猫足のバスタブ
「浦原の野郎が造ったのよりかなり狭えな」
「あれは温泉だもの。これは普通のお風呂」
個人で温泉持ってるなんてなかなかないわよ、と凪は首を反らせながら言った。視界に入るのはグリムジョーの顔。普段は真ん中の前髪以外ざっくりオールバックにしているが、今はその前髪も濡れてすべて額にかかっている。長い前髪の隙間から凪を見下ろす目は外で見せるものより幾分か柔らかい。いつもと印象が違って見えるからだろうか。逆に凪はいつもおろしている前髪をかき上げておでこを晒している。いつもと逆だなぁと彼の顔を見ながら思った。
滅却師たちとの戦い後、虚圏に戻ったふたりは奇跡的に破壊されずに残っていた自分達の宮を拠点に生活している。そして現世の浦原と繋がったことで手に入れることができたバスタブに湯を張って、暫くぶりに平穏なそれを満喫していた。
温泉くらい広ければ並んで入れるが、バスタブに180センチを超える長身の男とふたり入るのはなかなか難しい(向かい合ってもグリムジョーの足が邪魔なのだ)。結局一番落ち着くのは、グリムジョーの上に凪が座って入る形。凪はバスタブのふちに置かれたグリムジョーの腕をとって遊ぶ。指先を撫でたり自分のものと絡ませていれば、グリムジョーも同じように応えてくる。なんてことない手遊びだ。
『凪サンところは猫足のバスタブにしておきましたよ!ほら、グリムジョーさんが猫足ですからね!』
と飄々と言ってのけた浦原を思い出す。確かに豹は猫科で、豹王のグリムジョーはまさに猫足だ。彼はそれに気づいてなさそうだが(バスタブの足なんて絶対見てない)、アンティーク風の白磁のバスタブと金色の猫足の形を凪はとても気に入っていた。
今は猫足ではない、自分と同じ形のグリムジョーの足をつつっと足の指でさすってみせた。くすぐってえからやめろ、とグリムジョーが言う。反射的に足が跳ねて、ぱしゃっと水音がした。
凪はグリムジョーの胸に自分の頭を預け、再び彼を見上げる。なんだよ、と凪の前髪を毛流れに逆らって撫でつけながら彼は言う。大きな彼の掌は、凪の額をすっぽり覆ってしまう。お湯に浸かっているせいでいつもより体温が上がっているグリムジョーの手から伝わる熱が心地よい。
「猫って水に濡れるの嫌いらしいけど、グリムジョーは平気なの?」
「あ?」
「ほら、豹って猫科じゃない?だからあんまりこういうの好きじゃないのかな、て思ってたんだけど」
「破面になる前から水浴びくらいしてたわ。つか猫猫うるせえな。俺は猫じゃねえ」
「私の中ではおっきい猫ってイメージよあんた」
ほら、宮の周りは自分の縄張りだって言うし、縄張りに入って来た大虚とかすぐ狩りに行って食べちゃうし、霊圧は嗅ぐものだし、気分屋だし。と、凪は思いつく限り猫っぽいグリムジョーの行動や性格を指を折りながらあげていく。
そして極めつけは、と意地悪な笑みを浮かべグリムジョーを見上げてながら言ってやった。
「猫って死ぬときは姿消すんだって。あんたも私置いてふらっといなくなって死にかけてたわよね?」
滅却師たちとの戦いで、グリムジョーが凪を置いてひとり戦いに行ったことを彼女はまだ許していない。ずっと凪が根に持っていることを知っているのと、毒にやられ動けなくなっていた自分を思い出しばつが悪いのか、グリムジョーは、うるせえ、とその話題をすぐに切ろうとする。が、今日は凪も引く姿勢を見せなかった。
「次置いてったらあの音、耳元で鳴らし続けるからね」
浦原に渡された小さな装置は、凪にとって今やグリムジョーと駆け引きする際の必需品になっていた。大概のものは痩せ我慢して耐えるのに、あの音だけは本当に無理らしい。まだ音を鳴らしてもいないのに、「まじであれはやめろ!!」とバスタブから飛び出そうになるほどの狼狽えを見せたグリムジョーに、凪は声を上げて笑う。こんな普通に笑うことなんてこれまでほとんどできなかったのに、不思議と自然に笑えることが増えた気がする。
「てめえほんといい根性してるよな…」
ひとしきり笑った凪を見て、グリムジョーはこめかみに青筋を立てながら低く言う。少しからかい過ぎたかもしれない。その様子に凪はまた笑って、そろそろ上がらないとのぼせてしまうな、と立ち上がろうとする。
「ごめんごめん、面白くって。…そろそろ上がる?湯あたりしちゃう」
そう言ってグリムジョーの膝から離れようとした時、彼の腕が凪の腰に回され動きを封じられた。反射的に彼に倒れ込む形になったが、水の抵抗でグリムジョーに衝撃はひとつも伝わってないらしい。きゃ、と小さく声を上げた凪に、グリムジョーはにやりと笑う。
「悪いな。猫は気分屋なんだろ?もうちょっと付き合え」
「のぼせそうなんだけど」
「抱えて運んでやるよ」
えー、と抗議の声をあげてみたが彼は聞こえないふりをしている。猫は気まぐれ。それはグリムジョーと行動を共にし始めた頃からいやというほど実感していたので(はじめて顔を合わせた時からかも)、これは諦めないな・と凪はため息をつく。少しばかり温くなった湯を混ぜながら、お湯が冷たくなるまでよ、風邪ひいちゃう・と彼の身体に全体重を預けた。
END
(20220204)
「つーかてめえ置いてったって勝手についてくるじゃねえか」
「一緒に行くか行かないかの違いは大きいのよ」
back