彼にとっての幸福論
高専卒業を間近に控えたある夜。炬燵に入って缶ビールを豪快に煽った親友が至極真面目な顔をして問うてきた。
「楓にプロポーズしたら、引かれると思うか?」
あまりにも突拍子もないその疑問系の言葉とアルコールのせいで半分目が据わった七海に、僕は思わず飲んでいたコーラを噴き出すかと思った。噴き出すのはなんとか堪えたが、油断して開いた喉にシュワシュワとした炭酸が一気に流れ込んできて、思わずゲホゲホと咽せてしまった。顔を背けて咳き込み続けていれば、七海が黙ってそばにあったティッシュ箱を差し出してくれた。ありがとう、と受け取りながらも、あまりの唐突さ加減にどこから突っ込もうかと思案していれば、真剣にこちらに助言を求めたがっている七海と目が合った。
まだ春は遠い寒さの残る季節だが、四年間通った高専卒業まで残り一ヶ月を切っていた。卒業後は同期三人とも高専所属の呪術師として働く予定である。今日はもうひとりの同期、紅一点の楓が泊まりがけの任務で不在だ。後輩たちも出払っていて、珍しく寮に残っているのは僕と七海だけだった。そんなタイミングで七海が「鍋でもしませんか」と提案してきたときは珍しいこともあるもんだなと思ったし、なんなら先輩たちも呼ぶ?と去年卒業した夏油さんたちも呼ぼうとしたら、それは即座に却下された。「灰原の部屋で、ふたりだけで」と頑なに譲らなかった七海に、何かあったのかなぁなんて思っていたけれど。
七海の部屋にも楓の部屋にも炬燵はない。だから必然的にこの季節集まるのは僕の部屋が多かったのだけど、今日も当たり前のように七海は鍋の材料を持って僕の部屋にやってきた。ここまではまあ想定内。けど、まさか君が自分用に大量のアルコールを持ち込んで(僕用には律儀に2リットルサイズのコーラ2本も用意してくれてたけどね!)、他愛のない話をした後、しめの雑炊でも作る?と立ちあがろうとした瞬間、急にそんなことを言い出すとは思ってみなかったよ!
呼吸を整えながら、七海酔ってるのかなと様子を伺うが、決して崩れていないその真剣な表情に、ああ、これは本気の真面目な相談なんだなって察した。そもそも滅多なことで冗談など言わないこの真面目堅物な同期が大量のアルコールを持ち込んで、初っ端から水のようにアルコールを飲み干している姿を見ていれば、絶対何かある、アルコールの力を借りてまで自分に言いたい、相談したいことがあるのだろう、まぁそうなればどうせ楓のことだろうと思っていたけれど。まさかこんな突拍子もない内容とは。
ひと通り呼吸が落ち着いて、えっと、七海?と彼を呼べば、ん?と首を傾げてきた。異国の血が混じった親友の綺麗な瞳は一切の曇りすらない。
「ごめん、ちょっと整理させてね。プロポーズって、付き合ってくださいっていう告白じゃなくて、結婚してくださいで合ってる?」
「合ってる」
「そっかぁ!!」
彼と自分の“プロポーズ”の定義は一致していたらしい。さてはて、どうしたものか。
七海は空いた缶ビールを律儀にゴミ袋に放り込みながら、次はハイボール缶のプルタブをあけて一気にそれを飲み干した。一応言っておくけれど、僕らはまだ未成年。だから僕はコーラを飲んでいるし(お酒弱いしね)、七海もお酒を常飲するタイプではないけれど、先輩に鍛えられたお陰かほぼザルだ。ザルだけど、そのペース(ゴミ袋の空き缶、まあまあな本数入ってるよね?!)でちゃんぽんしたら流石の七海でもやばいんじゃないかな…。でもきっとこれは飲まなきゃ相談なんてできないってやつだね!わかったよ七海!僕も付き合うよ!コーラだけど!
「僕ずっと楓に告白すれば?て言ってたのに、七海頑なに拒否ってたじゃん。なんで今付き合うを通り越していきなり結婚なの?」
七海の最初の質問、楓にプロポーズをしたら引かれると思うか・には敢えて答えず、まずは七海の考えを聞いてみることにする。七海は今日4本目のハイボールの缶を開けながら(総合量としてはビールも数本飲み干してるし途中酎ハイも飲んでたよね七海…)、「これからもっと忙しくなるのに、一から恋愛する暇なんてあるか」と答えた。うーん、だから散々早く告白しろって先輩たちとも言ってたんだけどね!後やっぱりちょっと酔ってるね、口が悪くなってるよ。
そうだねぇ…と額を抑えながら相槌を打てば、七海はポツリと「この四年で楓のことは誰よりも理解してるつもりだ」と呟いた。ふむ、と僕は七海に続きを促す。
「あの危なっかしい性格も、倒れるまで無茶をするところも、放っておけば自分を犠牲にして死に急ぎかねないところも、この四年で散々見せつけられてきて、そのたび私は楓の防波堤になってきた」
うん、そうだね、と再び相槌を打つ。楓は優しい。優しいからこそ真っ先に自分が前線に出ようとするし(術式は決して戦闘向きじゃないのに)、見ず知らずの一般人を助けるために命を犠牲にしかねない向こう見ずな一面もある。その度に自分と七海がカバーをして、七海が説教、僕が宥めるを繰り返してきた。七海が楓のことを大切に、同期という関係を超えて彼女を好ましく思っていることはずっと前から気づいていたし、それを問いただせば「好きですよ」とこちらが驚くほど素直に認めるくらいには楓のことを好きでいた。僕から見れば楓も七海のことを好ましく思っているのは間違いない。それに、命を賭けた日々の中で自分たちを良く見せようと取り繕う余裕なんてどこにもなくて。つまりはここまで素を見せ合えるという意味では自分たち以外の者は存在していないことを確信している。
それでも頑なに関係を進展させようとしなかった七海をけしかけるために、ある時ひとつ上の先輩たちが七海に酒を飲ませて楓にさっさと告白しろよと悪がらみをした。それに対して、七海は酒を煽りながら毅然と言い返したのだ。
『今関係を変えたら、変に意識して余計無茶するでしょう、あの馬鹿は』
確かに・とその場にいた全員が納得した。あの馬鹿と形容された楓は、七海と関係が同期から恋人に変われば絶対意識する。意識するといってもそれは良い格好をしようとか、気もそぞろになって任務に集中できなくなるとか、そういうことではない。七海に必要以上に心配をかけないよう、より色々なことを隠すだろう。任務で呪霊に腕を引きちぎられたのに、反転術式で突貫で治してなんでもないように帰ってくるような子だ(結局完全に治し切れてなくて痛くて泣いているところを七海に見つかり、七海は見たことないくらいブチギレていたけど)。七海の恋人という立場になったら最後、ただの同期に心配をかけたくないという感情以上に無茶をして自分のことを隠す可能性がある。それは、楓を死に急がせることに他ならない。
『私は楓を死なせたくない。だから今はこれでいいんです』
日本酒を煽って言い切った七海は酔いが回りきってそのまま机に卒倒したが、その場に残された我々は思わず全員拍手をしていた。それくらい七海は楓のことを大切に思っていたし、彼女のことをよく理解していた。
「卒業して本格的に呪術師の任務に就くことが増えると、なかなか私たちも今までのように三人で、というわけにもいかなくなる」
「そうだね、七海は近々一級に上がるだろうから単独任務も増えるだろうし」
在学中にすでに準一級になっていた七海は、卒業と同時に一級に上がると噂がある。噂も何も、特級の先輩たちが直々に推薦しようとしているのだから昇級は間違い無いだろう。
「私は楓を死なせたくない」
ハイボールの缶をそっと置いた七海は、静かにそう言った。
「楓が怪我をしたとか、…死んだとか、そういうことを他人から聞きたくない」
うん、と相槌を打って、その少し陰った七海の瞳をじっと見つめる。ああ、彼は思っていた以上に楓のことを大切に思っているし、好きという表現では甘っちょろいくらい彼女に対する愛が深いのだと感じた。七海が、楓と彼女の名前を呼ぶ時の声音の優しさといったら。ここに彼女がいないのに、そんなのずるいとしか言いようがない。
「毎日彼女の顔を見て、ちゃんと楓が生きているということを確かめたい」
卒業後はこれまで以上に多忙で命懸けの任務にあたることが増える。それは間違いない。その中で彼女を失わないためにどうすればいいか、七海はたくさん考えたのだろう。想いを伝えるのは簡単だ。関係だっておそらくすぐに恋人同士になれるはず。それでも結婚という最短距離を選ぶ理由はきっと。
「七海は、楓の命の重石になりたいんだね」
こういう時一緒に飲んでいるのがお酒なら格好がついたのかもしれないけれど。コーラを一口飲んで親友にそう問えば、彼は小さく頷いた。結婚することで、法で彼女を縛ることで、絆をより強固なものにすることで、楓の命の重石として自分を存在させておく。そうすれば楓は七海のために死ねないと思うし、七海も楓のために死ねないと思う。お互いにとっての命の重石になるための道を七海は選択しようとしているのだ。
「確かにね。今から恋人同士になって一から関係を築くには、僕たちってすでに家族以上に自分を曝け出しているしひととなりなんて親よりも知ってるだろうし。…今更だよね」
時間の無駄、という言葉がぴったりくる。本当に手っ取り早く彼女を縛りたいんだな、て思った(束縛とかではなく、お互い生き延びるための縛りだ)。
ふたりを四年間一番傍でみてきた自分にはわかる。七海の気持ちも、楓がなんて答えるかも。そんなの手に取るように簡単だ。
「最初の質問の答えね。多分楓は引く。引くというかびっくりするんじゃないかな。でも大丈夫だよ、楓が七海を拒絶するわけがない」
あの七海が突拍子もなく色々すっ飛ばしてプロポーズするなんて誰も思いつきもしないだろうから、そりゃ最初引くしびっくりすると思う。誰よりも順序を守りそうな男だからね。けれど、それも含めて楓は笑って彼のプロポーズを受け入れる。お互いを死なせたくないから、お互いの命の重石になることを選ぶだろう。
「ちゃんと結果報告してね」
七海の手のハイボール缶と、コーラの入ったコップをぶつけて一方的に乾杯した。前祝いってやつだ。七海は少し虚を突かれたような顔をしたけど、すぐに柔らかく笑って頷いた。
数日後、七海から婚姻届の証人になってほしいと言われて思わずその場で号泣したことは、その後一生先輩たちにネタにされ続けるのであった。
END
(20230721)
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