昔を今になすよしもがな
「静御前みたいだね、お前」
愛する人のかつての親友で、私にとっても同期だった現代最強の男は、私の前で膝を折ってそう言った。傑の亡骸の前で座り込んで動こうとしない私に、彼は今、何を思ってそう言っているのだろう。
「なんで私が静御前なの…」
泣き叫んだせいで声が枯れてしまっていた。掠れてかろうじて至近距離にいる五条にだけは聞こえるようなか細い声だった。自分でも驚くほど憔悴しきった声音で、そこからわかるように自分の身体は自分の意思に反して手を上げることさえ拒否していた。座り込んで、傑に縋って、起きてと小さく何度も彼に囁きかけるのが精一杯だった。
・・・
駆けつけた高専で残穢を追って彼の元に辿り着いた時。もうすでに全てが終わったあとだった。彼のすぐそばに立った五条と、血だらけで事切れた傑。嫌だ、と叫んで彼に駆け寄って、お願いだから目を覚ましてと懇願した。私の心臓を媒体にして生き返らせるから!と、構築術式を発動したがそんなこと実際不可能だった。
何度呼びかけても返事をしてくれない傑は、心なしか割り切ったような、すっきりとした表情だった。けれどそんな穏やかな顔、今まで私の前でもしたことなかったじゃない。なんで今?私がいない時になんでそんな表情をしているの?彼の頬をそっと撫でて、血で汚れたそれを拭いとる。くすぐったいよ、と笑って目を開けてくれるかと思ったのに、彼は微動だにしなかった。そして、その頬はもう記憶よりもずっと冷たくなっていた。
百鬼夜行の目的を直接聞かされていたわけではない。傑は、家族たちの帰る場所になって欲しいと私を新宿にも京都にも連れて行ってくれなかった。けれど、彼の考えていたことくらい手を取るようにわかる。それくらい、一緒にいたのだ、通じ合っていたのだ私たちは。
「絶対許さないから…」
五条に向かって絞り出すように呪いを吐く。彼を殺して、私をひとりにした。家族たちから傑を奪った。ねえ、返して。お願いだから返して。傑を返して。五条を呪う言葉は口から次々と紡がれる。こんなに言葉だけで人を呪えるなんて思ってもみなかった。家族みんなが大好きな傑を返して。お願いだから、生き返って。傑はこんなところで終わるような人じゃない。
「あぐり、お前生きてたんだな」
お前の情報、一切出てこなかったよ・と五条は言う。傑と離反してからというもの、私はほとんど術式を使うことも、外にすら出ることなく傑のそばにいた。矢面に立っていたのはいつも傑。傑の活動や行動は常に監視されていただろうが、特級を冠する彼に手を出せるものは呪術界に目の前にいる例外を除いて存在しなかったので、ここまで大きな事件を起こすまで放置されていた。正直、硝子が私が生きていること、傑と一緒にいることを報告していると思っていたのに、彼女はこれまでそれを口外していなかったことを五条の発言からはじめて知った。どんなに私は傑に守られていたのだろう。五条にまで気取られないように、隠してくれていた。私がまた、怖い目に遭わないように。
「お前さ、これからどうする?」
五条の声にのろのろと顔を上げて、うるさい、傑を殺したくせに、とまた呪いを吐いてぶつけた。その気になれば今すぐにでも私も殺せるだろうに、どうするではない。何を言っているのか。
「傑を返してくれるならなんでも言うこと聞いてあげるよ。返してくれないなら何にもしない。私も傑のところに逝く」
いっそ猿に殺して貰えば私もリカみたいになれるかな?と自嘲してみれば、五条はこちらをじっとみてきた。その目でみられるのはずっと苦手だった。何もかも見透かされているようで。現に今だって、何かを探るような表情であなたは私を見ている。そんなふうに私を見ていいのは傑だけ。五条の視線に耐えかねて、思わず顔を背けた時だった。
「静御前みたいだね、お前」
なんの前触れもなく彼が発したその言葉に、私は思わず呆けてしまった。静御前?何を言っているのか。
「なんで私が静御前なの…」
愛する人の仇を前に呪いの言葉を吐き続ける私のことを揶揄しているのか。動かない傑の身体に寄り添いながら五条を睨む。おかしなことを言う前に、もういっそ早く私も殺してほしい。傑のところに私も送ってほしい。
「お前さ、気づいてないの?」
「え?」
何を、と言葉を続けようとした私を遮るように、五条は躊躇なく言った。
「お前の腹にさ、お前のとは別の呪力見えるんだけど」
は?と告げられた言葉の意味を理解できずに彼を見つめれば、傑の子か・と五条は呟いた。そこではじめて私の腹に私のものとは別の呪力があるという意味を悟る。え?と私はもう一度呟いて、自分の腹へと視線を落とした。なにがいるって?そんな私の様子に溜息をついた五条は、お前さ、と言葉を続ける。
「傑の子を宿してさ、仇に向かって呪いの言葉を吐き続ける。静御前そのもんじゃん」
かつて静御前は源義経の子を宿し、義経の仇である頼朝の前で義経を想う歌を歌いながら舞ったという。傑の仇の五条の前で何もできずに呪いの言葉を吐き続ける私をそれになぞらえたのか。
そんなことよりも、五条の言うことは本当なのか。こちらを油断させるためにそんなことを言っているのでは?と思わず眉を顰めたが、もう動かない傑の声が脳内に響く。悟は冗談でもそんなこと言わないよ、と。五条のひととなりは知っている。だからこそ、彼のその言葉に嘘はないとわかっていた。つまり私の中には今、傑の子が宿っているということで。
その事実に腹を抱いたまま動けなくなった私に、五条は膝を折ったまま私と視線を合わせてきた。
「どうする?僕の子ってことにして高専に戻ってくる?」
「…え?」
「このままだと間違いなく殺されるよ、お前もその子も」
静御前になりたくないだろ?
その言葉は私の中でずっと反響し続けた。答えが出ない。傑の忘れ形見がここにいる。そっと腹に視線を落とす。五条はひとつ息を吐いて、硝子連れてくるから、ちょっと考えといてよ・と告げた。私を拘束することもなく背を向けその場を去っていった彼の後ろ姿をぼんやりと眺める。ついで傑の手の甲に自分の手のひらを重ねた。
「…ねえ、傑。私は、どうしたらいい?」
答えは何も返ってこない。
END
(20230925)
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