地獄で待ってる。
- 初めて出会ったのは、行きつけの居酒屋だった。カウンター席で飲んでいた南雲さんは、入店した私を見るなり、ニコニコと手招きをした。
「お腹すいてない〜?」
いきなり知らない人に声をかけられ、警戒した私が「……まあ」と無愛想に返すと、南雲さんは絶対に一人分ではない量の食べ物を指さした。
「じゃあ良かったら、これ食べてよ。予約してたんだけど他の人たち全員にドタキャンされてさ」
「えっ……大変ですね」
そういうことなら、と有難くご相伴にあずかり、私は流れで南雲さんと飲むことになった。
「他の方は、急なご予定が?」
「違うんじゃない? 『行かへんて誰も』って断られたから」
「えっ……ひど……」
「だよね〜。当日だしキャンセルするのも悪いかなって一人で来ちゃった」
「……ん?」
「ん?」
「今日誘ったんですか?」
「うん」
「今日初めて?」
「うん」
「……それはドタキャンとは言わないかと……」
「えー、そう?」
南雲さんは少し変わった人だった。
お酒を飲みながら、当たり障りのない話をして、居酒屋を出た私たちはそのままホテルに行った。お互い気持ちいい思いだけして、後腐れなく別れて、翌日の昼にはもう南雲さんの顔も思い出さなくなっていて、それくらいの出会いだった。そう、思っていた。
それなのに、それからちょくちょく南雲さんとその居酒屋で会うようになり、その後はホテルに行くのがお決まりになった。あの居酒屋に行くのはやめようかとも思ったけど、あの店に行けなくなるのはそれだけで私にとって損害だし、南雲さんとのエッチは気持ちいいしで結局ずるずるとそんな関係を続けていた。
ある日、残業で帰宅が深夜になってしまった私は、早く家に帰るために近道である路地裏を足早に歩いていた。
そうしたら、いきなり後ろから羽交い締めにされて、口を押えられた。知らない男が私の名前を呼んで確認する。私がうんともすんとも言わずに震えていると、その男は「南雲」という名前を口にした。それに反応した私に、男は満足そうに笑った。私は南雲さん、と心の中で呟くと、男を突き飛ばすと踵を返して走り出した。
面倒そうな男の声が後ろから追ってくる。それが、私を捕まえることくらい朝飯前だと言わんばかりで怖かった。そして実際、すぐに捕まった私は壁に押さえつけられた。
「チッ……仕方ねえ、足の腱切るか」
取り出されたナイフに、私は恐怖で目をつぶった。
目をつぶってからすぐに、ぐちゃ、と何かが潰れるような音がした。恐る恐る目を開けると、目の前の路地に赤黒い肉塊が落ちていて、私は引き攣った悲鳴を上げた。
「ごめんね、遅くなって」
もはや「人間」と呼べなくなったそれの後ろに、いつものようにニコニコと笑った南雲さんが立っている。
「こないだ遅くなる時は大通り使うように言ったでしょ〜」
そんな、何もなかったかのように、いつもと同じトーンで話す南雲さんが、同じ人間だとは思えなかった。
「なに……したの……」
掠れた声でそう聞くと、一言「殺した」とだけ返ってきた。私が最も求めていて、最も聞きたくなかった答えを即答で、たったの一言で的確に投げ返してくる南雲さんは、「怖いよね〜ごめんね」と笑った。
「でもあのままじゃ君が酷い目に合ってたからさ」
体ががくがくと震えて、私は嗚咽を零した。泣きじゃくる私を、南雲さんは黙って見ていた。
「なんて……ひどい……っ」
私は、数分前まで同じ「人間」だった肉塊を目にしていた。
「……さいあくだっ……」
先にこちらに危害を加えようとしてきたのはこの男だ。しかし、この男は私のせいで殺されたも同然だった。南雲さんの手によって。
私は、それを嬉しいと思ってしまった。
突然目の前に突きつけられた死への恐怖もあった。そこまでしなくても、という気持ちもあった。それでも、私は嬉しかった。他者の命と天秤にかけて、南雲さんは私のことを助けてくれたのだ。私の命にそれだけの価値を見出してくれたのだ。
なんておぞましい。なんてむごい。
体が震えるほどの、地獄に落ちるべき歓喜だった。
「……私はきっと地獄に落ちます」
「そうなの? 大変だね」
あっけらかんとした南雲さんに、「南雲さんは違うんですか」と問うと、「僕はお仕事で殺してるだけだから」と何ともドライな答えが返ってきた。
死体の横で私はふふっと笑うと、「……じゃあ、地獄で待ってます。地獄で会えたら、針山の上でキスしましょ」と言った。
「……でもそれじゃ、舌引っこ抜かれてるからディープキスできないね。じゃあ今のうちにいっぱいしとこ」
南雲さんは私の腰を引き寄せると、長い指で流れるように私の顎を掬った。
月のようにまるい南雲さんの瞳の中で、私が歪な泣き笑いをしていた。
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