君に殺されたい、それが無理なら君を殺したい
そろそろ夜が明ける。一度ベッドに入ったものの不思議と眠ることが出来ず、睡眠をとることを諦め、温かい紅茶を飲みながら一面砂だらけの虚圏の空間を窓から眺め時間を潰すことにした。普段決して寝付きが良い方ではないのだが、一睡もできないのは久しぶりだ。一人寝の夜が久しいからかもしれない。あんな奴でも隣にいればその温もりが入眠の役に立っていたのね、と、世が更ける前に出て行ったグリムジョーを思いながら紅茶を口に運んだ。帰ってくるのは朝方かしらと思ったその時、ガタン、と決して穏やかではない音が空間に響くと同時に、見知った霊圧が宮に満ち溢れた。それは怒涛のような怒りを含んでいて、一気に不穏なそれが宮を包み込んだ。
「グリムジョー?」
夜が更けようとしたとき、十刃のひとりであるグリムジョーは従属官たちを連れて現世へと向かった。着いてくるか?というグリムジョーの誘いを面倒だからと凪は断り、彼の宮で帰りを待っていたのだが。帰宅を知らせる声はなく、代わりに突然現れた彼は肩で息をして、その霊圧がいつも以上に荒れ狂っているのが手に取るようにわかった。
明りの無いに等しい部屋の中、一瞬窓から差し込んだ薄い月の光がグリムジョーの姿を照らす。同時に、凪はその異変に気づいた。
ソファに身体を沈めていた凪は、ゆっくりと彼の方に向き直る。角度を違えたことで先ほどよりももっとはっきりと確認出来た、彼の姿。
険しい表情と、額には脂汗を浮かべている。
片方の手でもう片方の腕があった其処を押さえていて。ポツポツと床に垂れ落ちているのは彼の血であることが理解できた。思わず眉を顰めた。
「現世でやられたの?」
立ち上がりグリムジョーの元へと歩み寄りながら、凪は霊圧を探る。グリムジョーが連れて行った破面の霊圧を感じることが出来ない。おそらく現世で返り討ちにあったのだろう。No.11以下とはいえグリムジョーの従属官…それを五体も返り討ちにするなんて、尸魂界から少なくとも隊長格が数名派遣されていると考えるのが妥当だろう。グリムジョーから感じる霊圧は自分が見知ったものではない。差し詰めあのかつての旅禍の少年とでも殺り合ったのか。ただ、この腕は少なくとも現世で負ったものではないだろう。思案しながら距離を詰めてくる凪を横目に、グリムジョーはひとつ舌打ちした。
「俺に寄るな」
「うるさいわね。あんたに指図される理由はないわよ」
「うぜぇんだよ!死神風情が!」
吠えるように叫んだグリムジョーは、ピタリ、と彼女の動きが止まったのを気配で察した。切り落とされた腕が痛む。ズキズキとグリムジョーの中で鈍痛と他の何かが疼き続ける、それと同時に募り続ける苛立ち。
一瞬時が止まった後、また凪が距離を詰める。グリムジョーは傷が痛むのを無視して更に声を荒げた。
「寄るなっつってんだろ!?殺すぞ!?」
残った右腕でグリムジョーは凪の胸ぐらを掴み上げた。身長差のあるふたり。 凪の身体が高く浮いた。彼女はゆったりとした寝巻き用の着物を纏っていたが、掴まれた衝撃でそれは簡単に乱れた。肩から胸にかけて傷ひとつない白い肌が露になるが、凪は表情ひとつ変えることなく、掴まれた腕を一瞥する。もともと眠るつもりだったので、日中巻いてるさらしは外していた。片方の襟だけ掴まれた形となり、重力で右側の襟元から下はすっかりはだけて肌を隠す役割をなくしてしまっていた。肩だけでなく胸から臍までも露になり、かろうじて袖が通っていることと帯のおかげで着物が脱げ落ちてしまうのを回避している状態。そのようなあられもない姿を晒されていること自体が彼女の矜持を刺激してしまいそうなものだが、凪はグリムジョーの腕を捻り返すわけでもなく、着物を整えるわけでもなく、ただグリムジョーにされるがままに見下ろしていた。ただ静かに。静まったままの霊圧が逆に不気味に思える。睨めつけるように首を傾げ、凪は口を開いた。
「黙りなさい、破面風情が」
普段から落ち着いた凪の声音だが、それはいつもよりも断然低く、感情をのせていない淡々としたものだった。しかしそれに反し、言葉を発すると同時に静かに爆発した凪の霊圧。十刃のグリムジョーですら一瞬呑まれるような、それ。
動きを止めたグリムジョーの腕を解き、凪は音もなく着地する。そして何事もなかったかのように着物を整えながら、彼の身に起こっているそれを見留めてひとつ息を吐いた。
バッサリと肩口から切り落とされた左腕。切り口からして相当な実力を持つものの仕業だとわかる。ましてや低俗な輩がグリムジョーにこんな傷を負わせることなど出来るはずがない。
「…ギン、はそんなことしないわね。東仙隊長かしら?」
「…」
「そう」
沈黙を肯定と理解し凪は頷いて、もうひとつ溜息をついた。少し見上げれば自分の目を見ようとしないグリムジョーがそこにいる。先程掴み上げられすごまれた時ですら、彼は凪の目を見ていなかった。宮に戻ってきてからも彼は一度も凪を視界に入れようとしない。ならばなぜ彼女がいるここに戻ってきたのかと問いたいところなのだが。しかしいつもと同じように眉間に皺を寄せたままでいる彼は傷が痛むせいか、それともこの状況が不満なのか顔を顰めたまま、チッと思いきり舌打ちをしてみせた。
凪はグリムジョーの残された方の腕を取り、そのまま先ほどまで自分が座っていたソファへと連れて行く。一瞬足を踏み出すことを躊躇したグリムジョーだったが、凪の鋭い視線を受けて今度は素直に従った。ソファへと自分が座るとともに彼も一緒に座らせる。
「良かったわね、腕で」
「あ?」
「首撥ねられてもおかしくなかったわよ、あんた」
どこから取り出したのか、凪はグリムジョーの傷口にありったけの薬をぶっかけた。それはもう豪快に。思わず顔を顰めたグリムジョーに我慢して・と小さく呟いた。次いで包帯で傷口を綺麗に巻き、一通りの手当を終える。
「破面に薬が効くかわからないけど、まぁ気休めね。私に治癒能力があればよかったんだけど。残念ながらそんなもの持ち合わせてなくてね」
傷口の包帯に血が滲む。それが見えなくなるくらいに何重にも繰り返し巻き続けた。薬と同じでこれも気休めに過ぎないが。
「さっき、私のこと殺すって言ったわよね?」
不意に零された凪の言葉に、グリムジョーは伏せがちだった顔を気怠げに上げた。ようやく見ることが出来た彼女の姿。しかし今度は凪の方が顔を下に向けている。正確には彼の切断された肩の方に。
「今、私を殺す?」
その問いかけに、グリムジョーは答えることを躊躇した。現世での戦闘に心が昂ったままの状態で虚圏に強制的に帰還させられ、腕を斬り落とされ矜持を抉られた直後で冷静とは言い難く、何かにこの痛みと苛立ちをぶつけたかったのかもしれない。であればひとりその辺にいる雑魚虚を蹂躙すればよかったのだ、それでこの怒りがおさまるのなら。しかし自分が真っ先に向かった…還ったのは彼女が居る場所。無意識なのか意図してなのかは最早わからない。ただ感情のまま、苛立ちに任せて自分が発した言葉は嘗て彼女に浴びせたことはない。軽口でお互い言い合うことはあっても、それほど殺意をのせて発したのはこの関係になってからははじめてのことだ。一度口を噤み、グリムジョーは言った。
「…逆だな」
「逆?」
恐ろしい程自分が冷静になっていることに気づいた。あんなに荒れた後なのに、短時間でこれほどまで落ち着くことが出来たのはやはり彼女の存在のおかげなのか。自分の答えに疑問を飛ばしてくる凪に、グリムジョーは答えた。
「俺は誰か他の奴に殺されるくらいなら、てめぇに殺されてぇよ」
本来なら命の奪い合いをする相手。何処で運命の歯車が狂ったのか、共犯関係であれど身体を重ねるのは敵であるはずの死神の女。敵といっても、彼女が同胞を裏切りこちら側についた時点でもうそんなことは関係ないのかもしれないが。だがそれを言うなら彼女にとっても同じだろう。まさか虚の、破面の関係を持つことになるとは思ってもみなかったという気持ちはおそらく自分以上のもののはず。
「でもな、凪」
言いながら左腕を伸ばそうとしたが不思議とそれは目的の場所に届かない。視線を転じれば、そこにあるはずの腕がないことに気づく。そういえば先ほど斬り落とされたんだったな・と、グリムジョーはまだ存在している右腕を動かして凪が腰に下げている斬魄刀を鞘から抜いた。
月明かりを受けてその長い刀身が鈍く光る。
「それは逆でもいいんだぜ?」
凪が他の奴に殺されるくらいなら、自分が凪を殺す。
凪の斬魄刀が彼女自身の首に触れる。後少し動かせば、凪の細い首を切り裂いてしまうような位置。凪にはひんやりとその存在がしっかりと伝わっているのではないだろうか。しかし彼女は顔色ひとつ変えずに、じっとグリムジョーを見つめていた。
「本当に、斬られたのが腕で良かったわね」
斬魄刀を突きつけられているというのに、凪は先ほどと全く声音も口調も変えずに言った。しかしその眼は、先ほどと違う。どこか据わっていて、けれど挑発するような眼。
「あんたが私以外に殺されるなんて、ありえないじゃない?」
淡々と紡がれた女の言葉に、グリムジョーは声を上げて笑った。暗闇の中響く音は彼のそれだけ。
「ほんといい度胸してんな」
片方の口角を上げてニヤリと笑い、斬魄刀をソファに突き立てる。そして今度は自分の意思で乱暴に彼女の着物に手をかけその肌を露わにさせた。凪の静止も聞かず、首筋と肩と胸元に強く噛み付いて、次いでその鬱血した歯形を舌を使って撫であげた。包帯から染み出た血が、彼女の胸に擦過傷のような赤い跡をつける。噛まれた痛みか、舌の感触のせいか、眉を不快そうに顰めた凪だったが、本気で拒みはしてこない。
片腕で抱く練習もしなければ。そんなことを思いながら、グリムジョーは右手で彼女の着物を全て剥ぎ取ってソファへ乱暴に彼女を押し倒す。馬乗りになるような姿勢で、今度は自分が彼女を見下ろした。いつの間にか腕の痛みは消えていた。薬が効いたのか痛みが麻痺してしまったのか知らないが。グリムジョーは彼女にのしかかるようにその唇を貪った。口内を激しく荒らす。血の味がするのはきっと自分のものだろう。戦闘で口の中を切ったか。血の味を感じ不愉快そうに目を顰めた凪は、口内に侵入してきたグリムジョーの舌を軽く噛んだ。反射的に離れた彼を見て、元気で何より、そう言って呆れたように笑った。眼はもう据わってもいなかったし挑発もしていなかった。グリムジョーは口内に広がった血を吐き出し、鼻で笑い返し、また凪の唇を貪った。
凪の首元すぐ傍には、先程グリムジョーによって突き立てられたままの斬魄刀がある。ふたりが動くたびにどちらかの身体に小さな刀傷が増えていった。
しかしそれに気を留めることなく、ふたりはなだれ込むように身体を重ね合い続ける。何度も欲望をぶつけ合う度に滑り落ちるそれが汗なのか血なのか、それがどちらのものなのかわからなくなるまで混じり合って。互いがまだ生きていることを確かめ合うように、それは続いた。
(20061030)
→20211019…加筆修正
→20221205...微修正
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