この感情の名をまだ知らない


それは九月中旬のこと。急遽自分も含めた一年生の三人に対して等級は低いが呪いに一般人が数名拐われたという案件が割り当てられた。繁忙期を抜けて、ちょうど二年生以上は京都校との姉妹校交流会を実施している時だったため、交流会に参加しない一年生の自分たちにお鉢が回ってきたのだろうが、交流会より任務を優先させるべきでは?と愚痴っていたら、五条さんたちに『交流会なんて一瞬で終わらせるから、やばかったら加勢に行くね〜傑が』とこれまたふざけたことを言われた。目の前にいた京都校の面々は顔を引き攣らせていたが、今年は特級に上がるのも時間の問題だと噂されている五条悟と夏油傑擁する東京校の勝ちはほぼ確定している。加勢は必要ないです・と断って、頑張ってくださいね!と二年生たちにエールを送る灰原と楓を引っ張って補助監督の待つ車に乗り込んだのはほんの一時間前のことだった。

「現場はどこにでもあるオフィス街なんですね」

補助監督に渡された資料を読んでコメントすれば、両サイドから灰原と楓がそれを覗き込んでくる。割と大手じゃない?と灰原。楓は、ここの商品使ったことある〜と携帯を操作して、写真を見せてきた。なんてことないドライヤーに見えるが、美容家電として最近人気なのだそうだ。

「社員が数名拐われて、普段使っていない部屋に閉じ込められているようなんです。一般人は中に入れません。拐われた人数、その生死は不明です」

補助監督が運転しながら情報を補足してくれる。窓や補助監督では現場に入って状況確認ができないため情報不足感は否めなかったが仕方ない。等級は高くないが、人間を盾にしてくる狡猾さを持ちあわせた呪霊といったところか。拐われた人々の安否確認と救出が最優先事項で、全員死んでいたら即祓除といったところか。とはいえ現場の状況を正しく確認しないことにはこちらも要らぬリスクを負ってしまう。資料を灰原に渡して現場の見取り図を示しながらいくつか会話して認識合わせ。どうする?と目で問うてくる楓にもわかるように、現着後の動きについて説明した。

「まずは私と灰原で突入して状況確認。状況が分かり次第連絡するので、楓は一旦待機で」
「え、なんで?一緒に行くよ。怪我人がいたら早く運び出した方がいいし」
「情報が少なすぎるんですよ。一般人が全員死んでいたら私と灰原で祓うだけだ」
「いやいや私も戦えるし」

そういって制服の袖を腕まくりして意気込む楓に、大袈裟にため息をついてみせた。楓は他者に反転術式を施せる呪力操作が可能。さらに瞬間移動の術式を持っている。かなり高度で貴重な能力を持っているが、前線で役に立つかと言われればそれは大変微妙なのだ。呪具や物理的に殴る蹴るで攻撃することは可能だが、このメンツが揃っていて楓を前線に出すリスクを冒すのは先決ではない。隣の灰原に目配せし、こちらに加勢してもらおうと思ったのだが、その意図は伝わらなかったらしい。

「確かに前線出るのはおすすめしないけど、今回人質がいるわけだから、一緒に楓もきてもらってすぐ対処した方がいいんじゃないかな?もちろん楓が攻撃されないように僕達がカバーするし、人質全員死んでたらすぐ戦線離脱してもらうってことで!」

灰原ぁあ!!と思わず叫びそうになるのを堪えれば、楓はそうだよねそうだよね!と灰原の意見に嬉しそうに同調していた。灰原をじとりと睨めば、耳元で「過保護すぎるのもどうかと思うよ」と悪びれた様子もなく言われた。過保護…そんなつもりはないのだが。しかしもうすぐ現着という状況でこれ以上作戦立てに時間を要したくない。仕方ないですね、と嘆息して、作戦を再度言い直す。

「全員で突入して、呪霊と拐われた一般人の状況を確認。一般人が生きていたら楓が術式で都度外に運ぶ。その間私と灰原が呪霊を祓う。これでいいですか?」

無問題モウマンタイ!と両サイドからふたりの声が響いた。なんでこのふたりはこんなに元気なのか。楓の小さな肩が自分の腕に触れる。本当に、何事もなければいいのだが。


・・・


突入した部屋の奥には数体の呪霊がいた。等級は高くないがとにかく数が多い。そして部屋の手前…入り口側には怯えて固まっている一般人が数名。楓に視線を送れば、楓は頷き彼らに駆け寄る。外に控えている補助監督の呪力をマークしてきたといっていたので、そこに一緒に飛んで一般人たちを運ぶとのこと。自分を含め全員一気に飛ぶことは今の楓には難しい。まずは呪いに当てられて苦しそうな人から順番に運ぶことにしたらしい。大丈夫ですか?!と背後から楓の声が聞こえてくる。

「七海!すぐ戻ってくるからこの人たち死守で!」
「言われなくとも!」

楓とのやり取りの最中、灰原は部屋の奥にいた呪霊の群れに突っ込んでいった。まあまあな轟音が聞こえてくるので、派手に祓っている様子が伺える。自分は一般人を守りながらこちらを攻撃してくる呪霊を叩き切る。背後で楓が何回か移動しては戻って、を繰り返している気配がしていた。
最後のひとりを運ぼうとした楓に、「あとはこちらでやる。戻ってこなくていい」と呪霊を殴りながら伝えれば、珍しく楓は反論せず頷いた。もうほとんど呪霊を祓いきっているから素直に聞いたのだろうが。最後のひとり、若い女性を抱えて楓が姿を消す。一般人が背後からいなくなったのを確認して、部屋の奥に進んだら灰原がほとんどの呪霊を祓ったあとだった。

「終わったかな?」

返り血を拳で拭いながら尋ねてくる灰原に、そうですね・と答えるのが早いかどうか、丸い灰原の目がさらに大きく見開かれた。思わず反射的に振り返れば、壁の向こうからニヤリと笑う呪霊が出現する。あの呪霊、気配を消せるのか?!そして呪霊が壁を破壊すると同時に、女性の高い悲鳴が聞こえた。壁とロッカーのほんの隙間。呪霊に掴まれて姿を現したのは先程までいなかった若い女性。崩れた壁の瓦礫のせいでその隙間に彼女が閉じ込められていることに気づいていなかった。呪霊に首を掴まれた女性は、怯えきった目でこちらをみている。助けられるか微妙な距離感。一か八か呪霊に向かって走り出したが、呪霊はその細い首に長い爪を突き立てた。ここからでは間に合わない。チッ!と思わず舌打ちをした時だった。

轟音と共に呪霊が突如何かの衝撃を受けて壁に激突する。は?!と灰原と驚愕の声がシンクロしたかと思えば、砂埃の真ん中から現れたのは先ほど去ったばかりの楓だった。「間に合ったー!!!」と大きな声をあげて、捕らえられていた女性を抱えて彼女は呪霊から距離を取った。

「楓?!」
「あとひとり隠れてるって聞いて戻ってきたの!正解だった!」

簡潔に戻ってきた理由を叫ぶ彼女に、同じくらいの声量でナイス楓!と叫ぶ灰原。しかし、次の瞬間楓がバランスを崩したのか、その身体がガクンと沈み、楓の顔が大きく歪んだ。女性を抱えて呪霊に背を向けていた楓の左腕が、肩からぼとりと落ちたのだ。それなりに重量のあるものが落ちる音。ボトっという音と同時に噴き出す血。楓!?と今度は驚愕の色で灰原が彼女の名を叫ぶ。呪霊は楓から女性を奪われる瞬間、代わりに楓を攻撃していた。アドレナリンが出ているせいか最初は異変と痛みに気づいていなかった楓だったが、腕が落とされたことに気づいてからは徐々に痛みが全身を襲ったのだろう。顔を歪めながら膝をついた彼女と、その隣で顔面蒼白になっていた女性はあまりの衝撃から気を失って倒れた。

「灰原!楓を連れて離脱を!」

今彼女が術式を使って飛ぶのは不可能。そう判断して灰原に指示を出し、自分は呪霊に向かって飛びかかる。狡猾そうに笑う呪霊の弱点を思いっきり叩き切れば、呪霊は汚い悲鳴をあげて消失した。他にはもう呪霊も人質もいない。灰原は楓と人質の女性を抱えて外に走っていった。今日何度目かの舌打ちをこぼして灰原の後を追う。

楓は、ああやって自分より他人を優先するきらいがある。見ず知らずの他人を守るために自分の腕一本を犠牲にできてしまうのだ。反転術式で治せるといっても、負った痛みや衝撃は常人と変わらないのに。
ナマクラについた血を払って外に出れば、楓が座り込んで自分自身に反転術式をかけているところだった。荒い息で顔面蒼白。大量の血が一気に失われたからだろう。腕は治っていっているが、明らかに調子は悪そうだ。気を失った女性と先に助け出された一般人は灰原が補助監督に引き渡している。私は楓に駆け寄り、膝をついて彼女と視線を合わせた。

「フォローが間に合わなかった。申し訳ない」
「いや、…七海たちのフォローあてにしちゃダメだよ。これは、私の落ち度」

避けたと思ったんだけどね、と無理して笑う彼女の額には脂汗がびっしりで、前髪が額に張り付いていた。治りますか?と聞けば、これくらいなら全然平気・とのこと。平気といっても痛みは続いているようで、はあはあと肩で浅い息を繰り返し時折眉を顰めている。

楓は死に急ぐタイプだ。能力的にも前線に出ていい人間ではない。家入さんのように高専の中から出ずに、怪我人の治療にだけあたっていればいいのだ。そうすればこんなに痛い思いもしなくて済むし、危険な目に遭うこともない。それでも彼女は術式がある限り戦える、反転術式だって呪霊にぶつければ祓えると前線に出るのをやめない。
彼女へのフォローが間に合わずこんな大怪我を負わせてしまったことに対する負い目と、痛い思いをしている彼女に対して何もできない罪悪感で胸が潰れそうになる。せめてでもその痛みが軽くなれば。座り込んで動けずにいる彼女に「触りますよ」と一声かけて抱き上げる。え?!七海?!と声をあげた彼女に、反転術式続けててください・と短く言って、楓を補助監督の待つ車に運ぶ。

「灰原、任せていいか」

楓を先に車に乗せて、ドアごしに忙しなく動いていた灰原に声を掛ければ、彼はピースサインをこちらに向けてきた。「後やっとくから、楓のことよろしく!」と言って、また彼は現場へと戻っていく。報告書を上げるために現場の状況を最終確認に行ったのだろう。灰原がいて助かった。おかげで自分は楓に着いていられる。

「…本当にもう前線に出るの、やめてくれません?」

無駄な提案だろうなと思いながらも治療を続ける彼女に呟けば、嫌・と短く否定が返ってきた。そうだろうな、楓はそういう人間だ。彼女を死なせないためにはどうすれば一番良いのだろうか。楓を死なせたくない。それが自分にとっての最優先事項であり、解決策を見つけることが急務な案件。そう思いながら、運転してくれている補助監督に「無理を承知で言います、なるべく早く高専へ、でもあまり揺らさないように運転してください」と無茶なオーダーをしたところで、楓が、何それ・としんどそうに笑った。
ああ、こんな風に笑わせないためにも、なんとかしなければ。なんで彼女に対してだけこんな感情になるのかは、この時まだわからなかったのだけれども。その答えがわかるのはもう少し後。


END
(20230725)



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