ヒーロー
- 私はよく絡まれる。大人しそうな見た目と言動のせいか、道を歩いているだけでぶつかられたり因縁をつけられたりナンパされたり。
かくいう今も、私は避けていたのに意図的に私にぶつかってきたおじさんに怒鳴られていて半泣きなのである。ここで怒らず泣いてしまうところが私が絡まれる原因なのだとわかっていても、涙をこらえることなどできなかった。
しかも、私は変にガンコなところがあるので、たとえ解放されるためといえど悪いこともしていないのに「ごめんなさい」と言える人間ではなかった。
目の前でヒートアップしていくおじさんは、顔が真っ赤になっていって、このまま破裂しちゃうんじゃないかと変な想像をしてしまった。道行く人もみんな面倒事には知らんぷりだし、私はムダだとわかっていながらも(誰か助けて!)と心の中で祈った。
「大丈夫か?」
至近距離で発された声に反射的に振り向くと、そこには金髪のお兄さんが立っていた。今のは、もしかして、私にかけられた言葉なのか。
「オッサン、何そんなに怒ってんだよ。こいつが何かした?」
「なっ……なんだお前は……」
「往来で女の子いじめてるようにしか見えねーからやめといた方がいいぜ」
私は、今絶対にそういう場合じゃない、とわかっていながら、「女の子」という言葉にときめいていた。
男性が介入すると興を削がれたのか、おじさんはブツブツ言いながら去っていった。
握りしめていた手を開くと、安心で足ががくがく震えた。
「あ……ありがとうございます……!」
お兄さんに頭を下げると、「ん」とだけ言って背中越しにひらひらと手を振りながら去っていった。名乗らないのもヒーローみたいでかっこいい。
私を助けてくれたお兄さんのことは、私の記憶に強く焼き付いた。だから。
「あっ……」
コンビニを探しているときに見つけた、普段はあまり使わない個人商店のレジに彼がいたとき、私はすぐに彼のことを思い出した。
自分の顔を見つめてぽかんと惚ける私に、彼は怪訝そうな顔をした。
……そりゃそうか。彼からしたら些細なことだもん。私のことなんか覚えてないよね。慌ててスマホをいじってQRコードを出そうとしていると、お兄さんが「あー」と気の抜けた声を出した。
「前オッサンに絡まれてた」
「お、覚えててくださったんですか⁉」
「あー……まあ」
「その節は本当にありがとうございました。お礼もせずすみません……!」
「いや、いいって。あれくらい」
他の人が誰もしてくれなかった行為を「あれくらい」と断じることができるのも、かっこいい。
胸元のネームプレートを見ると、そこには「シン」と書かれていた。本名かな。最近はプライバシー保護の観点から、偽名を使うお店も多いと聞くが。
「あの、なにか、お返しができれば……!」
他にお客さんがいないのをいいことに、私はお茶とのど飴の代金を人質に会話を繋げた。会計を済ませるまでは、話していられる。
「ホントに気にしなくていいけど……じゃあ、ウチの常連になって、いっぱい金使ってくれよ」
直球すぎる言い回しだったけど、私は顔を輝かせて「わかりました!」と言った。
それから、私は坂本商店の常連になった。多少割高だったとしても、家から遠かったとしても、坂本商店で買えるものはすべて坂本商店で買った。そのおかげで、シンくんとの接点ができた。私はシンくんに会うたびに話しかけた。
でも、私が近づこうとすればするほどシンくんは私と距離を置いた。ルーちゃんに話すと、「アイツ、そういうの苦手だからビビってるだけヨ」と笑い飛ばされた。
シンくんは距離を置くわりに私が困っているときにはすぐに気づいて助けてくれる。だから、きっと私のことが嫌いというわけではないのだという都合のいい解釈をして、私はめげなかった。差し入れをしたり、ルーちゃんや平助くんも誘ってご飯に行ったり、距離を縮めようとがんばった。それでも、いつまでもシンくんは素っ気ない素振りだった。
「また来たのかよ」
シンくんの呆れ顔に迎えられ、私は照れ笑いをした。
「だってシンくんが来てって言ったから」
「……それにしたって限度があんだろーがよ。あと、洗剤はそっちの棚な」
シンくんは私の顔を見るだけで私が何を求めているのか分かるらしい。それなのに、本当に私が欲しいものはいつも知らないふりをする。
商品棚の間の狭い通路にしゃがんで洗剤を選んでいると、背後を通ったお客さんの足が私にぶつかった。よろけた私はそのまま棚に体当たりしてしまった。頭上が暗くなって、ハッと見上げると棚の上部に置かれていた商品が落ちてきていて、私は身をすくめてギュッと目をつぶった。
……助けて、シンくん!
こういうときに、私が心の中で呼ぶのは、いつだってシンくんだ。
「……あぶね。気ぃつけろよ」
そして、シンくんはいつだって私に手を差し伸べてくれる。
私の肩を抱き寄せ、落ちてきた商品をパシッと掴んだシンくんの近さに、私は慌ててシンくんから離れようとした。
「おい。暴れんな」
しかしシンくんは私を引き寄せると、私の体を軽々と持ち上げて棚の間の通路の外に放り投げた。
「狭いんだから気ぃつけろよ」
「ん」と差し出された洗剤を呆然としながら受け取る。レジではルーちゃんがニヤニヤしながら私たちを見ている。それなのに、それなのに……
「なんっっっで、振り向いてくれないの⁉」
「いい飲みっぷりネ」
ルーちゃんに付き合ってもらってやってきた居酒屋で、私はくだを巻いた。
「あんな……好きにさせにきてるのに、なんでそんなに素っ気ないの〜」
「まあ、シンもいろいろあるのヨ」
そのセリフに、私はピクッと反応した。
「……ルーちゃんは、なんでシンくんが積極的じゃないのか知ってるの?」
「ウーン……まあ、一応ネ」
……てことは、私はまだシンくんからしたら本心を教えられるような仲の人間ではないのだ。
「……きついなあ……」
ぽつりと呟くと、ルーちゃんに「ウジウジなんてしてらんないネ」と背中を叩かれた。
「恋なんか押してなんぼヨ! 二人きりでデートに誘うネ」
「……いけると思う?」
その問いに大きく頷いたルーちゃんは、「シンもお前のこと気にしてるネ。あとひと押しヨ」と言った。
「ごめん」
デートのお誘いの返事は、簡潔な一言だった。
「俺、そういうのは……」
気まずそうに俯くシンくんを見て、そんな顔させたいんじゃなかったのに、と思った。
シンくんの背中越しにルーちゃんがあわあわと口に手を当てたのが見えた。
「気持ちは嬉しいけど……二人きりとかじゃなくて、みんなでまた飯行こうぜ」
今、はっきりと線を引かれた、と思った。
私のこの気持ちは、シンくんを困らせてしまうものだった。
「こっちこそなんかゴメンね! 気まずい感じにさせちゃって!」
気づいたらそんな言葉が出てきていた。明るい表情と声を作って笑い飛ばす。
「ルーちゃんも、気にしないでいいからね! じゃあ!」
笑顔のまま手を振って、商店を後にする。数十メートル進んだところで平助くんとピー助が前からやってきた。
「おう、今かえ、り……」
私はわなわなと震える口でなんとか「バイバイ」と言うと、声をかけられる前に走って帰った。
通い慣れたスーパーの店内BGMを聞きながら、夕食のメニューを考える。キャベツが安い。ひと玉買うべきか、半玉にしておくか。
家から近いスーパーで買い物を終えて帰宅すると、すぐにお風呂に入った。
あれ以来、坂本商店には行っていない。遠回りになるし、わざわざ通う理由もない。むしろ、私が行ったらみんなを困らせてしまう。
ルーちゃんのメッセージも未読無視してしまっている。シンくんからは、あの日の夜になにか長文のメッセージが届いていたが、すぐに通知もメッセージも消してしまったのでなんて書いてあったかは分からない。まあ、だいたい想像できるし、その想像は外れていないのだろう。
元の生活に戻っただけ。仕事に行って、最寄りのスーパーやドラッグストアで買い物をして、家に帰って、また仕事に行く。自分の気持ちが誰かを困らせることになると知ったうえで関わり続けることができるほど私は強くも無神経でもなかった。
ある日の昼休み、同僚とランチに出かけたとき、たまたまシンくんと出会った。雑踏の中で目が合って、はっと息を飲む。
私はすぐに目を逸らして、同僚を半ば無理やり道の脇にあったお蕎麦屋さんに連れ込んだ。イタリアンが良かったのにと不満を言う同僚に、ごめんとぎこちなく笑う。
もしもシンくんが気まずそうな表情をしたり、謝罪などをしようものなら、そのときこそ私の心はバラバラに砕けてしまう。だから、シンくんがなにかリアクションを取る前に避けた。
急いでランチを済ませて、私は薬局に寄りたいからと同僚と別れた。お昼休みが終わるまであと十五分しかない。急いで買い物を済ませて戻らないと。
しかし、そんなときに限ってヤバいおじさんにロックオンされてしまって。ネチネチと粘着質に罵倒と嫌味を言うおじさんに、つい泣きそうになってうつむく。自分の爪先がじわじわとにじんでいく。ああもう、謝ってしまおうか―
絶対に嫌だ。お買い物できなかったとしても、お昼休みが終わってしまったとしても、悪いこともしてないのに謝りたくない。負けたくない。
キッとおじさんを睨みつけると、おじさんは一瞬ひるんだけど生意気だとか言ってさらにヒートアップした。
負けない。負けたくない。負けてたまるか。
私だって、かっこいい私になりたい。
睨むのをやめなかったら、とうとうおじさんが手を振りかぶった。殴られたら警察に行ってやる。そう固く誓って振り下ろされる手を睨みつける。
その手首を、誰かの手が掴んだ。ハッと体から力を抜くと、至近距離から懐かしい声がした。
「―─助けてって言えよ、俺に!」
「シン、くん……」
シンくんはおじさんを追っ払うと、不機嫌そうに私を見つめた。本物の、シンくんだ。私の胸は久しぶりに会うシンくんにきゅうとしめつけられた。
「シンくんは、ひどいよ……」
気づいたらそんなことを言ってしまう。
「私の気持ちが迷惑なら、期待させるようなことしないで」
それだけ伝えて逃げるように踵を返して歩き出すと、手首を掴まれた。
「べつに、迷惑ってワケじゃ……」
「でも、応える気もないんだよね? じゃあ一緒だよ」
突き放すようにそう言う。ああ、肩が震えてしまう。シンくんの前で、シンくんのことで泣きたくなかったな……
「……違う。問題があるのは俺のほうなんだよ……」
「そう。私には関係ないことだから、離して」
私はシンくんの「問題」を教えてもらえなかった人間だから。
「俺がエスパーだって言ったら、信じるか?」
急にそんなバカみたいなこと言われて、私は頭に血が上った。
「『バカにしないで』」
シンくんの言葉と脳内の文句が重なる。私は驚いてシンくんの顔を見つめた。
「『なに今の、偶然?』」
ふと、私の顔を見るだけでほしい商品をなんでも言い当てたシンくんのことを思い出す。まさか……
「……気持ちわりーだろ? 隣にいるやつにいつも心覗かれるとか。だから、俺はやめといたほうが……」
「ありえない……」
少しだけ傷ついたような顔をしたシンくんは、ふっと私の手を離した。
「なんでもっと早く言わないの⁉」
「は?」
「シンくん、私がいま何考えてるか、分かる? 分かるよね。私、『気持ち悪い』なんて言ってる⁉」
「い……いや……」
「伝えてもないくせに勝手に私のこと諦めないで!」
ぼろぼろ泣きながらシンくんを怒鳴りつけると、シンくんはバッと私から顔を背けた。
「……え、何、泣いてる?」
「泣いてねーよ!」
どう見ても泣いてるけど、泣いてないと言い張るシンくんに毒気を抜かれてしまって。
「シンくん、私のことが嫌いとか苦手なら、そう言って。でもそうじゃなくて……私以外の原因で避けてるんなら、私……」
それ以上言葉を続けることができなかったのは、シンくんに抱きしめられているからだった。
「お前、ほんと、バカだよな……」
震える声でそう言って、私をしっかり抱きしめて離さないシンくんの背中越しに見えた時計は、もうとっくにお昼休みが終わっていることを告げていた。泣いてメイクも崩れてるだろうし、今日はもう早退しようと決めると、私はシンくんの背中に手を回して、おずおずと抱きしめ返した。
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