うつぶせの時間
「滅却師の討伐?」
二度の大戦を経て崩れかけた虚夜宮。そこにあって奇跡的にまたも無事だった自分達の宮を訪ねてきたのは、思いもよらぬ破面だった。
思わず聞き返した凪の声にひとつ頷いたのは、葬討部隊の隊長を務めているルドボーンだった。藍染を崇拝し忠実に仕えていたルドボーンは、二度に渡る大戦を生き延びて今も主がいなくなった虚夜宮の管理を続け虚圏の秩序を護るため葬討部隊を率いている。牛の頭蓋骨を思わせる角が生えた仮面は彼の素顔をすべて隠しているため、その表情は読むことができない。
「まだ滅却師の残党が虚圏に残っています。その討伐にご助力いただきたいのですが…」
見えざる帝国との戦い後、囚われていたハリベルをネリエルと共に救出し虚圏に戻った。数年の内に大戦が続いたことで序列や支配者が変わっただけではない、未知の敵の侵略もあり虚圏も混乱に陥っていたが、ハリベルとネリエルが戻ったことにより覇権争いを激化させていた他の破面や大虚たちも大人しくなってきたと聞いていたのに。凪はひとつ溜息を吐きながら、ここは相変わらず平和とは程遠い世界だと少し呆れた。
「まだ滅却師の残党がいるの?」
首を傾げながら問うた凪に、ルドボーンは困惑したように頷いた。滅却師の王は倒された。倒されたどころではない、新たな霊王となり尸魂界の上空に座する霊王宮の大内裏に祀られている。霊王宮に住む者以外で新たな王の姿を見た死神は、総隊長となった京楽に次いで自分くらいなのではないだろうか。本来足を踏み入れることさえないと思っていた霊王宮で滅却師たちと戦い、三界の崩壊を阻止した。三界といっても尸魂界と現世は正直どうでもいい。凪自身が壊されて困るのは、この先あの男と共に生きると決めたここ、虚圏だけなのだ。
「…ですって、グリムジョー」
振り返って室内に視線をやれば、ソファに寝転がったままのグリムジョーが、興味ねえな・とこちらを見ないままに声をあげた。先程自分の縄張りに侵入してきた破面を文字通り秒殺してきた彼は相変わらず不機嫌そうな顔をしている。まあ正直機嫌が良いときは数える程度にしかないが。
「暇してるなら行けばいいじゃない」
「雑魚にゃ興味ねえ」
あと俺は暇じゃねえ・と間髪入れずに睨まれるが、ソファで寝っ転がったまま言うセリフではない。凪はもうひとつ溜息を吐いて、そういうことだから・とルドボーンに断りを入れて扉を閉めかける。焦ったような素振りを見せたルドボーンが制止の声をあげたが、凪は悪いわね、と一言投げた後に躊躇なく扉を閉めた。
消え入るようなルドボーンの声と、意気消沈したような気配が扉越しに感じられた。暫くそのまま観察していたが、やああってルドボーンの霊圧が遠ざかっていった。悪いことしたかしら?と思わなくもないが、正直今は凪も滅却師と戦う気分ではなかった。
霊王宮での戦いはそれ相応の激しさだった。力を取り戻して間もない中で、少々無理もした。強さを求め続けていることは変わらないが、ほんの少しだけゆっくりさせてもらいたいというのも本音である。
ルドボーンが訪ねてくる直前に淹れた紅茶を手にソファへと向かう。ソファは相変わらずグリムジョーが占領していて、凪が近寄っても動こうとしない。ちょっとどいてとグリムジョーの無駄に長い足を叩いて自分が座るスペースを無理やり空けさせた。
「座る場所なら他にもあんだろ」
不服そうにしながらも伸ばした足を組んで凪の座るスペースを空けてくれたグリムジョーに対し、ここがいいの・と凪は言いながら座って紅茶を飲んだ。少し冷めてしまっている。淹れ直しても良いが、一度座ってしまうと立ち上がるのも面倒だ。紅茶のフレーバーが鼻腔をくすぐり、知らない間に強張っていた身体の緊張をほぐしてくれる。滅却師の残党というワードは、見えざる帝国との戦いを無意識に連想させていたのだろう。大きくフレーバーを吸い込んでからカップをサイドテーブルに置いて、少し考えてからグリムジョーの組まれた足に倒れ込むように身体を預けた。グリムジョーは何も反応しない。ちっともぶれない彼の足に全体重を預け切って、衣服ごしに彼の体温と筋肉と骨の硬さを感じる。自分の体温でさえ鬱陶しいと思っていた頃が嘘のように、今はただ心地よい。心に満たされるのはゆったりとした気分とでもいうのだろうか。かつて感じたことがない、穏やかな気持ち。
「なんだよ」
凪にされるがままに、黙って様子を見ていたグリムジョーが顔を少しあげて問うてくる。少し眉を顰めた不機嫌そうな声音はいつも通り。
そんな彼の顔を眺めながら、凪は思ったままのことを口にする。
「知らない破面が攻めてきたり、滅却師の残党がいたり、平和とは程遠いって思ってたんだけどね」
横目でグリムジョーと視線を合わせながら、凪はグリムジョーの足に手を添わせた。掌越しに感じる彼の体温は何度も何度も触れてきた。不思議なことに、それでも決して飽きることはない。
「意外とこういうのを平和っていうのかもね」
時間と心に余裕ができたからだろうか。今流れているゆったりとした時間がとても心地よい。暇も悪くないわね、と呟くように言えば、暇なら滅却師倒しに行けっつったのはてめえだろうが、と呆れたようにグリムジョーが言う。
それに対して凪は、さっきまではこんな気分じゃなかったのよと素直に言ってまた彼の足にもたれかかった。しばらく貸してね、とグリムジョーの足に触れながら言えば、勝手にしろと返事があった。
いつまで続くかわからないこのゆったりとした時間を今は楽しむことにする。凪はグリムジョーの足に抱きつくように体勢を変えた。
END
(20220509)
「そのまま寝るなよ、俺が動けねえ」
「その時はベッドに運んでくれたらいいから」
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