愛も憎悪も皿の上
カチャ、とナイフが食器に触れる音が宮に響いた。
虚圏に来るまではまともな食事ができるのかすらわからなかったけれど、ちゃんと日々食事を摂れるのはストレスにならないから良い。正直食事には無頓着な方だったが、ここまで何もない場所だと、三大欲求を満たすことでしか満足感を得られないのも事実である。
普段食事はひとりか、もしくはグリムジョーと共に摂る。といっても破面であるグリムジョーは死神の凪と同じような人が口にする食事は本来必要としていない。虚を食べれば事足りるのだが、「うまくもまずくもない」というそれを食べるより、凪とともに調理されたものを食す方が満足度が高いと知ってしまったようだ。ナイフとフォークの使い方から教えなければならなかったのは少し面倒だったけれど、ガチャガチャと行儀悪く音を立てて食事をする奴とは同じテーブルにつきたくなかったので、そこは遠慮なく躾けた。
しかし、今日の食事の相手はグリムジョーではない。凪が食事を進める中、目の前にいる彼女は手に何も持たず、じっと皿を見つめていた。そして時折伺うように凪の方に視線を投げてくる。その繰り返しだった。
「毒なんて入ってないわよ」
食器交換する?と、凪はスープを飲みながら、彼女、織姫に声をかけた。織姫はびくっと身体を震わせたが、「食欲が…」と気まずそうに、目を逸らしながら言う。
藍染がウルキオラに命じて虚夜宮に連れてきたのは、かつて尸魂界に侵入してきた旅禍のひとりだった人間。その顔と能力には見覚えがあったから、きっと他の死神を誘き出す餌として彼女はここに拐われてきたのだろう。
そう思った通りだった。
先刻、虚圏に黒崎一護が侵入した。藍染からその話を聞き、まんまと織姫…餌に食いついてきたなと思った。尸魂界もやがて動くのだろう。その前に織姫に死なれたら困るので、食事を摂らせるようにと藍染から命じられた。数日食べなくても死なないだろうけど、脱水を起こすなどして面倒なことになる前に水分くらいは摂ってほしい。
といっても、虚圏に黒崎一護が来ることも、死神たちが来ることも、藍染の思い通りにことが運ぶのも面白くない。しかしそれ以上に凪にとっては正直どうでもいいことばかり、なはずだった。本来ならば。
「あの…」
意を決したのか、織姫が凪に向けて声をかける。凪は手を止めずに、ちらりと織姫を見やった。視線を投げられ、また織姫は身体を強ばらせる。そんなに怖がることないのに。
「凪、よ。井上織姫」
「…凪さんは、死神…ですよね?」
「ええ、残念だけど死神よ」
ちぎったパンを口に運ぶ。小麦なんてどこから調達してるのかしら、なんて思いながら咀嚼する。物言いたげな織姫に続きを促せば、言いにくそうに、服が違うから…と呟いた。ああ、と凪は相槌を打ち、「私、藍染の仲間でもなんでもないから」と間髪入れずに言い切った。
織姫も藍染や破面と同じような、白い衣装に着替えさせられていた。ここではみんな白を纏う。しかし凪は尸魂界にいた頃と同じ黒の死覇装姿のまま、一度も用意された白の衣装には袖を通さなかった。白を纏うのは趣味ではないということと、藍染に対する少しの反抗心。同調意識は持ちたくないし、そもそも仲間でもなんでもない。それが織姫にも引っかかったのだろう。ウルキオラが、同じ衣装を身に纏う、それすなわち同胞の証と伝えたそうだ。そういう意味では当たりだ。凪は藍染に心は捧げていない、同胞ではないと示していた。
「仲間じゃないのに、ここにいるんですか?」
「ええ。藍染をいつか殺そうと思って」
ニコリと柄にもなく微笑んで見せれば、織姫はより困惑した表情を浮かべた。まあそうなるだろう。死神の女が死覇装姿のまま、虚夜宮で堂々と過ごしている。藍染たちの仲間と見る方が自然だ。それを、隠すことなく仲間ではない、藍染を殺すつもりと宣言したのだ。そんな表情にもなる。
少し喋りすぎたかな、と凪はナイフとフォークを皿に並べて置いた。
「少しでも食べておいた方がいいわよ。あなた、これから忙しくなるから」
水を飲み、凪は立ち上がる。食事は済んだ。織姫はまだ何も口にしていないが、監視されながら食事をすることほど気分の悪いことはない。
「私帰るから、水だけでも飲んでおいてね」
「あの…私が忙しくなるって?」
背に向かって掛けられた声に、凪は首だけ彼女の方に向けた。
織姫が虚夜宮に連れてこられたとき、彼女と接触するつもりは一切なかった。しかし、東仙に切られたグリムジョーの左腕を治したのが彼女だと聞いて、俄然興味が湧いた。藍染の命令は正直無視するつもりだったのだが、ウルキオラから織姫が食事を摂っていないと聞き、それなら食事がてら会ってみようとひとりここに来たのだ。
会ってみてわかったが、なんてことない、ただの人間だ。自信がなさそうにこちらを見上げているただの女の子。それでも彼女はその力を使い、グリムジョーの腕を治した。十刃に返り咲いた彼は力が戻ったことに歓喜し活き活きとしている(左腕を切り落とされてからはしょぼくれていたので、そんな彼の相手をするのは少し鬱陶しかったのだ)。だから、あいつより先に少し借りを返すだけ。
「あなたに腕を治してもらったうちの馬鹿がね、何か考えてるみたいなの。遅かれ早かれ黒崎一護とは会えるわ。それまでせいぜい殺されないように、生き延びなさい」
驚いたように目を大きくした織姫に、凪は口角を上げてみせた。そして今度は振り返らない。情報は与えた。彼女がこれからどう生き延びるかは彼女次第。凪は部屋を出て広い廊下をただ歩き続ける。行き先は決まっていた。その道すがら、破面の女二人とすれ違う。コソコソといつも凪の陰口を叩いている、そのくせ直接攻撃をしてこない、十刃にもなれない半端な奴等。
女の嫉妬ほど醜いものはない。
少し面倒なことになるかも、と思いながら凪は足を進める。一度侵入者たちの状況も把握した上で自分は自分のなすべきことをしたい。虚圏に来てまで果たしたい自分の目的を達成すること、それこそが最優先事項だ。監視室で状況を把握したら、その時思う最善の行動を取れば良い。
着々と動き出した局面に、凪は好戦的な笑みを浮かべた。織姫が虚夜宮に来たことで全てが動き始めた。きっかけを作ってくれた彼女には、あとひとつくらい借りを返してあげても良いな、心の中でそう小さく思った。
END
(20211207)
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