オレンジ

 私の親は殺連の上層部である。その娘である私には、幼い頃から(殺しの)英才教育が施されていた。殺し屋学校を卒業した後は殺連の関東支部に就職し、親がORDERの一人との婚約を取り決め……と、順調に殺し屋としてのキャリアを積んでいっている。学生の頃はこんな人生に反発をしたものだけど、結局この生き方が一番楽なんだと気づいてからは割り切って流されるままに生きていた。のだが……
「おう、例の件、もう済んだか」
 ORDERの一人である四ツ村さんに声をかけられ、私は絶句した。視線はその後ろにいる人物に釘付けられていた。
 そこには、関西殺仁学院にいた頃の同期である神々廻がいた。なんでこんなところに。中退してただのチンピラに成り下がったと噂で聞いていたのに。
 私が呆けてなにも反応しないものだから、四ツ村さんが神々廻に目をやって「知り合いか」と訊いた。私は四ツ村さんに見えないように神々廻にだけ目で「バラすな!」と訴えながら激しく首を横に振った。
「あー……いや、えらい美人さんや思て」
 しゃあしゃあとそんなことを言う神々廻に、少しだけ冷静になった。関西に出張に行っていた四ツ村さんから、昨日一人分の個人ナンバーを発行してほしいと頼まれていた。四ツ村さんはORDER設立当初の名残なのか、たまに優秀な人材を見つけると引き抜いてくるから、今回もその手合いだろうと思っていたのだが、それがまさか知り合い……それもよりにもよって神々廻……だったとは。私は小さく頭を抱えてため息をついた。

 定時にタイムカードを押して退勤するとエレベーターの前に神々廻がいた。無視しようとしたのだけど、声をかけられてしまった。
「メシ奢ってや。俺身一つでオッサンに連れてこられたから金ないねん」
「四ツ村さんに奢ってもらってください」
「あのひと、定時になったらそそくさ帰りよるねん」
 まあ、愛妻家だしお子さんもまだ小さいしね……と思いながら「生憎ですがこのあと予定が」と言うと、「腹減りすぎて口軽うなってしまいそうや」と返された。こいつ……
 私は渋々神々廻を連れて近所の定食屋に行った。もしも神々廻が本命の男だったら雰囲気のある薄暗いバーにでも連れていくところだが、今の私はバーと対極にある、煩雑とした雰囲気を求めていた。
「これタマネギ入ってる」
「入ってます」
 ムッとしながら「なんで生姜焼きにタマネギ入れるねん」とぶつぶつ言っている神々廻は、昔と変わっていないように思える。注文を終えると、神々廻が「驚いたわ」と切り出した。私は身構えた。
「まさかこんなとこでお前と会うとはなあ」
「……私も驚きましたよ。でも、四ツ村さんに認められるなんて見込みがあるんじゃないんですか」
「……で、その他人行儀な喋り方いつまで続けるん。昔は仲良うしとったやん」
「……そのことはもう忘れてくれます?」
 私は重い息を吐き出すと、目を伏せた。
 殺仁学院にいた頃といえば、私が一番親に反発していた頃で、親の持ってくる見合い話に腹を立てた私は、当てつけのようにだらしない交友関係を結んでいた。その相手が今目の前にいる神々廻なのである。
 神々廻は、頭が良くないけど面倒なことは言ってこないし私の親のことも特になんとも思ってない(プラスにもマイナスにも)から、なんというか、一番「ちょうどいい」相手だったのだ。お互いが体だけを求めあって、それ以外のことには頓着しない、完全にギブアンドテイクな関係だった。神々廻が退学して縁が切れたところでその存在さえも忘れていたのだけど、まさかこんなところで再び縁が結ばれるとは思ってもいなかった。
「変わったな、いい子ちゃん」
 気安く私の手を握ってくる神々廻の手を振り払う。
「また仲良うしてや」
「お断りします」
 そうぴしゃりと断ると、神々廻は小さく笑った。向かい合ってご飯を食べるのは初めてかもしれない。私と神々廻はほとんどセックスしかしてこなかったから。……いや、一度、セックスが終わった後にお腹が減って、夜中に二人でカップラーメンを分けて食べたことがあった。小さい口に食べ物を詰め込んで食べる神々廻は、やっぱりあんまり変わらない気がする。彼のこの、葦のように周りに流されず変わらないところを、結構気に入っていた。

「じゃあ、私はこれで」
 食べ終わってお店の前で別れようとしたら、神々廻に肩を組まれた。強引に歓楽街に引っ張られる。
「ちょっと」
「んー……でもちょっと期待してるやろ、自分」
「……バカなこと言わないで」
「ちょっと調子出てきたやん」
 神々廻の手が自然に肩から腰に下りてくる。
「俺が今何したいか分かるか」
「おしっこですか」
「生意気な女をねじ伏せて言うこと聞かせることや」

 結局、ラブホテルのベッドに寝転がって神々廻の顔を見上げることになっていた。良くないなーという気持ちはもちろんあったものの、なんだかすべてがどうでもよくなって、私は神々廻に組み敷かれていた。
「……お前、昔も俺みたいな底辺に抱かれてるのに興奮しとったやろ」
 神々廻は勉強はあんまり得意じゃなかったけど、聡いところがある人だった。
 私が神々廻を選んだのは、「ちょうどいい」というのももちろんあったけど、成績が悪くて素行も悪くて家柄も良くない、順調に生きていれば私の人生にはまったく関わることのない人物だったからだった。そんな相手に犯されて汚されるのは気持ちよかった。
「家柄使てオナニーとか、エエ趣味してんなぁ?」
「それ分かってて付き合ってたアンタも大概でしょ」
 私は神々廻の首に手を回すと、神々廻の髪をまとめているゴムを外した。
「……おい、外すな。鬱陶しいねん」
「髪切れば」
 私は神々廻の髪の毛を手で梳いた。神々廻の髪が、肌をくすぐるのは、昔から嫌いじゃなかった。

 事後、服を身につけながら、「言っとくけど、本当にこれで最後だからね」と釘を刺す。
「なんで」
「私、婚約者いるの。相手はあのORDER様だから」
「親が用意した相手なんか絶対嫌や言うとったやろ」
「神々廻が言ったんでしょ」
 私、変わったのと呟くと、私は一人で部屋を後にした。



 その日、出勤した時から殺連がざわついていた。ところどころで「入れ代わり」だの「新メンバー」だの聞こえてくる。何かあったのかと思っていたのだが、デスクに着いた途端に数少ない同性の同僚が「大変だったね」と慌てて近づいてきた。
「何の話……」
 その子は「知らないの?」と目を丸くすると衝撃的な事実を告げた。
「ORDERが入れ代わったんだよ! 新人がメンバー殺してORDERに入っちゃったの」
 その言葉を聞きながら、私の視線は同僚の背後から近づいてくる人物に釘付けられていた。

「これで拒否する理由無うなったやろ」
「バカだね……」
 私の婚約者を殺した男にため息をつきながら、自販機のボタンを押した。
「アンタそんなに私のこと好きだったの」
「いや別に。もともと四ツ村さんにメンバーの誰か殺してORDER入れ言われとったし」
 神々廻もただ「都合のいい相手」として私が一番「ちょうどいい」から私に構うのだろう。やはりこの男は一番「ちょうどいい」。それはよく分かってるのだけど……
「うちの親が黙ってないよ。ご愁傷さま〜」
「庇ってくれへんの? つれないやん」
 まあ、正直なところ神々廻が殺されることはないくらいには庇ってやってもいいかな、とは思っていた。こんなに「ちょうどいい」相手をみすみす逃すのももったいないし。

 ……しかし、予想外のことは重なるもので。あろうことか、私の親は若くしてORDERに入った神々廻をいたく歓迎したのだった。それどころか、次の婚約者候補に彼を、などと言っている。
 それを聞いて目配せを交わしあった私たちの顔にはきっと「こんなはずじゃ……」と書いてあったことだろう。お互いに「ちょうどいい」相手である私たちだったけど、私たちの間に恋だの愛だのいう感情はないし、きっと今後も生まれることはないだろう。お互い遊びの相手としてはこれ以上ない相手だが、結婚相手としては不足がありすぎる。
 親の手前罵り合うこともできず、共犯者である私たちは顔を苦く歪ませながら視線で責任を押しつけあっていた。


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