ひたむきな背中


「なぜアナタがそんな大怪我をするんだ」

ネクタイを右手に巻いたままの七海は、ワイシャツの首元を緩めながら私の頭の天辺から爪先までじろりと凝視してきた。あまりの威圧感に目をそらすのも忘れた私はまるで肉食獣に狙われた小動物のよう。運び込まれた京都校の医務室の扉をノックされて、その呪力が誰のものかを確かめないままに身体を起こしながらどうぞーと間延びした返事をした時点で迂闊だった。七海の呪力がすぐにわからないなんて、相当疲れてるしやられたんだな私・と乾いた笑いが出たら、何がおかしい・と七海に睨まれた。大股で入室してきた七海は返り血の痕はあるものの、傷はひとつも負ってないようだ。それにまずひとつ安心して息を吐けば、ため息をつきたいのはこっちの方だ、と七海は言った。容赦のない切れ味の鋭い言葉たちを前に背骨に沿って冷や汗が流れた。

えっと…と言い訳をしようと目の前の彼からようやく視線を逸らせば、包帯でぐるぐる巻きにされた自分の両腕が視界の端に入った。今京都に他人に対して反転術式を使える術師は私以外いない。百鬼夜行の宣戦布告を受けて私と七海は京都に派遣されていた。私は後方支援要員で、怪我をした術師たちに反転術式を施して治療することになっていた。東京では硝子先輩が同じ役目を果たしている。本来なら敵の攻撃が届かない、守られた場所で運ばれてくる人たちの治療に徹すれば良かったのだが。私は命令を無視して前線に出て、動けなくなった学生を庇って自分が怪我をした。幸い学生は無事だったし、私も自分で反転術式を施して事なきを得たが、そこで残念なことに呪力が尽きた。ちょうど呪霊たちも祓い切り、敵も退散したところだったのでタイミングは不幸中の幸い、といったところだったが。

「七海、黒閃キメたらしいじゃん。助けた子が言ってたよ、七海さんに助けられましたって」
「話を変えるな。なんで、後方支援の楓が前線で怪我をしたと、よく知らない他人から知らされないといけないんだ」

眉間に皺を寄せてこめかみに青筋を立てた七海を見とめて、私は思わずひっと声を漏らした。
怒ってる。七海は今とてつもなく怒ってる。

何故私が前線に出たか。次々と怪我人が運ばれてくるのに全てが後手後手に回っていたせいで手遅れの人があまりにも多すぎたのだ。救えたはずの命を救えなくて、悔しさと悲しさで痺れを切らした結果、私は個人の判断で術式を使い前線に飛んで最短で治療して回った。勿論、救護ブースも完全に空けるわけではなく、都度術式で飛んで戻って、を繰り返していたので私の勝手な行動のせいで誰かの命が手遅れになったなんてことはなかったはず。こうしたことで多くの命を救えたはずだ。
でも、これを正直に七海に言えば、彼が激怒するのは目に見えてわかっていた。だから質問にちゃんと答えなければならないのだが、あまりの圧に窮してしまっているのが今。七海は言葉には出さないが、早く答えろと舌打ちまでして圧力をかけてくる。ああ怖い。この男は怒らせるととにかく怖いのだ。でももうしょうがない。私は腹を括った。

「安全なところで待っていても救えない命があるので、前線に飛びました」
「結果、自分が大怪我をしたと。笑えない」

ですよねー…と苦笑いすれば、本当に笑えない、と七海は嘆息した。そしてベッドの近くの椅子に座って、肩を押される。横になれと言うことらしい。怒りの気配は消えないけれど、私に触れてくる手と力はとても優しい。サングラスをしていないので、その表情がよくわかる。怒りと一緒ににじむのは心配を帯びたもの。
ああ、また心配をかけてしまったな、と、ごめんね・と謝れば、別に謝ってほしいわけじゃない・と彼は即座に言い放った。

「今回は楓が前線と救護ブースを行き来することで救われた人間も多かったでしょう。けれど、それで自分が怪我をしたら元も子もない。あれ以上戦いが酷い状況になっていたらどうしてたんですか。痺れを切らす前にちゃんと命令には従え」

一気に言いたいことを言い切ったのだろう。七海にしては珍しく、ほぼ息継ぎなしの早口で捲し立てられた。うん、彼の言う通りだ。呪力が切れたタイミングがあの時じゃなければ、怪我人を治癒できる人間がいなくてもっと状況は悪化しただろうし、私自身命が危なかったかもしれない。本当に運が良かったのだ。命拾いしたと言ってもいい。

「アナタの命令違反は重大だ。今後、謹慎なりなんなり下される覚悟はしておいてください」

二級術師の私は一級術師の彼の指揮下にある。七海が何か決定を下すわけではないが、命令違反を犯した私に何かしらの処分は下されるだろう。それも覚悟の上だし、始末書くらいならいいなと思っていたけど、謹慎はこの人手不足の中やめていただきたい。けれどそれを七海に言っても仕方ないのと、勝手な行動をしたのは私だからそれは甘んじて受け入れるしかないだろう。

「わかってます。…ごめんなさい。心配かけて」

目を閉じて謝れば、頭上でまたひとつ溜め息を吐かれた。七海が腕組みを解く気配がしたかと思うと、今度は夫として言いますよ?と言う声と同時に、頭にそっと触れられる感触が。それを私はよく知っている。ゆっくり目を開ければ、こちらを覗き込むようにして目を細めた七海と視線がかち合った。

「無事で良かった。本当に楓は、何回死にかけたら懲りるんですか」

呪術師ではなく夫の顔をした七海は、楓が大怪我をして運ばれたと聞いた時は正直内心パニックだった・とぶつぶつ言ってくる。一晩中戦って疲れていたところに私の情報がもたらされたのだろう。大変申し訳ない。そして一息もつくことなくここに来てくれた。今度は私も、妻の顔で、ごめんね・と謝った。

「頼むから無茶はやめろ。自分から死にに行くな」
「うーん、でも今回は絶対前線で治療して回った方が効率良かったんだって」
「私の権限で本当に謹慎させるぞ」

ものすごく低い声で宣告されたと同時に睨まれて、ごめんなさい反省してます!!とすぐにまた謝った。七海が本気を出せば上に掛け合うことくらい簡単だし本当にやりかねない。私は話題を変えるべく、ベッドに置かれていた七海の左手をとってその指輪を撫でた。

「色々終わったら長いお休みがほしいね。どこ行きたい?」
「その前にアナタは怪我を治してください」
「東京帰ったら硝子先輩に治してもらうよ」

今回の任務…百鬼夜行の阻止は私たちにとってもかなり辛いものだった。事の発端はかつての先輩である呪詛師が宣戦布告してきたことから始まっていて、そこから私たちは気持ちを張り詰めたまま休みなく働いていたし、正直他の呪術師たちよりもそれなりに彼の人となりと離反に至った理由も察しがついていた分、気持ち面でもしんどい思いをしていたのは事実だ。彼が呪詛師になったことを、私たちは責める気にはなれなかった。それは大事な同期を失っているからこそわかってしまう皮肉めいたものなのだけど。

「疲れたねぇ。これで全部終わってればいいんだけど。ね、どこ行く?」

私たちはよく頑張ったし、少しくらい休んでも誰も文句言わないよ・と七海に笑いかければ、彼は呆れたように少しだけ笑った。

「せっかく京都に来てるんだ、アナタ呪力が回復して怪我を治せるなら、そのまま温泉でもどうですか?」
「え、七海最高。京都で年越ししようよ」
「怪我が治ったら、ですよ。自分でどうしようもない範囲であれば即東京に連れて帰るのでそのつもりで」

ピシャリと言い切られたが、その口調はどこか優しい。また頭を撫でられて、生きててくれて良かった・と彼は呟いた。七海を置いて逝かないよ・と少し意地悪な顔をして言ってやれば、当たり前だと彼は言った。


END
(20230809)



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