Perfume


日が暮れてしばらく経ってから帰路に着く。今日はとりわけ猿共が呪いを運んできたので祓っては取り込む祓っては取り込むの繰り返しだった。結構、というかかなり疲れた。猿は嫌い。その感情は日々増している。猿の相手をするのは勿論疲れるし、呪霊を取り込むのも決して気分の良いものではないので必要な作業とはいえ骨が折れる。ちょうど梅雨が明けたこの季節、猿共の陰気がどっと呪いとなって現れる。呪術師たちも繁忙期だろうが、こちらも取り込む呪霊が増えるので繁忙期といえるだろう。ハッタリで纏い始めた袈裟を脱いでしまいたいくらいには蒸し暑い。日中はもっと暑かっただろう。そういえば、と街灯に集まる害虫を見上げながら今朝自宅を出る前のことを思い出す。あぐりが珍しく美々子と菜々子と出かけると言っていた。念のため彼女につけた見張りの呪霊の動きもなかったので無事にあぐりが帰宅していることはわかっていたが、彼女が外に出るのはかなり久しぶりだったはずだ。何もなければ良いが、と視界に入っていた害虫の中に紛れ込んでいる蠅頭の群れを無視する。あのレベルの呪霊は不要だ。あんなものに気を取られる暇があるなら早くあぐりに会いたい。歩くスピードを少し速めて、帰路を急いだ。

「ただいま、あぐり」

玄関のドアを開けて、帰宅を知らせる声をかける。すぐに、「お帰りなさい」とリビングへと続く扉の向こうからあぐりが現れ、穏やかに微笑んでくれる。すぐに抱きつきたい衝動を堪えて、ちょっと待っててね、とバスルームに直行する。一日中猿共の相手をした身体のままあぐりに触れたくない。あぐりが汚れる。だから猿と関わった後は絶対に身を清めてからあぐりに触れるようにしていた。シャワーを浴びて部屋着に着替えて、彼女のいるリビングに入る。髪を乾かす時間も惜しいので、タオルを肩にかけて髪は結ってだんごにしてまとめておく。ソファに座っていたあぐりは「風邪引いちゃうよ」と苦笑するので、あたためて、と彼女の薄い肩にもたれかかった。ああ、帰ってきた。彼女のそばが一番安心する。はぁ…と息を吐き出しながら目を閉じれば、お疲れ様とあぐりはぽんぽんと幼な子をあやすように頭に軽く触れてくれた。

「ご飯用意するね。離れていい?」

立ちあがろうとする彼女の手首を掴んで、あとちょっと・とその肩口にさらに顔を埋める。ああ、思ったより疲れていたようだ。普段なら彼女が困るようなことはしないのに。そんなに今日は疲れたの?と笑いながら問うてくる彼女に、猿共がいっぱいきたんだ・と短く答えた。あぐりの前で猿の話などしたくない。貴重な時間を猿の話題で奪われるなんて屈辱でしかない。
そんなことを思いながらあぐりを堪能していれば、彼女の首元からいつもと違う香りが鼻腔をくすぐった。おや?と思って顔をあげれば、あぐりが不思議そうに首を傾げた。

「あぐり、香水つけてるの?」

疑問を率直に口に出せば、あぐりは、そうなの・と大きく頷きながら笑った。気づいた?とまた彼女は笑う。

「今朝、美々子と菜々子と出かけるって言ったじゃない?あの子たち、雑誌で見たフレグランスを試したいからお店に着いてきてって」
「ふたりとも女の子だねぇ。もうそんなことを気にする年頃か」

幼い頃保護した双子は、「夏油様とあぐり様の邪魔したくないから」と今はこの家を出てふたりで暮らしている。もちろん交流がなくなったわけではないし家族であることはかわりないので、結構な頻度で訪ねてくるし、こちらも様子を見にいったりしている。あんなに小さかったのに一丁前に香水をつけたいと思う年になったのか、と思うとなんだか感慨深い。「傑、パパの気分じゃん」とあぐりが笑う。父親代わりだったから間違いではないけどね。

「それで、ふたりが選んでくれたのがこの香り」

そう言ってあぐりはサイドテーブルに置かれていた細身のボトルを手に取り、こちらに示してくる。イギリスのブランドの香水だろうか。シルバーのボトルのキャップにはあぐりの名前がアルファベット表記で刻印されている。洒落てるね、といえば、刻印サービスやってたの・と彼女は笑った。
彼女の首元に顔を近づけてその香りを堪能する。甘いフルーツのような香りがベースになっているようだ。その奥からはみずみずしさも感じる。香水のことはよくわからないけれど、トップコートやベースノートなど、いくつかの香りが調合されていて、それぞれ時間が経つと香り方が変わってくるのだという。香水を纏う人の体臭との相性もあるらしいが、この香りはあぐりに良く似合っている。あぐりの香りも混じってとても官能的。街ですれ違った猿共が私より先にこの香りを感じていたと思うとかなり腹が立ったので、その思考は一度脳から捨て去ることにした。

「美々子と菜々子に感謝だね。センスが良い」

もう一度あぐりの肩口に首を乗せて、あぐりの香りを堪能する。今は自分だけがこれを独り占めできるのだ。でも、たまの香水も良いけど、やっぱり私はあぐりの香りが好き。そんなことを思っていたらあぐりが香水のボトルをサイドテーブルに戻しながら言った。

「本当はふたりは傑のも選ぶ!て言ってたんだけど、私が止めちゃったんだよね」
「そうなの?」
「そりゃ傑も香水つけたら素敵だと思うけど、私は傑のそのままの香りが好きだからね」

思わず顔をあげて見下ろせば、あぐりは、小さく、けれど愛敬のある笑みを浮かべていた。お風呂上がりの傑の香りも大好きよ・と今度は彼女は私の肩に頭を預けてくる。その小さな頭を撫でて、ああ絶対彼女のことは手放してやるものか、と思った。「私も、香水をつけてるあぐりも勿論素敵だけど、あぐりの香りが一番好きだよ」そう耳元で囁くのも忘れない。


END
(20230628)



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