泣かないでほしい


寝つきが悪くて何度も目が醒める。枕元の携帯で時間を確かめると、先ほど確認してからまだ30分も経っていなかった。寝返りをして目を閉じるが頭が覚醒してしまっているため、眠れる気がしない。布団がわりのタオルケットを頭まで被るほど寒くはないし、夜とはいえ残暑残る9月、どちらかといえば暑い方だ。
眠るのを諦めてため息をひとつ、上半身を起こして流れてきた前髪をかき上げる。今日は一日ハードな任務に当たったので身体はしっかり疲労を感じて重いというのに、それに反して頭がクリアになりすぎている。理由は明白。同期の楓だ。今日の任務で彼女の腕が飛ばされた。反転術式持ちでも失ったものを再現するのは難しいと聞くが、彼女は痛みに耐えつつも自分自身の反転術式で腕を再生させていた。…脂汗をかいて苦しそうにしていたその姿が脳裏にこべりついていた。もう少し自分がしっかりフォローできていれば、と思えども、起こってしまったことは仕方がない。楓本人も「治ったんだから大丈夫だよー」と高専に戻ってくる頃にはあっけらかんとしていたが。

「治るとしても、痛みは感じるだろうが…」

独りごちた声が暗闇の中シンと響く。自分自身への不甲斐なさからくるイライラした気持ちと、どうしてここまで頭から離れないのかというモヤモヤした気持ちは睡魔から程遠い感情だ。もうひとつ息を吐き出して、ベッドから降りてデスクに置いてあった財布を手に外に出た。飲み物でも飲んで気分を変えなければ、下手すれば一晩眠れない。暗い廊下を歩きながら、談話室へと向かう。自動販売機を目指してそこに入った時だった。

「痛…」

小さく呻くような声が聞こえて、は?と思わず声が出た。手探りで電気をつけてその声がした方を凝視すれば、驚いたように振り向いた楓がそこにはいた。再現させた左腕を押さえて、瞳からは涙がぼろぼろ溢れている。七海!?と声を上げた彼女は、それと同時に、痛い、とまた腕を押さえた。

「楓、あなた腕どうしたんですか。治したんじゃ」

思わず近づき彼女の足元に膝をついて顔を覗き込めば、いつからここにいたのだろう、楓は青い顔をして昼間のように脂汗を額に浮かべていた。気まずそうに視線を逸らす彼女に、こっちを見ろ・と意識して低い声を出す。今彼女はこの状況を誤魔化す言い訳を必死に考えているのだろう。そんなの通用しないとあえてひと睨みすれば、楓は観念したのか、えっとね、と目元を拭いながら意を決したように口を開いた。

「無くした部位の再現ってはじめてやったんだけど、呪力すごく消費するんだよね…」
「ただでさえ反転術式は通常の二倍呪力を消費するんでしょう」

罰が悪そうな楓。なんとなく彼女が言おうとしていることを察して、こめかみがひくつくのを感じた。いや、まだだ。ちゃんと彼女が言うことを待ってから言わなければ。寸でのところまで出かかった罵倒にも似た言葉を飲み込んで、それで?と続きを促す。

「昼間は突貫で腕治して、痛みも落ち着いたから大丈夫だと思ったんだけど、夜寝てたらちゃんと治りきってなかったのか痛くなってきちゃって…でも治す呪力ももう残ってなくて、硝子先輩の部屋に行こうとしたんだけど痛くてたどり着く前に」
「ここで力尽きて泣いてた、と」

馬鹿か、と出かかった言葉を飲み込んで、頭を振った。携帯は?と聞けば部屋に忘れたという。抜けている彼女らしいといえばそうなのだが、深夜ひとり誰にも気づかれずに痛みに耐えながら泣くなんてこと、してほしくない。こめかみを揉んで、大きくため息。あなたは本当に…と小言が出そうになったが、それは今することじゃない。手にしていた財布をポケットに捩じ込んで、彼女に背を向けた。え?と困惑した声を出す楓に、いいから乗ってくださいと促す。動けなくなっている楓を放置して家入先輩を呼びに行く選択肢はなかった。一刻も早く治療を受けさせるためには楓ごと運ぶのが手っ取り早い。この際、寝ているであろう先輩を叩き起こすことになるのは考えないこととする。
躊躇している楓に、昼間みたいに抱き上げるのと背負われるの、どっちがいいんです?と肩越しに迫れば、楓は意を決したのか素直におぶさってきた。彼女の腕にさわらないように気をつけながら立ち上がって、談話室を出る。家入先輩の部屋を目指しながら、頼むからひとりで泣く前に連絡してください・と呟いた。彼女からの電話なら、24時間いつでも応答できる自信があったし、放置したりしない。暗闇の中ひとりで泣くくらいなら一緒に起きている。大事な同期なのだ。それくらいする。

「ごめんね」
「謝るくらいなら前線に出ないでください」

昼間と同じ会話をしながら彼女をどうやって前線から逃すか逡巡する。もう呪術師を辞めさせるしか手はないかもしれない。そんなことを思いながら、彼女に悟られないように小さく息を吐き出した(どうしてここまで気になるのか、まだ自分はわからない)。


END
(20240123)



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