最強とのひとコマ


「なあ、七海元気?」

突然かけられた言葉に、私は思わず見入っていた資料から隣のシートに腰掛けている人物へと視線を移した。ズッと音を立ててストローで甘ったるそうなフラペチーノを啜りながら言葉を投げてきた現代最強はこちらを見ることなく、窓の外に視線を移したまま、「あ、伊地知、そこのケーキ屋寄って適当にケーキ買ってきてよ」と運転してくれている伊地知君に財布を投げながらわがままを言っている。
特級の五条先輩と二級の私が同じ任務にアサインされることはまずない。今回はたまたま任務帰り、高専までの送迎が一緒になっただけ。こちらとしては先輩の送迎車にちょっとお邪魔する感覚で、先に車に乗っていた五条先輩にお久しぶりです〜なんて軽めに挨拶をしたくらいで後は大人しくしておこうと思っていたのだが(流石に高専を卒業してから会う頻度はぐっと減っていた)。ただでさえ激務でお疲れであろう先輩に気を遣いなるべく邪魔しないよう気配を消していたというのに。不意に最強から出された名前に、私は資料にまた目を戻しながら答えてみせる。

「七海なら元気にサラリーマンしてますよ」
「あ、そう。あいつ戻ってくる気ねえの?」
「今のところはなさそうですね。でも勤務先相当ブラックで、会社に泊まり込んでたりしてるんですよ」

しかも私が出張の時に黙ってやってるんです、バレてないと思ってるんですかね・と少し愚痴めいたことを呟けば、五条先輩は、ははっと笑う。

「すれ違いは回避できてんの?」
「今のところは。まぁでも私の方が全国飛び回ってるんで、休みが被ったら万々歳ってところですかね」

まあ七海も土日関係なく働いてるんで…とため息をつけば、五条先輩はまたひとつ笑って、あいつに限って浮気はないだろうけど、相変わらず不器用同士だねお前ら・とのこと。
高専を卒業して三年ほど経つが、七海は証券会社で多忙を極めるサラリーマン生活を送っているし、私は私で労働基準法無視の呪術師として全国を飛び回っている。まあそれも五条先輩の前で言うと嫌味になってしまうので言わないが(特級の忙しさは並大抵のものではないから)。

「てか楓、七海のことまだ七海って呼んでんの?」

ふと思い立ったように五条先輩が不思議そうにこちらを向いて言ってくる。それに対して彼の方を見ずに、そうですね・と相槌を打った。

「なんかもう七海呼びが定着しちゃって」
「自分も七海のくせに」

ずずっと残り少ないフラペチーノを吸い切った五条先輩は、空いたカップを足元に置いてあった袋に突っ込むと、伊地知君をパシらせて買ってこさせたケーキの箱を開け始めた。フラペチーノの後にケーキか…胃もたれしそう。そんなことを思いながらも少しお腹が空いていたので、私にもくださいとおねだりすれば、好きなの取れば?と箱を差し出してくれた。伊地知君も貰いなね、と運転席の彼にも声をかけて、シンプルなチーズケーキをいただくことにする。手掴みでそれを頬張れば、疲れからぼーっとしていた頭が糖分を摂取できたことで少し働き始めた気がした。ああやっぱり疲れてたのか、なんて人ごとのように思ってしまう。七海がブラック企業のサラリーマンだから心配と思いながらも、私は私で相当ブラックな職場で酷使されているのだなぁなんて実感してしまった。

「楓も七海みたいに名前で呼んでやればいいのに。建ちゃんって」
「いやいや、七海が硬直しますよ」

顔の前で手を振りながら否定してやる。夫婦になってからもお互いの呼び方は高専時代から変わらない。七海は初めから私のことを楓と名前で呼んでいたのでそのままだし、私も私で自分が七海になったと言うのに七海のことは七海呼びのままだ。今更下の名前で呼ぶのは照れくさいし、なんだか、馴染まない。七海も特段名前で呼んでほしいなんてこと言ってこないので、これが自分たちのスタイルということで。

「何かきっかけとかあれば変わる可能性もなきにしもあらずですけど、まあしばらくはないでしょうね」
「きっかけねぇ…」

生クリームたっぷりのショートケーキを一口で頬張った五条先輩は、きっかけきっかけ…と呟いている。結婚、はもうしてるしねお前ら・とのこと。はい、先輩が口利きしてくれたマンションで快適な結婚生活を送っていますし、何不自由していませんよ。と答えてみれば、お前七海に口調似てきてね?と言われた。意識していなかったが、確かに今の言い方は七海っぽかったかもしれない。七海は昔から五条先輩に対して容赦なかったし、そんな七海を五条先輩もなんやかんや可愛がってくれていた、と思う。良い先輩後輩という関係性は、ほぼ会うことがなくなった今でも会えばすぐに復活するだろう。

「いつかそのきっかけがあって名前呼びになったらまた御祝儀渡すね」
「なんでですか」
「可愛い後輩達へ奉仕したいだけだよ」

五条先輩に任せなさい、と訳のわからないことを言われ、首を傾げたところで車が高専に到着した。先輩は組んでいた長い足をするりと解いて、じゃあまたね・とさっさと外に出て行った。
気まぐれ、軽薄、個人主義。なんの会話だったんだろう、とひとつため息をついて、今日帰宅したらこの話を七海にしてみようと思った。きっと彼もまた呆れたように嘆息するのだろう。それを想像して、少し笑った。


END
(20231012)



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