続く恋心


「七海、会社どう?相変わらず上司クズ?」
「相変わらずクズだしクソ」

楓が振り返った瞬間、バスタブのお湯がパシャリと跳ねて音が鳴る。その音がクズだしクソという自分の端的な上司の評価の効果音のように聞こえて、それがツボったのか楓はあははと声を出して笑った。湯の張ったバスルームはいつもより声が大きく反響する。七海は真面目だからなぁと、楓は浮かべてある黄色のアヒルの玩具をツンツンと突いた。アヒルはすいっと私の足元へと泳いでいく。

高専卒業後すぐ結婚して、気づけばもう三ヶ月が経っていた。お付き合いやなんやらもすっ飛ばしての結婚だったので(卒業後すぐ両家への挨拶から入籍までの全ての工程をこなしてしまったので、婚約期間もほんの一瞬だった)、自分からプロポーズしたものの同期から夫婦という関係性の変化にすぐ順応できるか一抹の不安はあったのだが。意外と楓はすんなり関係の変化を気にすることなくいつも通りに接してくれる。その接し方は同期の時の延長にも思えるが、毎日同じベッドで眠り、時に抱き合ったり、こうやって仕事終わりに時間が合えば一緒に風呂に入るなど、同期を超えた関係の進展にすぐに慣れていったようにも思える。順応性が高いというか、割り切りがすごいというか。結婚後の夫婦生活のあれこれは焦らず時間が解決してくれると思っていたのに、その時間もほとんどかからず(流石に新婚初夜はお互い緊張したが、一度済ませてしまえばもうなんてことない)、こうやって自然と生活を楽しめているのはお互い地獄に近い新生活にとって唯一の安らぎと言えるだろう。

「楓はどうです?繁忙期だし、ここ最近出張も多かった」

楓の濡れた頭を撫でながら聞いてみる。高専所属の呪術師として活動をしている楓は、そうだねぇ…と遠くを眺めながら言った。コツンと濡れた頭を胸元に預けてきて、こちらを見上げてくる。バスタブは大人ふたり向かい合って入れる広さではあるが、自分の身長がそこそこあるため向かい合うと足が邪魔になる。結果、自分の足の間に楓が座って、彼女を後ろから抱きしめる形でおさまることが多い。ちなみに先ほどから楓が遊んでいる黄色のアヒルは五条たちからの結婚祝いのひとつである。

「人手不足ってのと、授業がない分その時間も任務に行ってるから学生時代よりハードなのは間違いないね…。いやどっちだろう、勉強しなくてよくなった分任務ができている…?あれ…?」
「考えるのやめましょう。お互い社畜になる」

いや、もうなっているか。という突っ込みは心の中にしまっておいた。

「でも私は高専時代から生活あんまり変わってないけどさ、新しい環境に飛び込んでる七海の方が大変だよ絶対。何その目のクマ。人相悪く見えるからちゃんと寝てほしい!」

そもそも新入社員なのにここまでこき使うって何?!と楓は勝手に怒り始めた。今回も彼女が出張で留守の間、会社に泊まり込んでいたのがバレたのかと思ったが(いや実際すでに何回かバレているのだが)、そこは言及されずに済んだ。七海が仕事できるからってさーとブツクサ彼女は言いながらアヒルを沈め始めたので、やめなさいとアヒルを取り上げた。アヒルに罪はない。

「まあ私の場合、慣れないデスクワークで目を酷使しているせいもあるでしょうね…。肉体労働のあなたより断然マシですよ」

身体を反転させてこちらの目元を触れてくる楓の肩を少し押す。それ以上密着されたら色々まずいので暗にやめろと行動で示すが、楓は気づいてくれないようで。うーん…と何かを考えながら私の頭に触れてきた。こめかみあたりを触れてきた彼女は指を這わせながら、何かを考えている。

「新鮮な脳をお届けできたら少しは疲れも取れる…?いやでも脳は怖い、でも練習したらできるかも…」

ぶつぶつと呟く彼女の言葉たちから、楓が今何を考えているか察する。あれか、反転術式でどうにかしようとしてくれているのか。しかしそれ、あの現代最強が自分にやっていることですよね?自己補完の範疇で反転術式を回し続けているという人間離れしたあれ。思わずため息をついて、楓の名を呼べば、思考の波の中から舞い戻ったようで、何?と彼女は首を傾げた。

「反転術式は自分と呪術師のために使ってください。あと、五条さんの真似はするな、あの人がやってることは常人にはできない」
「そうかなぁ…。理論上いける気がするんだけど。今度硝子先輩に脳のクールダウンは可能か聞いてくるよ!」
「結構。それができるなら自分の疲れを取るために使ってください」

私は所詮、呪術界から逃げた人間だ。こうやって命懸けで毎日戦っている彼女に比べたら全然安全な場所で生きている。上司がクズでクソだからなんだっていうのだ。だからと言って突然死ぬわけでもない。だから彼女に守られる必要もないし、どちらかというと彼女を守るために、破綻した日常を送らないで済むためにふたりでいることにしたのだ。彼女の力はこんな私に使われるべきではない。
あまり納得していないのか、楓はうーん…と首をまた傾げながらも身体を再度反転させて私の足の間におさまった。私の手の中にいたアヒルを回収して、またそれを湯に浮かべてはスイスイと泳がせ続ける。

「七海はさ、真面目すぎるんだよ。だから人一倍頑張って責任感じて疲れちゃうからさ。少しでも楽になってほしいんだよね」
「あなたと一緒にいるだけでそれは十分緩和されてますよ。これでひとりだったらどんな荒れ方をしていたか」

正直に思ったことを口にすれば、確かに、と彼女は神妙な顔で頷いた。私も七海のこと言えないな…と苦笑する彼女の頭を再度撫でて、振り向いた彼女の頬にキスをする。
こんなこと自然にできるようになるなんて、三ヶ月前は思ってもいなかったが。くすぐったいね、と笑う楓に、そろそろ上がりましょう・と声をかけた。

こういう日常でいいんだ。ずっと続けばいい。
お互い疲弊してもお互いの存在で補完できるように。
そのために一緒になったのだから。

「明日は早く帰ります。外で待ち合わせして一緒に食事でも?」

アヒルを回収してバスタブの淵に並べている楓に声を掛ければ、彼女は満面の笑みをこちらに向けてくれた。
そう、これでいい。これが私が望んだ未来。


END
(20230816)



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