犬歯に傷つけられるまでは
正体不明の、よくわからない霊圧が虚圏に出現した。
凪は顔を上げて窓の外に視線を送る。肉眼では捉えられなかったが、ずっと遠くで多くの霊圧が爆発、交戦している気配を感じた。
先日ルドボーンが滅却師の残党たちの討伐依頼をしてきた。その依頼をめんどくせぇの一言で一蹴したグリムジョーだったが、今日は「派手な霊圧がする」と嬉々として飛んでいってしまったのは今から数刻前のこと。あんなにルドボーンが助力を請うていたのを無視したくせに、相変わらず自分の興味がそそられることに関しては都合良く動く男だ。戦闘狂も相変わらず。ただ最近は少し大人しくしていたので(縄張りに入ってきた大虚を捕食しにいくくらいだったか)、彼の好戦的な部分が刺激されたことに凪自身も他人事ながら、よかったわね・くらいには思っていた。グリムジョーと共に感知した霊圧は滅却師のものだった。しかし、今出現したこれは、滅却師とは別の何か。というか、混じっている…?
現場に行くべきか迷って、凪は敢えて部屋を出ずにソファに座って頬杖をついた。グリムジョーの霊圧の他に、その場にはルドボーンが。さらにはハリベルとネリエルもいる。そして、昔本気で虐めた女破面の気配も。あのツインテールの生意気な顔をした破面と顔を合わすのも癪なので、わざわざこちらから顔を出す必要はないな、と結論づけた。虚圏でも錚々たる強さをもった破面たちがいるのだ。自分が行くまでもない。そう思って宮から出るのはやめて、霊圧がぶつかりあう気配だけで状況を読むことにした。そのうち戦闘欲を満たしたグリムジョーが嬉々と昂りながら帰ってくるだろう。そんなことを思った。
しかし、あの混じった霊圧が突如として虚圏から消えたあと。やああって戻ってきたグリムジョーの姿を見て凪は絶句した。
ぼたぼたと左腕から大量の血を垂れ流しながら戻ってきたグリムジョーは、嬉々とするどころか大層機嫌が悪かった。虫の居所が悪いというレベルではない。何かを考えるように眉間に大きく皺を寄せ、自分を呆然と見てきた凪から罰が悪そうに目を逸らした。
「んだよ、こんなもんかすり傷だ」
かすり傷というにはいささか大きすぎる傷が、彼の左腕の手首から肩にかけてざっくりできていた。あまりにも深手で、神経や血管もダメージを負っているのではないか。本人は平気そうにしているが、どうせ痩せ我慢だろう。
「ちょっとこっちきて。なんなのその傷。誰にやられたの」
「変な餓鬼にやられた」
餓鬼?と凪は復唱しながら、一向に入り口から動こうとしないグリムジョーに近づく。滅却師の残党ごときにグリムジョーがこんな深手を負わされるとは考えられない。ハリベルやネリエルもいたのだ。帰刃した気配もある。帰刃してこの傷を負わされた?彼が?そんなことできる餓鬼…子どもって何者よ、と口にさえ出さないが、凪は黙って思考を巡らせる。そういえば、治癒師であるロカの気配も先程感じた。グリムジョー以外にも怪我人がいて、彼女の治癒を必要として呼ばれたのだろう。そこで治療を受けてくればいいものの。
「変な餓鬼って…ハリベルやネリエルたちも戦ってたんでしょう?霊圧でわかった。滅却師の残党?」
「いや、死神の餓鬼だ。だが、鋼皮も使えるし、最後は斬魄刀が黒腔開けて逃げやがった」
何それ、と凪はより混乱するのを感じつつ、こっちきて、とグリムジョーの無事だった右腕を引っ張ってソファに座らせる。そして先の滅却師との大戦で取得した回道を発動してグリムジョーの左腕に当てた。織姫のそれやロカほどではないが、ずずっと傷はゆっくり塞がっていく。元々回道を取得したのは最近だし得意ではないので時間はかかるだろうが、自然治癒より断然マシだろう。そう思ってグリムジョーの許可を取らずに治癒を進めていたら、グリムジョーは大きく舌打ちし、「いらねぇよ」とその手を振り払おうとする。が、「そのままだとあんたの血で部屋の中汚れるのよ!」と凪は冷たく言い放った。誰が掃除すると思ってるの、と続ければ、グリムジョーは剣呑と目を細め、また舌打ち。しかし今度は大人しく治癒を受ける気になったようだ。されるがまま、傷が癒えていくのをじっと見ている。
凪は回道を発動させたまま、それで?とグリムジョーを見上げた。
「これからどうするの?やられっぱなしのあんたじゃないだろうし」
「は!当然だろ。あの餓鬼、変に混じってやがったからな。霊圧追いかけてでも殺してやる」
虚圏から去ったとしても、一度敵と認識すれば徹底的に倒し切るまで執着するのがグリムジョーの性だが、今回は少し違う気がした。いつもなら好奇から楽しそうなものを滲ませるのだが、今回その根底にあるのは別の感情。それに気付いているのは本人と、凪くらいか。凪は傷が完全に塞がったことを確認して回道の発動を止める。そして、「何したのその餓鬼」と問うた。グリムジョーは凪をチラリと見て、忌々しいように口を開いた。
「あの野郎、自分が虚圏の王になるとか抜かしやがった」
そう言って、グリムジョーは鼻で笑う。しかし次の瞬間、完全に笑みを消して治ったばかりの左腕を壁に向かって掲げ、その掌から虚閃を繰り出した。轟音と共に宮の壁が崩壊する。止めることなくその様子を見ていた凪は思う。ああ、キレてる、と。
「王は俺だ」
唸るように低く言ったグリムジョーは立ち上がる。凪は崩壊した壁を見やって大きく嘆息した。これは何を言っても彼は自分の好きなように動くし、こうなったら流石にこちらの言うことも全く聞かないだろう。対話することすら時間の無駄。長い付き合いからそれはよくわかっていた。凪は立ち上がり様に舞ってきた岩石の粉を払って、もう一度息を大きく吐いた。
「わかった、好きにして。私はハリベルやネル達とも話してどう動くか決めるから」
今回は別行動で・とグリムジョーに告げれば、はじめからそのつもりだと言わんばかりの不遜な表情で彼は入り口に向かって歩き出す。
「いってらっしゃい、適当なところで会えたら会いましょ」
グリムジョーの背中にそう声を投げるが、彼は無視して宮を出ていった。普段なら声は返ってこなくても手を上げるなど何かしらのアクションがあるのに。これは相当怒ってるな、とこの短時間の間に何度目かわからないため息を吐いた。グリムジョーは力にこだわる。そして王であることを望む。その彼に対して、突如現れた死神の子どもが虚圏の王になると宣言したのか。それはキレるわ。
凪は自室に移動し、部屋の奥に置いてある通信端末を手にした。普段は電源を落としっぱなしのそれを操作し、一番上に登録してある番号にコールする。数度のコールでそれは繋がった。
「浦原さん?ちょっと気になることがあるんだけど」
確実な情報を収集するにはこの男に聞くのが一番だ。代わりにこちらの状況も伝えることを忘れない。まだ暫定情報だが、浦原が掴んでいたわずかな情報を聞き、凪は目を細める。
どうやらまた闘いになりそうだ。滅却師との大戦直後だというのに。
会話を終えて端末の電源を落としながら自室から出て、先ほどまでグリムジョーといた部屋へと戻る。あの男が壊していった壁からは、もう虚圏の風に煽られて室内に砂が溜まりつつあった。
まずはあれをどうにかしなければ。いっそ今から起こる何がが終わったら引越しでもするか。そんな呑気なことを思いながら、凪は吹き飛ばされた壁の近くに飾っていた石花の欠片を拾う。…思った以上に面倒なことになりそうだ。天を仰いで、とりあえず浦原商店にいくか、と黒腔を開けてもらうべくハリベルたちの元に向かうことにした。
END
(20230729)
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