殺意の呪縛
いくら魂魄を削っても消えない少女がいる。
そう報告を受けたのは夜が更けてしばらく経った頃だった。東流魂街の森深いそこ。部下たちが集めてきた死神になり得る流魂街の民たちの魂魄を受け取り崩玉に与えながら、藍染は崩玉の変化に注目する。数多の死神、死神になり得る能力を持った流魂街の民たちの魂魄をいくら与えても、崩玉は一向に変化しなかった。もっと強い魂魄を与えれば崩玉は満足するのか、と来る日も来る日も魂魄を削り取って与えることを繰り返していたが結果は思わしくない。この辺りで新しい変化を試す良いタイミングやもしれない。
崩玉が発光し魂魄を呑み込むのを待って、藍染は膝をついた部下を見やる。
「その少女はどこに?」
「あちらに。ただ今日は消える一歩手前まで魂魄を削ったので、今は意識があるかどうか」
今日は、という言葉に藍染はぴくりと眉を上げた。ここ半年、魂魄を探しに来るたびに見つけて削っているのですが、と部下は言う。削られた魂魄はそうそう元には戻らない。所詮流魂街の民、自らを癒す術もその知識すら持ち得ていないだろう。基本魂魄を削られた者は卒倒し意識を失う。何もわからないままに魂魄は奪われ、運が悪ければそのまま死ぬ。半年もの長い期間定期的に魂魄を削られ続けて消えないというのは、なかなか興味深い事象だった。
案内を、と崩玉を懐に仕舞いながら藍染は部下の後をついていく。いくら魂魄がすぐに復活するとしても、その魂魄自体の力が弱ければいくら削って崩玉に与えたところで効果は見込めないだろう。ただ、魂魄自体が強く、そして削られてもすぐに復活するような異能を有しているのなら。崩玉の覚醒に近づく鍵になる可能性もある。
思案しながら森の奥に分け入って進む。パキッと足元の木枝を踏み折った時だった。
「おい!止めろ!」
「なんで動けるんだこいつ!」
深夜の静かなその場に響く野太い男たちの声と、慌ただしく動く音。鬼道のものと思われる光が木々の間から閃く。先に行きます!と斬魄刀を構えながら走って行った部下の背を無感情な目で眺めながら、藍染は歩む速さを変えずにそこに向かう。ぎゃ!だったり、この野郎!といった汚い叫びや罵声が次々と飛び交う。ちょうど視界を遮る高さにある木の枝を手で避けたところだった。
広く開け放たれた空間の中、何人もの死神が倒れて呻いている。ある者は鬼道をかけられたのか身動きが取れておらず、ある者は斬魄刀を奪われたのか怒号で威嚇するという醜態を晒していた。そしてそれを視認した瞬間、刺すような視線が自分に向けられたかと思うと、機敏な動きで間合いを詰めその刃が首元に突きつけられた。藍染様!と部下の声が響く。
その間、藍染は表情ひとつ、霊圧ひとつ乱すことはなかった。冷静にその場を見やって、自分に斬魄刀を突きつける小さな存在に目を落とす。フゥフゥと獣のように荒い呼吸をしながらその小さな背丈に不釣り合いな奪ったばかりの斬魄刀をなんとか振り上げて動きを止めているが、今にもその膝は崩れ落ちそうで立っているのがやっとといった様子だった。
黒のザンバラな髪を振り乱し、頬には涙の跡がいくつも残っている。その大きな瞳も潤んでいて、瞬きひとつで今にも涙が零れ落ちそうだった。粗末な着物は薄汚れていてところどころ血で染まっている。剥き出しの足は裸足で内腿には血が伝っていた。着物の裾よりずっと上から出血しているのがわかる。無様に倒れている部下たちの衣服の乱れからも、そういうことか・と察しがついた。
身体に、足に力が入らないのだろう。少女の藍染を睨みつける眼光の鋭さは変わらないが、重心がふらつき、ぐらぐらと身体が揺れ始める。
藍染は上から下まで少女を見定めるように見下ろし、そして、ハッと声を出して笑った。
「面白い」
抜き身の斬魄刀の刃を指の腹で制して手首を捻り返せば、その衝動で少女は斬魄刀を取り落とした。そして反動で身体が半回転しながら倒れ伏す。こいつ!と部下たちが倒れた少女に殴りかかろうとするのを、藍染は男たちの首を刎ねて止めた。男たちは声すら出せず、痛みすら感じることもなく首が胴から泣き別れ、トントントンと球が跳ねるようにその首たちが地面に転がる。男たちから噴き出た血が倒れた少女の全身に雨のように降り注ぐ。瞬歩で一瞬のうちに移動して自らの手で部下の首を刎ねた藍染は、血で汚れた手を無造作に払った。ピッと飛んだ血が少女の頬をさらに汚す。
「見よう見まねで鬼道を使って、斬魄刀を奪い、私を殺そうとした。君はすごいね」
藍染は膝を突き、少女と視線を合わせる。彼女は何が起きたのか理解できないのか、呆然と藍染を見つめていた。確かにその魂魄の大半は削られている。これほど動けるまでに回復するには通常何日も要するはずだ。目覚めない者の方が大半かもしれない。しかし彼女は意識を取り戻しただけでなく、動いて大の男たちを制圧した。死神でもなんでもない、ただの流魂街の少女が。
「私に言いたいことがあるんだろう?」
血で濡れた指を少女の小さな顎に這わす。幼いながらも形の良い輪郭を撫で上げて、さぁ、と促してみる。不思議と彼女の目には恐怖の色がない。代わりにあるのは、怒りと殺意。ギリ、と奥歯を噛み締める音がした。キッと藍染を睨み上げる少女は、その大きな目から堪えられず涙を零す。次々と溢れる涙を拭うことなく、少女は言った。
「私に痛いことする奴ら、みんな嫌いよ」
「痛いこと?ああ、魂魄を削られることかな?」
「あの死神たちは、私を動けなくしてから大勢で私の身体をすきにした」
魂魄を削るときは痛みは感じないと思っていたが、なるほどと彼女の言葉に藍染は合点する。どうやら死体と化した部下たちは、年端もいかない少女を弄んでいたらしい。そんなに飢えていたのなら手頃な女でも与えてやればよかった、などと思うが、下賎な部下たちは先程自分の手で葬ったのでその必要ももうなかった。
「あんたが親玉?」
泣きながら、声を震わせながらも、その刺すような視線は一向に弱まらない。強い魂魄と死神の素質を持つ彼女を興味深そうに観察していた藍染は、少女の問いかけに、そういうことになるね・とはっきり答えた。
少女は再び歯噛みをして地面の土に爪を立てる。「あいつら、他の子たちにも同じようなことしたの。みんな消えていったのよ」と憎しみを込めた言葉を零す。渦巻く様々な感情を発散できないのか、彼女の爪が土の表面を削り取る。猫が爪を研ぐようなそれだが、まだ柔らかな子どもの爪は固い土に負けて割れそうになっている。メリ、という嫌な音が響いた。
「殺してやる。絶対私があんたを殺してやる」
はっきりと強い口調で、殺意を込めて吐かれた呪いの言葉。この状況で宣言する言葉にしてはあまりにも強く、そして脆かった。殺せる根拠などどこにもないのに、まるでそれは言葉と感情の力だけでなんとかしてしまいそうなほどの殺意がこもっている。これまで藍染が駒として扱ってきた部下の誰よりも強さをもったその意志と目つき。
ああ、面白い。
藍染はくつくつと口の中で堪えきれず笑う。
膝についていた手を離し、両手で少女の頬を包んで血で汚してみた。鉄の匂いやその生ぬるく粘っこい感触に彼女は眉ひとつ顰めず、じっと藍染を睨み続けている。
なんと肝の据わった娘なのか。
「そんなに私を殺したいなら、いつか私を本当に殺してごらん。だけど、今の君にはその力はないから、無作為に向かってきても無駄死にするだけだ」
柔らかな頬に沿わせた掌をこめかみの方までずらし、その小さな頭を掴むように掌の力を込めた。頭を締め付けられるような感覚に、少女は顔を歪ませる。
「君が私を殺せるようになるまで、私は君に力を与え続けよう。そうすれば君は誰よりも強くなる。その時がくるまで、私は誰にも殺されずに待っているから」
掌にさらに力を込める。う、と少女が呻いて、藍染はその手を離した。反動で少女は顔から地面に落ちる。しかし少女は震える細腕を支えにすぐにまた顔を上げた。血と涙と土で汚れた顔は、なんとも醜く、しかしとても幼子とは思えないほど美しかった。一向に死なない目の色と、その全身から迸る殺意。よくぞこんな少女から発せられる。それほどの激情を彼女は秘めていて、そしてそれを持続させることができるほどの強い意志と、削っても削っても倒れない魂魄と精神と才能を有していることがわかった。
ただただ面白い。退屈な日々に変化が必要なのは崩玉だけではなく、藍染自身にもいえたことだったのだろう。
崩玉に続いて新しい玩具を手に入れた。藍染は邪悪な笑みを隠してもう一度彼女の頬に触れる。不可解なほど優しく柔らかく、体温を分け与えるような触り方だった。
「君は私を殺すだけの力を手に入れる。そのために力を貸す私の言うことは絶対だ。私を殺した後、絶対的な力を有して生き続けることができるんだ。等価交換よりもよっぽど条件はいいはずだよ」
さぁ、と藍染ははじめて少女に柔らかい表情を向ける。黙って藍染の話に耳を傾けていた少女は、殺意を切らさないまま「あんたを殺せるくらい強くなったら、もう死神たちに痛いことされない?」と淡々と問うてきた。しかしその声音は弱々しいものではない。何かを決意するような、確かめるような強い意志をそこから感じ取ることができた。勿論、と藍染は頷く。
「私は全てを超越する。その私を超えたら、誰も君に痛い思いはさせないよ」
決して超えられると保証したわけではない。しかし幼い子どもはその言葉の意図を正しく読み取るほどまだ狡賢くなかった。
少女は少し思案するように黙り込むが、意を決したのか頷いた。
「私があんたを殺す。死神もみんな殺すから。だから私を強くして」
交渉成立だね、と藍染は彼女の腰を抱き抱え立ち上がらせる。ふらつく少女の身体を支え、両腕を掴んでしっかりと立たせた。
「私は藍染惣右介。護廷十三隊の五番隊副隊長だ。君は?」
「…凪」
凪にとっての長い呪縛が、はじまった瞬間だった。
END
(20220227)
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