毒を食む


何が起こったか分からなかった。
逃げまわる敵を追いかけ、苦し紛れに投げられたように見えた何かを手で払い退けただけだった。はずなのに、何かに触れた瞬間膝の力が抜け、視界がぐるんと回った、気がした。次に気がついた時には受け身も取れないまま顔から地面に倒れていた。息が吸えない。全身から冷や汗が吹き出し、目の前がブラックアウトして、先程の敵がすぐそばに立っているのを感じるのに指一本動かせなかった。敵はとどめを刺すこともなく、何かとてつもなく煽ってきている気がしたが、はっきりとその声は聞き取れなかった。唯一「毒入り」という単語だけ聞き取れ、自分が今毒に侵されていると認識することはできたが、だからといって動かない身体でどうすることもできず、立ち去る敵を追うことも、そもそも起き上がることさえできなかった。
毒が身体に回る。何重にもなって襲いくるその嫌な感覚は、抗う身体の力を無視して彼の中で暴れ回っていた。血液に、臓器にそれはじわじわと侵食して全身の力を奪っていくようで。
戦いらしい戦いをしないままこのまま敗れるのか?と薄れゆく意識の中で歯噛みした時だった。

「いいざまね」

凛とした声がその空間に響いた。不思議とその声は一切のノイズもなく、グリムジョーの頭に直接語りかけているようにはっきりと彼の耳に届いた。
視線を上げることすらできないが、嗅覚はかろうじて残っていた。すぐそこにいる、ここにいるはずのない彼女の霊圧を嗅ぎ、グリムジョーは胸の内で、嘘だろ・と独りごちる。
確かに虚圏に残してきた。この戦いには強さが足りないと、無理矢理置いてきた。その凪が、何故。
勿論グリムジョーの声ならぬ声は凪に届かない。

私を置いていくから瞬殺されるのよ・と凪はグリムジョーを冷ややかに見下ろしていた。グリムジョーはもやがかった意識の中で、必死に視線を動かそうとする。身体も動かない。口も開こうとするがいうことを聞かなかった。その様子に、あーあー喋らなくていいから!と彼女は手を振りながら言う。

「毒かな?何の毒か分からないけど…」

とりあえず、と凪は胸元から何かを取り出し彼の首に躊躇なく打ち込んだ。グサッと彼の硬い鋼皮に針が貫通し、中の薬剤が彼の中に注がれる。

「浦原さんに感謝しなさい。こうなることを見越して私に色々持たせてくれてたの」

膝を突いてグリムジョーに二本目の薬剤を打ち込んで(わざわざ急所にあたる首に渾身の力を込めて打ち込む必要はあるのか?間違いなく別の感情も入っている)、凪は片手を彼の背に翳す。ほわ、とした光が彼の上半身、とりわけ臓器がある位置に集中して放射された。

「付け焼き刃だけど、内臓の痛みもこれでちょっとは楽になるでしょ」

回道苦手なんだから、と凪はぶつぶつ言いながらグリムジョーに光を翳し続ける。このように彼女が自分の力を使って他人を治療できるなど、グリムジョーは今の今まで知らなかった。内心相当驚愕しているが、表情すら変えることができないのでそれは凪に伝わっていないだろう。
視界が徐々に開けていく。まだうまく声は出ないが、先程より格段に身体の辛さは和らいだ。瞬間、自分に向き合っている凪の背後に光が見える。何かがこちらに攻撃の照準を合わせていることに気づいた。

「、馬鹿が!逃げろ…!」

喉の奥が切れるのを感じながら、グリムジョーは声を振り絞って凪に警告する。そこで金縛りが解けたようにやっと視線が上がる。彼女とこの場ではじめて目を合わせることができた。凪のその目に一切の揺るぎはない。冷静に凪は背後を一瞥し、遠いなぁと呟いた。彼女は身体を捻って、空いているもう片方の手を遥か遠くに向ける。いつもはおろしている髪はひとつに結われている。その髪が尻尾のようにふわりと翻った。
音もなく、遠方から霊力を圧縮した光線のようなものが二人を目掛けて放たれた。一直線で向かってくるそれに凪は動じず、小さく口の中で素早くそれを詠唱し、トーンを変えず言い切った。

「縛道の三十九、円閘扇」

凪たちの前に出現した円形の盾が光の攻撃を霧散させる。眉ひとつ動かさない凪は、今度はひとつ息を吸い指を指して鋭くそちらを睨んだ。

「破道の九十一、千手皎天汰炮」

瞬間、凪の背後から三角形の光の矢が無数に放たれた。彼女が示す方向にいたと思われる滅却師に集中的に光の矢が降り注ぐ。轟音が鳴り響き周囲の建物が煙を上げて崩壊していった。その様子を瞬きひとつせず観察していた凪は、敵の気配が消えたのを確認して、うん、と頷いた。そしてグリムジョーの方を振り向きながら、「滅却師に光の矢を浴びせるの、皮肉っぽくて最高じゃない?」と笑ってみせる。

「…てめえマジで良い性格してんな」

ようやく声が出た。グリムジョーは呻きながら顔を歪めて笑う。散々自分を見下しながら煽りに煽り、その最中敵の急襲を軽くいなしただけではなく斬魄刀すら抜かずに返り討ちにしてしまった彼女。ここ数年霊圧が弱まり傷を負う凪しか見ていなかったせいか、いつの間にか忘れてしまっていた。凪は、強い。隠そうとしないその霊圧は、冷え冷えとした薄ら寒さのようなものすら感じさせる。

「てめえを守りながらじゃ戦えねえ、だったかしら?どの口がほざいたんだか」

挙句逃げろですって?と凪は睨め付けながらグリムジョーの背を思いっきり叩く。はい、終わり!と回道の発動をやめた。

「もう動けるでしょう?」
「…ああ」

呼吸が楽に、そして身体も軽くなった。グリムジョーは手をついて身体を起こす。バツが悪そうな表情で凪を見返すと、彼女は仁王立ちで腕を組みながら彼を見下ろし言い放った。

「何か言うことは?」
「…悪かった」

目を逸らしながら謝罪したグリムジョーに、凪は呆れたように溜息を吐く。まあ天上天下唯我独尊のこの男が素直に謝るだけマシか、と自分を納得させるように凪は頷いた。

「私は守られるだけの女じゃない。王の隣に立つのよ。それくらい分かってて」

王、という言葉にグリムジョーはぴくりと反応する。彼が自分に言い聞かせるように都度発するそれ。王になるためひたすら強さを求め敵と戦い続けるグリムジョーは、以前の自分と重なる部分がある。だからこそそのぶれない彼の軸に魅せられ、凪もグリムジョーと一緒に生きると決めたのだ。だからそれなりの覚悟で自分も修行を積んだ。弱いと決めつけずに、自分の強さを信じて欲しかった。

「次やったら私虚圏出て行くからね」

最後に脅しをひとつ入れることも忘れない。
これは、自分達の還る場所を守る戦いでもあるのだ。
凪はグリムジョーに、早く行こう、と手を差し出す。しばらく凪の顔とその手を見比べていたグリムジョーだったが、チッと舌打ちをして凪の手をとった。肩を並べて敵の霊圧が集中する場所を見据える。
グリムジョーは指の関節を鳴らし、凪は屈伸をして深呼吸する。準備運動はおしまい。

「とっとと終わらせて帰るぞ」

グリムジョーの声を合図に、ふたりは跳んだ。


END
(20220206)



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