選ぶのは、私相手だと言わなくても伝わって楽だからでしょう」
「チガウ」
意地を張る楓は、さっきからずっと私の腰に腕を回したまま離してくれない。
「そろそろ離して……」
私の言葉を歯牙にもかけず、楓は腕に更に力をいれた。
「ちげえ」
「わ、分かったから!ちょっと近いよ、楓……」
「なまえがいい」
子どものように繰り返す楓に、だんだん顔が火照ってくる。楓は楽な世話係を手離したくないだけなのに、私だけ動揺して嫌だな。
「離してって……」
胸を押してもビクともしなくて、ほとほと困っていると、楓の指が私のシャツを引っ張ってスカートから裾を引き出した。
「おめーが教えてくれんだろ」
見慣れたはずの楓の顔が何だか知らない男の人みたいで、私は反射的に手を出していた。
「……あ、ごめん……」
楓の頬が真っ赤に腫れ上がり、楓はムスッとむくれていた。私は楓の力が緩んだ隙に慌てて立ち上がって楓から距離をとった。
「わ、私が教えなくても充分詳しいみたいなので!!」
そう言い捨てて楓の部屋を飛び出し、玄関に向かった。リビングから「あらもう帰るの」というおばさんの声が聞こえてきたけど、なんだか顔が合わせられなくて何も言わずに家を飛び出したのだった。



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