ベーカリーの魔法
カランカラン、とドアの開閉を知らせる音が鳴って、店の奥から「いらっしゃいませ!」と元気な声が聞こえてきた。お店に入る前から焼きたてパンの良い香りがしていたが、店内は外の比ではない。ただでさえお腹が空いているのに、この美味しそうな香りたちは食欲をより駆り立ててくれる。
さて、どれにしようかな、と私はトレイとトングを手に取った。高専時代、任務帰りに七海とパン屋に寄って極度の空腹と並びに並ぶ美味しそうなパンたちを前に変なテンションになってトングをカチカチしたら「パンを威嚇しないでください」と言われたので(割と大真面目に言われた、あの七海がそんな冗談を!と驚いたものだ)、それ以降無駄にトングを鳴らす行為は控えている。
今日はオフィス街での任務の掛け持ちだ。空き時間に昼食を買いに近くにあったパン屋に入った。パンは七海の好物だから普段から色々食べていることもあり、割と舌が肥えている自負がある。それとともにいろんなパン屋さんを巡ってきた経験から、ここは直感的に美味しいパン屋さんだなと思えた。ラインナップの豊富さと美味しそうなパンの香り。清潔な店内。それに珍しくカスクートを二種類も置いてある。七海がいつも食べているハムとカマンベールチーズのカスクートと、レバーペーストとピクルスのカスクート。後者の組み合わせを私は食べたことがない。ラインナップが素晴らしいなと他のパンも吟味していたところ、焼けたパンを並べていた店員の若い女性が、カレーパン焼き立てですよ!と笑顔で伝えてくれた。焼きたてのカレーパン、それは殺し文句に近い。お昼はカレーパンにして、とその場でカレーパンと、先ほどの二種類のカスクートもトレイに乗せた。レバーペーストのカスクート、七海は食べたことあるかな?流石にひとりでこんなには食べられないので、カスクートは七海へのお土産、晩御飯にしよう。サラダとスープを作って、カスクートは七海と半分こ。完璧だ。あとで七海に晩御飯はカスクートだよ!とメールしておこうかな、と思いながら最後に他にも目ぼしいものがないか店内を見渡せば、先ほどカレーパンを紹介してくれた店員のお姉さんとすれ違った。と、同時にその肩にいた存在と目が合う。
ニヤニヤと彼女の肩に巻きついてこちらを見ているのは低級呪霊の蠅頭。彼女に気取られない程度に目を細めて威嚇するが、こちらが祓うつもりがないとわかってか蠅頭はまた余裕の笑みを浮かべた。彼女は平気そうにニコニコ接客しているが、その肩の蠅頭は首に手を回したり、肩の上でジャンプをしたりと好き放題やっている。まるでこちらを挑発しているかのようだ。彼女も肩がとても重そうで、時たま首を傾げながら肩を触っていた。無意識だろうが、身体の重心も傾いてしまっている。これは結構長い間取り憑かれてるんじゃないのかな。
こういう時、悪いなと思う反面、特に影響がなさそうなものは放っておくに限る。七海曰く「下手に処理してヘンテコ霊媒師と思われても面倒」だからだ。彼の言い分には一理あるし、よくお店などでそれをやると気味悪がられたりして後々行きづらくなるリスクも生まれるため、なかなか簡単に手を出せない。けれど彼女からは結構な疲れが見えて、このまま放っておくことは憚れてしまった。下手に処理しなければ大丈夫かな…と古典的な手だが、目の前の女性をどうしても放っておけなくて、私は意を決した。レジにトレイを持って行き、お会計をしてもらった直後に私は決行する。
「お姉さんごめんなさい、肩にゴミが…」
え?と肩の方を見ようとした彼女より早く手をそちらにやる。彼女に見えないよう、ゴミを取るふりをして蠅頭の頭を握りつぶした。きゅっと鳴き声をあげて蠅頭は消える。祓除完了。
「はい!取れました!」
「え?…あれ?あ、ありがとうございます」
これで少しは肩も楽になっただろうなと、私はパンの入った紙袋を手に立ち去ろうとすれば、あの、と後ろから声がかかった。やばい、変なやつだと思われた?あえて笑みを崩さず振り返れば、彼女は少し戸惑ったような顔をしていた。
「あの、ありがとうございます。肩がずっと重かったんですけど、今すごく楽になって…」
実は前にも同じようなことがあったんです、と彼女は続けた。思わず、え?と身体ごと彼女に向き直れば、何年か前のことなんですけど、と話し始めた。
曰く、当時も同じようにひどい肩こりや頭痛に悩まされていたのだが、ある日常連だったサラリーマンが肩を払ってくれて、それを機にその症状が改善したということ。あら、それは同業者かしら、と思いながらも、そんなことってあるんですねぇと誤魔化し笑いをしていれば、彼女は何か思ったのか、クスリと小さく笑みをこぼした。
「その方もいつもカスクート買ってくれてて。もしお知り合いだったらお礼を伝えていただけませんか?もちろんお客様も。ありがとうございます、すごく楽になりました」
ぺこりと頭を下げて、また来てくださいね!と笑った彼女。その話を聞きながら、そういえばこの付近は七海がサラリーマン時代の勤務地に近かったことを思い出す。まさか…と思いながらも、私はお礼を言い続ける彼女に気にしないでくださいとだけ言ってお店を早々に去った。
・・・
「BAKERY BAKERY BAKERY?ああ、サラリーマン時代によく行っていた店です」
「やっぱりー!!」
夕食用のミネストローネを食卓に並べながら昼間の出来事を七海に問えば、それはあっさり解決した。数年前、店員の彼女に憑いた蠅頭を祓ったのは七海だった。ここのカスクート、サラリーマン時代以来だ・と心なしか懐かしそうに言う七海に思わず「サラリーマン時代に呪い祓ってたなんて初耳。七海らしくないね」と告げた。呪いとも他人とも無縁でいたいから呪術師を辞めた七海が、呪術師時代ならともかくサラリーマン時代にそんなことをしていたとは。意外・と思わず言えば、彼はあれが最初で最後ですよ・と私からサラダを受け取りながら言った。
「というか、あの女性の蠅頭を祓った日に辞表を出して翌日呪術師に戻った」
「え?そんなタイミングの出来事だったの?」
頷く七海にこれまた驚かされた。突然七海が呪術師に復帰したこともかなりの衝撃だったが、その出来事に今日の彼女が絡んでいたとは(七海が呪術師に復帰した時のことはまた別のお話。語り出すと長いんだこれが)。
「当時は荒れてましたからね。出戻るきっかけのひとつになったのがあのパン屋だったかもしれない」
荒れていた、という彼の言葉に苦笑い。あの頃は自分も相当荒れていたのでお互いあまり触れたくない過去ではあるが。
食卓に夕食を並び終え、向かい合って座る。行儀よくふたりでいただきますと手を合わせて、半分こにしたカスクートを口に運んだ。相変わらずうまい、と言う七海と、初めて食べたレバーペーストのカスクートに、美味しい!と思わず声が出た私。七海のお土産や自分でもカスクートを見つければ買って食べているが、これは上位にくるおいしさだ。小さな個人店、ばかにできない。
そして食べながら昼間にあったことの詳細を七海に話せば、彼は色々合点がいったように相槌を打ってくれた。
「私もさ、任務以外では人がいるところで祓除はなるべくしないようにしてるんだけど、彼女はなんかほっとけなかったんだよね」
「私は何回かスルーしてしまったが」
「でもその時七海呪術師辞めてたしそんなもんじゃないの?言ってくれれば私がこそっと祓ってきたけどね」
「あの時の楓に時間外労働はさせられるか」
お互いあまりの忙しさにボロボロに荒れてた頃だ、思い出してイラっとしたのか七海は眉間に皺を寄せた。しかしそれもすぐカスクートを齧った後ほぐれたようで、まぁ時間外労働をさせたくないのは今もですけどね、と大真面目に言う七海が面白くて、私は思わずあははと声を出して笑って、また一口カスクートにかぶりつく。今度はハムとチーズの方。うん、これも美味しい。というかこれだけ美味しければ少し遠くても通ってしまいそうだ。
「また買ってこようか?」
「たまにでいい。昔を思い出す」
少し複雑そうに呟いた七海に、私はまた笑う。お昼に食べたカレーパンも美味しかった。今度また近くに行ったら様子を見に寄ってみよう。彼女、もしかしたら取り憑かれやすい体質なのかもしれない。お守りか何か作ってあげてもいいかも。そんなことを思いながら、七海が作ってくれたミネストローネを一口。ああ、これもよくパンに合う。
「あのパン屋さんもだけど、また美味しかったパン屋さん巡りしたいね。冬になるとあったかい焼きたてパンの美味しさ引き立つし!」
「11月の休みに少し遠出して行きますか。前に雑誌で特集されていた、楓が行きたいと言っていた店があったでしょう」
「ポストイットつけてばっちりチェック済みよ!」
必然的に次の休みの予定が決まった。車で遠出してパン屋巡り。なんて贅沢なお休みだろう。
「美味しいオリーブオイルも調達しなければ」
「パンにつけるの?」
「アヒージョも作る」
七海の好物の名前が飛び出して、ああこれは本気で休日を楽しもうとしているなと察する。牡蠣入れよう牡蠣!と提案すれば、牡蠣はもう少し後が旬だからと却下され、代わりに海老を提案された。海老ももちろん悪くない。
美味しいものを食べながら、次の休みの予定を考えて、また美味しいものを食べる約束をする。そんな日がずっと続けばいいね。思わずそんなことを呟けば、休みが消し飛ぶフラグを立てるのはやめろと言われてしまった。確かに。絶対この日は休みにしてもらおうね!と伊地知くんに根回しのメールをその場で送った。
END
(20230801)
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