落つ蛇の瞳
「凪ちゃんはほんま殺意隠さへんなぁ」
鍛錬場で凪の様子を眺めていたギンは、凪が一息つくのを待っていたかのように声をかけてきた。凪は顎に伝う汗を手の甲で拭いながらそちらを一瞥する。「ちょっと僕も混ぜてえや」と一緒に鍛錬場に入ってきたのはいいが、彼は何もせずに凪の鍛錬の様子を蛇のようにずっと見つめていた。
三番隊に所属していた凪にとって、ギンは直属の上司にあたる。上司といってもそれは形式的なもので、凪が護廷十三隊に入った当時からギンは藍染に付き従っていて、凪も付き従うわけではないが藍染の元で死神の力を磨いていたことから幼少期から面識があり、ある意味死神としての付き合いは藍染の次に長かった。虚圏に来てからも藍染一派の死神内では一番会話する機会が多いのではないだろうか(東仙隊長とは昔から反りが合わない)。他愛のない日常会話くらいならギンとはできる。不思議とそれに嫌悪感は湧かなかった。
「よう藍染隊長の前で挑発したり殺す宣言できるわ」
「今更なに?」
訝しみながらギンに訊ねるが、彼は別にぃと意味深に笑う。
「凪ちゃんが破面と仲良しになる意趣返しはさすがの藍染隊長も予想できひんかったやろうなあ」
ギンが何を言わんとしているのかすぐに分かった。
グリムジョーと寝たのは藍染への嫌がらせ以外のなにものでもなかったが、不思議とその後もグリムジョーと過ごす時間は長くなっていた。気づけば共にいることが当たり前にもなっていたが、周りに隠すつもりも見せつけるつもりもなかった。グリムジョーとは名前のない関係だ。利害関係が一致したに過ぎない。仲良し、と形容されるのも何か違う気がする。
「意趣返しできてるならいいけど、別に仲良しじゃないから」
「まあなんでもええわ。凪ちゃんはずっとそのままでいてくれたらええ。それでこそ凪ちゃんや」
彼が何を言わんとしているのか理解できなかった。凪は首を傾げながら眉を顰める。「何もしないなら出て行ってくれない?」と突き放してみるが、ギンは両手を上げて僕もこれから鍛錬や、と言う。たまには身体動かさんと、と斬魄刀を抜きながら凪とは反対方向に歩いて行った。
昔から読めない男だと思っていたが、虚圏に来てからより何を考えているかわからなくなった。尸魂界にいた頃と変わらず藍染に順従しているように見えるが、東仙隊長とはまた違う何かも感じる。その違和感は名前にすることは難しいけれど、自分が感じるくらいなら藍染自身はとっくに気づいているだろうが、何も手を下さないということは自分の気のせいなのだろう。答えは出ない。凪は自分に集中しようと斬魄刀を構え直した。
・・・
藍染が空座町に侵攻すると聞き、今しかないと意を決して斬りかかったがその100年の殺意は一瞬で砕かれた。
冷たい床の上に倒れ伏した凪は、荒い息を繰り返しながら身体を起こそうと試みる。しかし魂魄のほとんどを奪われた今、それは容易なことではなかった。
早く立ち上がって、追いかけて、刺し違えてでも藍染を殺したい。その願いが実現しないことは今の自分の状況から嫌というほど知らしめされていたが、このまま消えるなんて絶対に嫌だった。それならせめて、願いを叶えたい。叶わないとしても、もう一度今願うことを実行したい。爪を床に立てて立ち上がろうとした時だった。
「凪ちゃん、後は任せとき」
凪の背中にそっと手が触れた。そしてそれはそっと頭に移動する。自分の頭を撫でる掌は温かくて優しかった。それはきっと別の人を撫でるために存在していたのだと思わざるを得なかった。それくらい、優しくて、哀しかった。凪は視線だけ上げてギンを見る。
「僕の殺意、ずっと隠してくれてありがとうな」
ぽんぽんと二度頭を撫で、その手は離れた。藍染たちが抜けていった尸魂界へと繋がる道にギンは消えていく。
その後ろ姿を見ながら、ああ、と凪は悟る。この人も、私と同じだったのだ。殺意を隠すことなくぶつけ続けた自分に対し、100年以上それを誰にも見せることなく内に秘め続け、その時を待っていた。
いつか言われた「凪ちゃんはずっとそのままでいてくれたらええ」という言葉が思い出される。
自分は気づいていなかったけれど、100年以上ずっとそばに同じ思いをもった同志がいたのだ。意図していなかったが、自分がうまく隠れ蓑になっていて、彼が代わりに私たちの悲願を叶えてくれるのなら。それが私たちの、お互いに与えられた役割だったのだとしたら。
凪の脳裏に水色の瞳がよぎった。彼の霊圧も小さくなっている。藍染を追いかけて死ぬより、今はグリムジョーの所に行きたいと思ってしまった。
「後はお願い。ギン…」
空座町へと続く道に向かって、凪は祈りを込めてつぶやいた。その声は彼には届かない。
けれど願わくば。お互い生き残ることができたなら。
もう一度、彼とちゃんと話をしてみたい。あなたは何をよすがにしてその殺意を秘め続けられたのか。お互い答え合わせをしてみたい。
もう二度とギンと会うことはできないと、直感はいっていたけれど。
知らない間ずっとそばにいてくれた同志を思い、藍染への殺意をギンに託した。
だから今自分は消える前にしたいことをする。
グリムジョーを探しに、ふらつく足に鞭打って凪は立ち上がった。
END
(20220214)
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