Step into

「邪魔してんで」
「……言うくらいなら不法侵入やめてくださーい」
「そんなん言うても髪伸びてしもたねん。しゃあないやろ」
「ていうかうちは美容院じゃないんですけど」
 呆れながら今日の夕ご飯の材料が入ったエコバッグをテーブルの上に置くと、神々廻がドラッグストアかどこかで買ってきたらしいヘアカラー剤をその隣に置いた。
「頼むわ」
 殺し屋界の最高戦力に頼まれて、断ることなんてできやしない。私は渋々という体を保ちながら、神々廻を椅子に座らせて鏡やハサミなど必要なものを用意した。
「あー、服脱いで」
「スケベ」
 小さく口角を上げて鏡越しに見てくる神々廻を無視して「どうせ後で脱ぐでしょ」と続けた。
「ドスケベ」
 そう言いながら神々廻はネクタイを外してワイシャツを脱いだ。真っ白いワイシャツで髪染めをする度胸は、私にはない。首元にタオルやケープを巻くと、薬剤を取り出した。
「もー、絶対美容院でやってもらった方が綺麗だし髪にもいいって」
「イヤやねん。『お仕事何されてるんですかー』とか聞かれても、気まずいやろ」
「清掃会社に勤めてます、でいいじゃん」
「相手が掃除ガチ勢やったらどうするん」
「掃除ガチ勢って何」
 ふっと笑いながら、根元の黒くなったところにペタペタと薬剤を付けていく。
「でも、ほんと伸びたね。プリンだ」
「やろ。せやから抱えとった仕事終わったらすぐ髪やりたかってん」
「染めるのやめたら? 将来ハゲるよ」
「ハゲるまで生きる予定あらへん」
 髪を少し強く引っ張ると、神々廻は文句を垂れた。
「嫌だったらプロにやってもらうこと」
 そう言うと黙る。丁寧に薬剤を付けると、しばらく放置して色を定着させた。その間にお茶を煎れたり、夕飯の準備をしたり、暇している神々廻の話相手になったり。規定の時間が過ぎたら、神々廻を風呂場に追いやってシャワーで薬剤を落としてもらった。その間に私は床に新聞紙を敷いておく。
「タオル置き場所変えたん」
「あー、そうそう。言うの忘れてた。分かった?」
「ああ」
 神々廻専用のタオルで髪の毛を拭きながら風呂場から出てきた神々廻を屈ませ、髪の毛の根元を確認してちゃんと染まっていることを確かめた。
「うーん……まあ、こんなもんか」
「もう少し仕事にプライド持ち」
「仕事ならお金取るよ」
「礼なら定期的に送っとるやろ」
「……たまにバカ高い肉とか海鮮届くのって神々廻!?」
「おう」
「ごん、おまえだったのか……」
「誰がごんぎつねや」
 私は神々廻を再び椅子に座らせ、ドライヤーで髪の毛を乾かし始めた。
「いやでもあれ、唐突に届いて毎回ちょっと困るから」
 神々廻に届くように、少しだけ声を張ってそう言う。
「こないだの鯛、大きくて冷凍庫に入り切らなかったからお裾分けするの大変だったんだよ」
「鯛なんて送ってへんけど」
 鏡越しに合った目をそっと逸らして聞こえなかったフリをすると、仰々しくため息をつかれた。
「お前にはパトロンがぎょうさんおるらしいなあ」
「そういうわけなので、お礼なら現物よりお金がいいです」
 そう言いながらブローを終えて、ハサミを構えた。
「よし、やるぞ、やるぞ……」
 ハサミをじっと見つめながらぶつぶつ呟いていると、神々廻に「初めて人でも殺すんか?」と殺し屋ジョーク(笑えない)を言われた。
「神々廻には分かんないでしょ! 人の髪を切る緊張が!」
 私は特に美容師として勉強したり、仕事をしたりしているわけではない。神々廻にやらされるまで、人の髪の毛を切ったことなんか一度もなかった。最初の時なんかひどいものだった。その時は神々廻は髪の毛を一つにまとめていたので少しはざんばらも紛れたけど、今神々廻は髪の毛を下ろしているので私の腕が如実に現れてしまう。神々廻がいなければ決してしなかっただろうに、最近では健気にもYouTubeでヘアカットの動画を見たりしている。
 最初の一断は特に緊張する。私は怖々と神々廻の髪の毛にハサミを入れた。しゃきん、という繊細な音とともに、髪の毛が断ち切られ、パラパラと足元の新聞紙の上に落ちていった。
「し、失敗したら怒ってね……」
「逆ちゃう」
「だって神々廻、いつもどんな出来でも怒らないじゃん……」
「無理やりやらせといて出来にケチつけるほど終わってないわ」
「無理やりな自覚はあったんだ……」
「お前も、背負わんでええことまで責任感じるなよ。マゾか」
「だってさあー……」
 せっかく綺麗な金髪なのに、とは言わない。
「失敗したら、ちゃんと髪の毛結んで隠してよ?」
「朝は忙しいんやで。そんな時間かけられん」
「一つにまとめるのくらい三十秒で終わるでしょお!!」
「結んでほしかったらお前が毎朝結び」
 じょきん。不自然なほど真っ直ぐに切り落とされた毛先からバラバラと剥がれていく毛束を見つめて、私は崩れ落ちた。
「あ……ああ……!!」
 自分の髪の毛が切り落とされたのにスンとしている神々廻にとりあえず文句を喚き散らすも、「地顔や」とつれない。どうにか少しでも誤魔化せないかと、プロの二倍も三倍も時間をかけて、細かく調整していく。そうして、どうにか「私の手ではこれ以上はたぶん無理!」というところまでもっていくと、私は大きく息を吐き出して、手とくっついてしまいそうになっているハサミを引き剥がした。どっと肩が凝って、ぐるぐると腕を回していると、神々廻に「お疲れさん」と声をかけられた。
「本当にね……!!」
 ケープを外してパタパタと髪の毛を落とし、携帯で後ろ髪の写真を撮って見せる。
「今回はこんな感じになりました」
「ん」
 神々廻は何も言わない。褒められたって100%お世辞だって分かるから、まあ、そうするしかないのかもしれないけど。
「これはお高くつきますよー」
「へぇ。いくら?」
「……吉野家」
「あ?」
「奢って」
「やっすいやつやな」
 ふっと噴き出した神々廻から私はゆっくりと顔を逸らした。「俺食えるものあらへん」とうるさいタマネギキラーのご希望に添えるお店はどこだろう。脳内でお店を検索しながら、私は神々廻の髪に触れた。


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