ぬくもりが届けばいい
肌に何かが触れるのは苦手だった。
それはたとえ絹で誂えた着物であっても、綿で編まれたシーツだとしても、何かが身体に触れているという感触が何か嫌なものを連想させて嫌悪感が走るのだ。ただ常に裸でいるわけにはいかないので毎日ちゃんと着る物は着るし、寒さから逃れるために眠るときはシーツを纏う。
それくらいはもう生きる上で致し方なし、と無理矢理慣れの境地に達していたが、他人の体温を直接感じること…肌に触れられることは吐き気をもよおす程ストレスだった。身体を撫でられると鳥肌が立つし、乱暴に掴まれるのも痛くて嫌だ。無理矢理体内になにかが捩じ込まれるのはあまりにも耐え難い事象なのに、本能なのか身体は快楽を求めそれを受け入れる。また、それを求めてしまう自分もいる。そんな矛盾した自分の本能と欲求を呪うこともしばしばだった。
それなのに、今のこの状況はどうしたものか。
大人二人が寝転んでも悠々と寝返りがうてる広い寝台。あと数人川の字に並べるくらい幅のあるそこで、わざわざ隅に寄って眠るのは癖みたいなものだった。昔から、横を向き壁を見ながら眠ると落ち着くのだ。それは虚圏に来てからも変わらない。ただ変わったことは、自分の身体をすっぽりと覆うように何かに抱かれていること。眼前が壁なのは変わらないが、背中にぴたりと彼の上半身がくっついていて、その長くて大きな腕は凪をしっかりと抱え込んでいる。
不思議なもので、こんなに触れられて身体の自由を奪われているのに、自分は先程まで熟睡し、今もこれが普通と感じている。
(眠るときくらい、眉間の皺とればいいのに)
首を動かし、少し上にあるその精悍な顔を眺めながら凪は思う。グリムジョーは確かに眠っているのに不機嫌そうな顔をしている。これが平時の彼の表情であることは百も承知だが、こうやって自分を抱え込んで眠るようになったのは、虚圏が藍染惣右介の統治から解放されてからだ。
あの戦いの最中、凪は藍染に魂魄のほとんどを奪われ瀕死の状態に陥った。井上織姫の事象の拒絶により一命は取り留めたが、以前のように藍染に匹敵するやもと恐れられていた力は失ってしまった。あれだけ魂魄が削られたのだ。魂魄が削られてから時間が経過していたため、事象の拒絶でも完全に元通り、とまではいかなかった。また、厄介なことに鎖結と魄睡も損傷しており、霊力の発生がこれまでの比にならないほど弱まった。
あれだけ力を求め、弱さを憎み、鍛錬を重ねてきたのに。一瞬でその力は奪われ敗北した。自分はなんて脆い存在なのか。霊子濃度が高い虚圏でなければとっくに力尽きていたかもしれない。
「…なんだよ、起きたのか」
凪の視線に勘づいたのか、グリムジョーはゆっくり瞼を上げて、切長の目を彼女に落とした。彼女を抱え込んでいる体勢は変わらない。凪は彼の顔がよく見えるよう首の角度を変えた。
「あんた、そんなに私に抱きついてたら眠りづらくない?」
「あ?別に…。…眠れねぇって文句か?」
「違うよ、…よく眠れた」
そうかよ、とグリムジョーは凪の足先を自分の脛で触れる。まるでそれは彼女がちゃんと存在していることを確認するかのように。腕にも力が入るのを感じて、凪はグリムジョーの腕に手を添えた。クスリと小さく笑う。
「大丈夫。今日は消えないよ」
魂魄が脆くなったせいで、霊力が弱まったことで、何かに敵意をもって襲われでもしたら凪がそれに耐えられる保証はどこにもない。ましてやここは虚の住処である虚圏。藍染たちが去った今、この空間に存在している死神は凪だけだ。藍染を快く思っていなかったものや、強さを求め死神を捕食しようとするものも少なからず存在している。藍染が統治していた頃には皆返り討ちに遭うことや、藍染たちからの報復を恐れ凪に手を出すことはなかったが、今は違う。
弱った死神を放っておくほど、ここは甘い世界ではない。
凪にとって霊子濃度が高く呼吸が楽な虚圏は、それを代償に、今ではいつ命を奪われるかわからない危険な場所になってしまったのだ。
それでも彼女は虚圏から離れない。そして今もまだ生きながらえているのは、間違いなく今自分を抱き込んでいる男の存在があったからだ。
「今日は、てなんだよ。勝手に消えんな」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せたグリムジョーに、ごめんごめんと凪は笑って謝った。今日は苦しくないから大丈夫・と言葉を添えて。
わかっている。
グリムジョーが敵対する大虚や破面と戦い捕食し続けていること。それは黒崎一護との再戦を待ち望みそのために力をつけている、それだけが理由ではない。
凪にとって害悪となるものを、自分の縄張りに寄せ付けないための牽制。
いつからだろうか、どこにいくにも凪を連れて回るようになったのは(これまでは猫のようにひとりでふらっといなくなっていたのに)。
いつからだろうか、凪から片時も離れないようになったのは(怖い顔をしながら後ろにぴったりついてくるの)。
いつからだろうか、一日に何度も凪の腕を掴み彼女の体温を確かめるようなったのは(体温が下がっていると不機嫌になるの)。
いつからだろうか、眠るときに凪を抱き込むようになったのは(触れていないと不安とでもいうように)。
「黙って消えないから。いなくなったりしない。約束するから」
凪はぐるっと身体の向きを入れ替え、グリムジョーの胸に顔を埋めた。大きく深呼吸をして、霊子を肺いっぱいに吸い込んだ。
あんなに何かに触れるのが、触れられるのが嫌いだったのに。今は自分から縋ってしまう。それに応えるように、グリムジョーは凪の小さな頭に腕を回し抱え込んだ。
「勝手に消えたら殺すからな」
「絶対勝手に消えないし、あんた以外に殺されないから安心して」
決してもう貴方を殺してあげるとは言えない。その力を私はもう有していない。
だから今は、…彼の気が変わるまでは。彼に殺してもらう日が来るまでは。
その肌に触れ、この身を預け続けよう。あんなに嫌いだった肌に伝う熱の感触が、彼のものだけはいつの間にかこんなにも心地よいものに変わっていた。
END
(20220118)
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