暴力の残渣
「凪サン。あなたは藍染に洗脳されていた被害者です」
洗脳、と凪はその単語を繰り返した。
目の前の帽子の男はひとつ頷く。そしてまぁまぁ気楽に、と努めて明るく振る舞いながら凪の前に茶を入れ直した湯呑みを差し出した。凪は眉を顰め、洗脳…と今度は脳内でそれを反芻する。
こんな話を浦原とすることになったのは、見えざる帝国の襲撃に備え修行をしている最中だった。グリムジョーは他の破面たちや織姫たちと虚圏で修行を続けている。グリムジョーから話を聞く限りだと、修行というかただひたすら戦っている、と言った方が正しそうだが。
一方凪は、藍染との大戦後に消失した力を取り戻すために現世にある浦原商店の地下、勉強部屋と言われる空間に連れてこられていた。奇しくもそこは藍染が虚夜宮の地下に作った凪の鍛錬場とよく似ていて。
嫌な記憶を思い出しながらも、広い空間の端に設置された畳とちゃぶ台という異質なそこで、今日はまずお話ししましょう!と浦原に誘われたのがはじまりだった。
「あなたが護廷十三隊に入隊したのは百年程前ですね」
「正確な年は覚えてないけど…」
流魂街でたびたび藍染に魂魄を削られ、藍染の配下である死神たちに乱暴され、こんな目に遭わせられる道理がわからない、絶対いつか殺してやる、あいつら全員殺してやると誓ったのは、死神になるずっと前だ。
まだ幼かった、なすすべもなくなされるがまま魂魄を奪われ続けていたあの頃。また死神たちに捕まって魂魄を削られそうになった時、見よう見まねで死神がやっていた鬼道を発動し、焦った死神が落とした斬魄刀を手にとって藍染に突きつけたのだ。始解すらしないただの抜き身の刀、まだ子どもの凪の背丈は全然足りていない。その刀の重さに身体の重心がもっていかれそうになる中、震えて泣きながら自分を睨み上げる凪を見て、藍染は「面白い」と笑った。その切っ先を指の腹で制し、彼はしゃがみ込んで凪と目線を合わせて言ったのだ。
『いつか私を本当に殺してごらん。私を殺すための力を与えよう。君は私を殺すために死神となって牙を磨く。私は君に殺される日を毎日待つ。…こんなに、 はない』
鮮明に思い出されるあの日の記憶、しかし最後の藍染の言葉はノイズがかったように一片も思い出せなかった。
「当時既に五番隊副隊長だった藍染は、鏡花水月を使い、周りの目を眩ませあなたを護廷十三隊入りさせます。その後は凪サンの方が詳しいのでは?」
「そうね。散々藍染や藍染の配下の死神たちに鍛錬をつけさせられたわ。あらゆる知識も与えられたし、技も伝授された。自分でも驚くくらい力がついていくのを感じてた」
「でも、席官にはならなかった」
「席官になって目立つのは得策じゃない、て言われてたから」
自分に修行をつけていた藍染の配下は、ひとり、またひとり顔を見なくなった。戦死したという話を風の噂程度で聞いたが、どこかで藍染が処分したんだろうなと勘付いていたところもある。やがて凪に指導を施すのは、藍染と、東仙と、最後、凪が属していた三番隊隊長であった市丸の三人だけになった。
その間、浦原は藍染に罪をなすりつけられる形で現世に追放され、藍染は隊長に就任、凪は変わらず藍染を殺すことだけを考え、ただただひとり、孤独の中力を磨いていた。
あれから100年以上経っていたと気づいたのは、それこそ藍染から虚圏に行くことを誘われた時だった。
「凪サン、藍染に何を植え付けられてきたんです?」
「…植え付け…?」
「端的に言い変えると、100年以上、藍染に何を言われ、何をされてきたか、です」
その言葉に、ざざっと凪の脳内に過去の映像が流れ始める。
黒の死覇装を与えられ、斬魄刀を握らされ、虚の巣に投げ込まれた。死にそうになりながらも斬魄刀を振り続け、記憶が途絶えそうになるたびに藍染が現れて自分が苦戦していた虚たちを瞬間的に散りと化する。
それは何年経っても、凪が成長し大虚くらいであれば対処できるようになっても変わらなかった。最後の最後で、藍染がとどめを刺してゆく。
『あと少しだったね、凪』
と眼鏡の奥の目を不気味に光らせながら、あの男は絶大な力の差を凪に見せつけ、その都度凪を絶望の底に突き落としていたのだ。そして力を与えた代償として、凪を抱く。拒みたければ拒むといい、と彼はよく口にしていたが、拒めばこれ以上彼を殺す機会が巡ってこない、力をつけられない、利用できない。そう思うと彼の部屋に行くことはやめられなかった。それは虚圏に来てからも。
大人になってからも時折削られていた魂魄。削られながらも回復するたびに鍛錬を積み、鬼道は90番台の詠唱破棄だってできるようになった。それに対して藍染は『さすが凪だね』と笑って頭を撫でてくる。後少しで私を殺せるよ、と。嫌悪感しか湧かなかった。
卍解ができるようになったときだって、『君の力が公になったら隊長格に抜擢されるね。でもそれは君が望むことではないから、これまで通りギンの下で一般隊士として潜り込んでおくといいよ』と。
力をつけるに比例して、護廷十三隊での地位は上がっていく。それはすなわち死神たちの中枢に入り込むということで、とてもじゃないけど死神が嫌いな自分には我慢できなかった。そして目立ってしまえばそれだけなりふり構わず修行もできない(敵は藍染が調達してくるから、別に席官になって強い敵とわざわざ戦う必要はなかったし)。
藍染を殺すために、自分にとって無駄なものを削り、ただ牙を磨くために必要な時間、もの、あらゆる何かを手に入れていくためには、皮肉にも藍染自身の、鏡花水月の力がまだ必要だった。
「アタシはね、凪サン。崩玉と融合した藍染から、別の死神の霊圧を感じました」
浦原が静かに続ける。
それは、あの大戦で満を辞して凪が藍染に売った最初で最後の殺し合い。空座町に侵攻する直前の藍染に斬りかかったが、彼は羽虫でも払うように凪を斬りつけ、何事もなかったように彼女の魂魄の大部分を崩玉に与え去っていった。
きっと、あの時奪われた魂魄が崩玉の核として彼に根付いたから、浦原は凪の霊圧を藍染から感じたのだろう。
「藍染は、あなたの魂魄が必要だった。だからあなたの殺意を利用して、あなたを極限まで育てた。それと同時に、あなた自身にも催眠をかけていたんです」
浦原から語られる内容が理解できない。
利用されていたのはわかる。お互いがお互いを利用していたことも。凪を目立たせることのないよう、周囲に催眠をかけていたことは知っている。尸魂界では凪を一死神として認識していたのはほんの僅かで、そのほとんどが藍染一派だった。凪は、孤独だったのだ。ひとり増大してゆく殺意を抱え、いつ掌を返され殺されるかもしれない恐怖に晒されながら。
「藍染を殺せるのは自分だけ。周りの死神は敵ばかり。そう思い込まされてあなたはずっと生かされてきたんです」
藍染から解放された今、冷静に浦原の言葉に耳を傾けると、自分の過去の行動と言動がいかに矛盾していたか突きつけられる。
席官になって目立つのは得策じゃない、と言われ何故素直に納得したのか(何故あの男の言葉を疑いもなく素直に受け入れていた?)
嫌なら拒めば良いと言われても、拒めば殺すチャンスを失うと思い込んで拒まなかった(結果、藍染の思うがままにされていた)。
許可は与えていないと言われれば素直に応えていたが、そもそも許可とは?(自分にとっての敵にどうして許しを乞う必要があるのか)
この100年、大勢の死神と接してきた。死神が嫌いでみんな殺したかったけど、本当にみんなが私に痛いことをしていたか(そんなことは、ない)。
「孤独と殺意に満ちた死神の魂魄を与えられた崩玉は、それを核として力を増す。藍染の仮説と検証に、あなたは利用されただけなんです」
許可は与えていないよ、と言われた。
拒みたければ拒むといいと言いながら、許可は与えていないという。矛盾したその言葉は、凪の思考を混乱させ、雁字搦めにした。
結局、藍染を殺すためには藍染の力を借りなければ実現できない・という、また矛盾したそれに答えが行きつき、結果彼の思うがままに踊らされていたと、今になってようやくわかる。
「洗脳…なのかな。ただ単に私が無知で踊らされてただけだった気がするけど」
結局自分は終始藍染の玩具だったのだ。
ノイズがかっていた、あの時の藍染の言葉が唐突に蘇る。
『こんなに、 “楽しい暇つぶし” はない』
私の100年は、藍染にとって暇つぶし。
私の価値は一体何だったのか。
自嘲するようにハハッと乾いた笑い声が自分から漏れる。洗脳などではない、私が甘かったのだ。私が、愚かな私がすべて悪い。
「藍染のことは許せないし今でもできるなら自分の手で殺したいって気持ちは残ってる。けど、あいつに利用されて暇つぶしの玩具にされたことは、単に私の落ち度」
凪はきっぱりと言い切って、浦原に視線を合わせる。洗脳とか被害者とか、今となってはどうでもいいわ・と凪は手を振った。第三者にその事実を突きつけられても涙は乾き切ったのか、もう出ない。
「話は終わり。早く修行をはじめましょう」
凪は膝をついて立ちあがろうとする。ちゃぶ台に置いた彼女の手を、浦原は素早く掴んだ。
「それでも、幼い凪サンを助けられなかったのは、アタシたち死神の落ち度です」
頼れる大人がいれば。道を踏み外していない、正義を背負った死神がひとりでもあの場所に駆けつけていれば。
浦原は凪を見据えて、はっきりと言い切った。
「申し訳ありませんでした」
帽子をとり頭を下げた彼を見て、凪は固まる。
今の私なら抵抗もするし矛盾も突いて跳ね返す自信はある。けれど、あの幼かった私は、ただ生きるために精一杯自分で考えて、足掻いて、導き出した答えに向かって一心不乱に走り続けていた。例えそれが正解には程遠い、長い地獄に続く道だったとしても。
あなたは被害者だ、と彼は言った。あの幼い頃の、何も知らない自分に誰かが手を差し伸べてくれていれば。
あの時に戻ることができるなら、自分で自分に手を差し伸べる。
そんな奴の言いなりにならなくていい、誰かに助けを求めて。子どもがそんなにしんどい思いをしなければならないのは間違っている。
そう叫ぶだろう。
それが今の凪の答えだった。
つう、と頬に涙が伝う感触がする。それを拭うことも忘れて、凪は首を傾げながら言った。
「浦原さん。来世で私と同じような子がいたら、私は躊躇なく助けると思う。けど、今の自分を、私は嫌いじゃないの」
人とは違う生き方かもしれない。それこそ道から外れた生き方をしているという自覚もある。きっと望めば、あの頃手に入れるはずだった死神としての正しい生き方を、これから尸魂界で取り戻すことができるのだろう。
ただそれは、生きてきてはじめて安寧を覚えている今を捨てることになる。
虚圏で見つけた自分の居場所。共に生きることを約束したのは、種族が違う、もとを正せば敵である彼だとしても。
「だから謝らないで。代わりに、私を正しい強さで導いてください」
凪は目を閉じ頭を下げた。深く深く。長い時間ずっとそうやって。
脳裏にこべりついていた藍染の姿は、今はもうもやがかっている。代わりに浮かぶのは、泣いている幼い自分と、それを見ている今の自分。
今世では助けてあげられなかったけど、100年経ったら手をとって一緒に生きてくれる人と出会うから。
幼い自分に語りかける。人を憎み殺意を原動力として磨いたその力は、これからあいつと共に生きるために必要な力として生まれ変わる。
負の強さではなく、正の強さを手に入れる。
そう、私は、王の隣に立つ者として。
END
(20220130)
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