ひとり震えることのないように
『帰り高専寄って。医務室に楓いるから回収よろしく』
任務終わり。携帯端末を取り出して未チェックだったメールを確認していたところだった。つい10分程前に来ていたそのメールは、端的すぎて重要なことがひとつも書かれていなかった。イラッとすると同時に、メールを寄越してきた張本人…家入さんに了解と返事をしつつ、楓は無事なのかと確認を入れる。すぐに返事はきて、怪我はないよ・とのことだった。その文面を見てようやくひとつ息を吐き出して、車のシートに背中を全て預けることができた。
今日は楓も定時で上がれるスケジュールだったはずなので、ふたりとも家に直帰してゆっくり過ごせそうだと思っていたのだが。家入さんがわざわざ連絡を入れてくると言うことは何かあったのだろう。車を運転してくれている伊地知くんに高専に戻ってもらうよう告げて、情報共有用に支給されているタブレットを操作して今日の楓の任務内容を確認した。
都内で行方不明になっている子どもの捜索とその要因と思われる呪霊の祓除。依頼書の内容を読み解けば、ここ数日数名の子どもが同じ公園で行方不明になっており、そこからは呪霊の残穢が確認できた、とのことだった。二級の楓でも対応できる案件…子どもの救助が優先されたものだった。任務は完了のステータスになっていたが、詳細な報告書の提出はまだのようで、どういった経緯を経て任務が“完了“したのかは分からずじまいだった。
高専からさほど離れていない現場での任務で良かった。高専に到着してすぐに医務室に行けば、ようお疲れ・と家入さんが出迎えてくれた。
「私帰るから、落ち着いたら楓連れて帰って。必要そうなものは机の上にある。怪我はないから安心していい」
はい、鍵。と医務室の鍵を投げて寄越した彼女は、医務室の奥にあるベッドに向かって、私帰るからーと声をかけていた。カーテンが引かれたそこに楓はいるのだろう。後はよろしく、と肩を叩かれ、彼女は本当に医務室を出て行ってしまった。あっという間の出来事に思わず呆けていたが、彼女が帰るということは本当に怪我云々の話ではないのだろう。
楓のいるであろうベッドに向かって、楓に一言、開けますよ・と告げてカーテンを引いた。てっきり楓はベッドに横になっているのかと思ったのだが、予想に反して彼女はベッドに腰掛けていた。のろのろとこちらに顔をあげて、七海…と小さく震えた声で呟く。一瞬でもその違和感には気づいた。
「なんで髪が濡れてるんですか」
彼女の頬を触れば想像以上に冷たく、反射的に眉を顰めてしまった。血の気が引いたというようなものではなく、凍てつく寒さにさらされ続けた時のような冷たさだった。毛布で全身包まれていた彼女の髪は濡れていて、ああ、そういうことかと悟った。だから家入さんは私をここに呼んだのか、とも。これは彼女の高専時代から抜けきらない悪い癖。
何か精神的にキた時に、冷水のシャワーを長時間浴びること。
本人はほぼ無意識で気づいたらやってしまうらしい。自宅でそれをやればすぐに気づいて止めることができるのだが、高専でやられてしまうと同性の誰かがシャワールームを使用するまで異変に気づけないだろう。今回は一体誰が気づいて止めてくれたのか。
ため息を吐きそうになるのを堪えて、楓の肩にかけられていたタオルでその髪をぐしゃぐしゃと拭いてやる。痛い、という彼女に、我慢・と言い聞かせながら、そばに置かれたまま使用されていない使い捨てカイロを彼女に握らせた。
「…で、今回は何があった?」
必要そうなもの、と家入さんが言っていた机の上には、ドライヤーや着替え、ポットなどが置かれていた。総じて身体を温めるものばかり。いの一番にドライヤーを手に取りながら彼女に聞けば、楓は、うん…と小さく相槌を打った。まだ喋れる状況ではないらしい。ドライヤーのスイッチを入れて、彼女の髪を乾かす。細い髪を引きちぎらないように、手櫛で努めてゆっくり丁寧に梳かしてやる。時折首元に温風を当ててやり、血液の循環を促す。コーヒー淹れますか?と問えば、それにはゆっくり首を横に振った。ふたつ目のカイロの袋を破って、彼女に握らせる。ひとつでは心許ないくらい、彼女の身体は冷えていてなかなか温まろうとしなかった。一体どれほどの時間、冷水を浴びていたのか。
一通り髪を乾かし終えて、手櫛でそれを整えてやる。いつもの楓より少しぽわぽわした髪を撫で付けてやりながら、甲斐甲斐しく彼女の世話をし続ける。こうなった時の彼女は自分のタイミングで話始めるまでは何も言わない。言えない、といった方が正しいのかもしれないけれど。
高専時代から何度か見てきたその痛々しい姿。今回は任務内容からなんとなく察してはいたものの、あのね…と彼女がようやく口を開いたのは、無理やり淹れたコーヒーを手渡した直後だった。
「私の今日の任務、行方不明になってる子どもの捜索と呪霊の祓除だったんだけどね」
「はい」
彼女の隣に腰掛けて、その肩を抱いて引き寄せてやる。すん、と鼻を鳴らした彼女は、言葉を続けた。
「まだ小さい子どもたちがね、呪霊に食べられてバラバラになってたんだ…。呪霊は祓ったけど、呪霊の中から子どもが出てきたり…。あんなに小さい子たちが犠牲になっちゃったのを見ると、居た堪れなくて…」
呪術師たるもの、人の死とは切っても切れないものがある。それは老若男女関係ない。目も当てられないような遺体だって何度も何度も見てきたし、目の前で救助が間に合わず殺されてしまったケースもあった。こういうことはよくあることと、慣れてしまった方が絶対に楽だと確信だってしている。割り切らなければやっていけない。それは楓だって理解しているはずだし、普段からそういう現場にも立ち会っているはずなのに。
「任務にあたる前に、お父さんお母さんが必死になって探しているのも見ちゃってたからさ。ちょっと今回は、…きつかったなあって…」
小さな頭を胸に預けられる。呪術師なんだからこんなことで揺らいじゃダメだってわかってるんだけどね・と楓はいうが、そんな凄惨な場面、慣れる方がおかしいし本来慣れてはだめなのだ。後一日早ければ、いや、半日早ければ助けられたかもしれない。そう思わないことの方が少ない。彼女の気持ちはよくわかるし、わかるからこそ、彼女のこの癖は一生治らないのだろうなとも思ってしまっている。だが、ひとりで冷水を浴び続けるのは正直やめてほしいというのも本音だ。
「せめて冷水じゃなくて普通のシャワーを浴び続けて欲しいんですが」
身体を壊しかねない、と続けてみれば、無意識なんだよねごめんね、と言われる。謝って欲しいわけではないのだが、なんというか、言葉のニュアンスは難しい。そうではなくて…と眉間を押さえながら彼女の頭を撫でてやる。
「きつい現場に当たることは誰にだってあります。どうしようもなくきつくなったらまずは私に連絡してください」
いつか楓が言っていた。無意識だが冷水を浴びるのは、おそらく身を清めたいという気持ちと、二度とこんな思いをしないで済むようにという戒めからだと。
「冷水でもなんでも、一緒に浴びますから」
お願いだからひとりで抱え込むのはやめろ、と告げる。彼女は少し身体を震わせて、小さく頷いたと思うと、ヒクヒクとしゃっくりをあげて泣き始めた。彼女は元来、呪術師に向いていない。その優しすぎる性格も、自分を犠牲にしてまで他人を助けようとするところも。…心配をかけないようにひとりで抱え込むところも。
楓にはいつでも呪術師を辞めていいと言っている。むしろ辞めて欲しいくらいだ。けれど彼女はそれを聞かない。自分ができることを一生懸命やるだけ、とかつての同期と同じことを言っている。本当に死に急ぎかねない。
頼むから、泣くくらいで終わっていてほしい。彼女の肩をさらに抱き寄せて、手の中のコーヒーを取り上げて、よしよしとその小さな身体を抱き込みながら楓が泣き止むのを待つことにした。
彼女が泣かないで済む世界になることを望みながら(そんな日は、呪術師をしている限り来ないだろうけれど)。
END
(20230911)
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