深海魚の存在理由
所詮私は藍染に支配されてたただの玩具だったのよね。
空虚の中で独りごちた凪の声に、グリムジョーは、あ?と振り向いた。
グリムジョーは真っ赤に染まった手を宙で払い、爪の奥にまで染み込んだ血を飛ばす。白い砂に散った血が赤から黒に色を変えた。グリムジョーの眼前には大虚の死体が散らばっている。残酷に切り裂かれたそれらは元は何体だったのか。それらをただの肉塊にした当の本人であるグリムジョーですら判別がつかなかった。
もう動かない肉塊の一部が砂丘からグリムジョーの足元に転がり落ちてくる。鼻を鳴らし不快そうに眉を顰め、彼はそれを思い切り空中へと蹴り上げた。
大虚とはいえこんな雑魚たち、これまでの凪であれば一瞬で斃していただろう。しかし腰が抜けたように座り込んだ凪は、頬から血を流し、その血が顎を伝って落ちて砂に吸われる様子をただ茫然と見つめている。
「今藍染の野郎がなんか関係あるか?」
「私が得た力も何もかも、藍染に与えられただけのものだったんだな、て思って」
だから戻ってこない・と凪は斬魄刀を握りしめた。その瞬間、痛みが手首から全身に走る。あぁ、折れてる。反射的に斬魄刀を手放し、ずきずきと痛み始めた手首を見やる。内出血しているのか関節まわりが変色していた。
大戦後運良く生き永らえたとはいえ、力が失われたまま過ごすのも自分らしくないと、身体が動くようになってから少しずつ鍛錬を再開した。斬魄刀は始解できるまで戻ったが、卍解を取り戻すまでには至っていない。鍛錬もある程度の実践が必要と、調子が良い日はグリムジョーと虚圏を駆けて弱い虚を倒して回るということを繰り返していたのだが。
今日は大虚の群れと行き合って、そのまま戦闘になった。はじめは手は出すつもりはないと岩場に腰掛け眺めていたグリムジョーがやああって参戦してくるほど、凪は呆気なく大虚たちに圧倒された。これ以上ひとりで戦い続けると確実に殺される。そう思った瞬間、あっという間にグリムジョーが大虚を葬り去っていた。本当にそれは一瞬で。大虚との力の差は勿論、グリムジョーとの差もまた開いてしまったと、今しがた自分が切り裂いた大虚を捕食し始めた彼を眺めながら凪は自分の折れた手首を抑えた。
そんな凪の様子を一瞥し、グリムジョーは何気なく言う。
「今回は自分から死にに行かなかっただけマシだろ。それなりに抵抗してたじゃねえか」
「弱い奴はとっとと死ね、てタイプのあんたがそれ言う?」
呆れたように凪は笑って、甘やかさないでとぴしゃりと言い切った。萎えた足を叱咤しなんとか立ち上がり、ぶらりと支えなく落ちた手首を刺激しないように抜き身の斬魄刀を鞘に納める。こういう時自分に回道をかけられたら良いのだが、回道は不思議と昔から苦手で(というより何故か習得しようという気になれなかった)自分自身ではなす術もない。虚夜宮に戻ってロカに診てもらうか、と治癒能力を持つ破面の彼女を頭に浮かべる。
大虚を捕食していたグリムジョーは、まずい、と肉片を口から吐き出していた。「弱え奴はまずい」とのこと。自分が太刀打ちできなくなってしまったこの程度の大虚、本来ならグリムジョーが捕食する必要もないくらい弱いものなのだろう。
凪は溜息を吐きながら、さっきの話なんだけど、と言葉を続けた。
「私が虚圏に来たのは藍染を殺すためだったけど、殺すための力は藍染に与えられてたわけだし、ある意味あの男がいたから私は今まで死に物狂いに力磨いてきたのよね」
「…」
「だから藍染が封じられた今、もう私に力は必要無くなった、てこと?」
少し前の自分だと考えも及ばなかった弱気なものが胸中に浮かんでくる。強い力を持っていることは、この世界で生きていく上で有利に働く。だからこそ藍染を自分の手で倒した後はその力を手に自由に生きたいとも思っていた。しかし今、一向に思うように戻ってこないかつての自分の力を恋しく思うと同時に、もう二度と取り戻せないのではという不安感にも襲われてしまう。
強さこそすべてのグリムジョーに対してこんなことを言う日が来るとは思っていなかった。なんなら今すぐ彼に捕食されても仕方がないくらいなことを自分は言っているという自覚もある(捕食に値するほど今の自分に彼が求める強さなど欠片もないけども)。
どう思う?と力無く彼に目線を送れば、グリムジョーは手にしていた肉塊を投げ捨て、つかつかと凪のそばに歩み寄ってきた。そしておもむろに凪の頬を掴み上げた。筋肉が押し上げられ骨に食い込むような感覚がした。普通に、痛い。
「てめえ俺の
睨め付けながら言われたその言葉に、凪は目を瞠る。黙って修行してとっとと力戻せばいいんだよ、と吐き捨てるようにグリムジョーは言って、乱暴に凪から手を離した。少し浮いていた足が砂の上に下ろされ、凪は思わず折れていない方の手で自分の頬を触る。
「…突っ込みどころが色々あるんだけど…」
「うるせえ。喋る元気あんなら大したことねえな。とっとと帰るぞ」
自分の血とグリムジョーの手についていた大虚の血が混じって頬にこべりついている。乾燥した虚圏の気候に晒されて、既に乾いたそれがパリッと頬の上で割れた気がした。
虚圏で、グリムジョーと共に生きると決めたあの日。あれから幾分か時間は過ぎたというのに、自分はまだ藍染に囚われていた。もうそこに自分の存在意義と生きる意味はないというのに。
「…やっぱり弱いと余計なことばっかり考えちゃうから、良くないわね」
小さく自分に言い聞かせるように呟いて、少し先を行くグリムジョーの背を追いかけた。何か言ったか?と彼が振り向く。なんでもないと首を横に振って、凪はグリムジョーの隣に並んだ。
「とりあえず手首くっつけてもらうから、そしたらまた鍛錬に付き合ってくれる?」
グリムジョーを見上げて問い掛ければ、彼は凪の方を見ないままに、ああ・とひとつ頷いた。大戦後もこの土地で、この男の隣で生きることを決めたのだ。それならここで生き延びるために、自分のために力を磨き続けよう。そして、いつかまた強大な敵を前にした時、彼と並んで戦えるようになろう。
それが私の新しい存在意義。
思わずグリムジョーの腕に縋りたくなったが今はその気持ちをぐっと我慢して、虚夜宮に戻る足を早めた(甘えるのは、まだ苦手)。
END
(20220402)
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