せかいで一番わるいやつ

「地獄に落ちろっ……」
 もう何万回聞いたか分からないその呪詛に、特に顔色を変えることなく、神々廻はハンマーを振るった。
「言われんでも」
 最後の一人の絶命を確認したところで辺りを見回し、後輩の姿を探した。彼女の黒い服は暗がりでは保護色の役割を果たす。
「終わったか大佛ィ〜」
 名前を呼びながら探し歩くと、瓦礫の傍に座り込んで瓦礫と一体となっている大佛がいた。
「何してるん」
「神々廻さん、これ……」
 大佛が指差す先には、この場には不釣り合いな少女の姿があった。痩せ細った体は一つの布も纏っておらず、身体中に裂傷や火傷の痕があった。彼女は、首輪に繋がれ、大型犬用と思われる狭い檻の中に入れられている。
 じっと緊張した面持ちで大佛と神々廻を交互に見つめていた少女は、ゆっくりと口を開いた。
「おまえたち、わるいやつ……?」
「えっ……どっちでもない……」
 大佛が首を傾げ、さらりと黒髪が背中を滑った。
「……おねがい」
 少女はどこか毅然とした表情で、大佛と神々廻を順番に見返した。
「せかいで一番わるいやつになりたいから、てつだって」
 その懇願に、大佛がじっと神々廻を見つめた。
「神々廻さん、どうする……?」
「そんなん無視や無視。あいつらの仲間っちゅーわけや無さそうやし、お情けで出したるわ」
 少女を檻から出して首輪を外すと、後は好きにせえやとヒラヒラと手を振った。
「帰るで大佛」
「神々廻さん、お刺身食べたい。鯛がいい」
「出たなゲン担ぎ」
 ならあそこ行くかと話しながら歩き始めると、背後からぺたぺたと足音が聞こえてくる。
「……おい。ついてくんなや」
「すきにしろって……」
「言葉の綾や」
 少女のお腹からぐう、と大きな音が鳴る。彼女の体は骨と皮ばかりで、ろくなものを食べさせられていなかったことは想像に難くない。神々廻たちの会話を聞いて食欲を刺激されたのかもしれない。
「神々廻さん……」
「お前な、犬猫とはわけが違うんやぞ。犬猫ならエエわけやないけど……」
 今度は言葉の綾がないように気をつけて話す。「かわいそう……」と言う大佛にため息をつく。
「こいつおったらメシ行けんぞ」
「私が奢る……」
「アホ。その前に全裸の少女連れてたら一発で通報されるわ」
 大佛は「そっか」と目を丸くすると慌てて被っていたヴェールをそっと少女の肩にかけた。
「透けとるしなんか余計悪いことしてる気なるわ」
「神々廻さん上着脱いで……」
「なんで俺が上着貸すの確定してるん……ちょぉ引っ張んなや破れる破れる」
 結局大佛によって神々廻のジャケットは引き剥がされ、少女の細い体に纏われた。
「いやこれでもワケありなん見え見えやし普通に連れては歩けんで」
「じゃあこのまま殺連もどる……」
「鯛は」
「やっぱいい」
 気の変わりやすい後輩に、面倒なことになったと神々廻はため息をついた。



 少女の世話は大佛がすることになった。つまりはほとんど神々廻がすることになった。といってもある程度の一般教養を身につけさせたらすぐにJCCにでもぶち込むつもりだった。せいぜい殺連の役に立つならそれで良い。
「お前、今なら普通の保護施設に連れてったるけど『こっち』でええんか」
 ぎこちなくスプーンを握っている少女にそう訊ねると、彼女は一切の迷う素振りを見せずに頷いた。
「スープ飲む時は音立てたらあかんで」
「はい」
 彼女は何を食べても表情を変えない。こういうシチュエーションの定番ではあまりの美味しさに涙を流したり顔を弛めたりするものだろうと思うのだが、彼女はメニューが何でも機械的に食べ物を口に運ぶだけだった。
 彼女には、そういう機微を感じるものがないのだ。それだけの環境に身を置いていたということだろう。
「神々廻さん」
「何や」
「私、せかいで一番わるいやつになりたい。どうしたらいい?」
「それこないだも言うとったな。何やその抽象的な願い」
「とにかく、わるいやつになりたい」
「不良に憧れる年頃か?」
 あるある、一度は通るねんと茶化すと、少女はぽつりと呟いた。
「だって、いい子でいてもぜんぜん幸せになれなかったよ」
 彼女と会った時、彼女が置かれていた状況を思い出す。一応スパイの可能性も考えて彼女の生い立ちを調べたのだが、親がタチの悪いヤクザに金を借り、そのカタとしてヤクザのもとへ売られ、さらにはそのヤクザと付き合いのあった殺し屋組織へと彼女の身は渡っていったらしい。
「わらってるの、いつもわるいやつらだった」
 ヤクザのもとでも殺し屋組織のもとでも、彼女は欲望の捌け口としてあらゆる苦痛を与えられてきた。そういう扱いを受けていた、らしい。
「だから、おねがい」
 ──私をせかいで一番わるいやつにして。
 そう自分を見つめる少女を見返しながら、神々廻はぼんやりと思った。地獄に落ちろ、とは何万回も言われてきたが。
 ──地獄に落としてくれ、は初めて言われたな。


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